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彼に案内された場所は、タコ公園の近くにある小さな喫茶店だった。木製の外壁は焦げ茶色で、良い意味でも悪い意味でも渋くて古めかしい店だ。ドアの前に、膝の高さくらいのダルメシアンが鎮座している。陶器のそれは所々が禿げていて、これのせいで余計に店の外観が古めかしく見えているんじゃないかと思った。ダルメシアンの首輪には、『Welcome 喫茶ダンデ』と書かれたプレートがついている。
「こんにちはー」
彼は何のためらいもなく、喫茶店のドアを引いた。やっぱりというかなんというか、ドアは自動じゃない。中に入ると、眠たくなるようなバイオリンの音が聞こえてきた。温かな色の照明と、コーヒー豆を挽く香り。店内には小さな観葉植物がいくつか置かれていて、『くつろぎの空間』と言わんばかりの風景になっていた。客は、数人程度だ。
「あ、いらっしゃい隼人君」
愛想のよい笑顔でそう言ってきたのはカウンターにいるおじさんで、恐らくこの人がマスターなんだろう。第一印象は、「黒いちょびヒゲ」。……私があだ名をつけると、残念なくらいセンスがないのがよく分かる。
日焼けしたような肌の色に、ポマードで固めた黒髪、二重で大きな目。身長は百八十センチくらいだろうか。それよりも何よりも、ちょびヒゲが気になって仕方がない。
「どうも、チョビさん」
彼がそう言ったのを聞いて、私は吹き出してしまった。
こいつのセンスもそんなもんか。
「? 彼女は?」
彼の後ろにいる私を覗き込むように、マスターがカウンターから身を乗り出してくる。大きな目をぎょろぎょろさせて、だけど嫌な感じはしない目つきだ。
ちょびヒゲのマスターはにやりと笑って、
「はっはーん。隼人君のかーのじょー?」
リズミカルにそう言った。それを聞いた彼が苦笑する。
「んー。彼女というかなんというか」
付き合ってもないのに同棲してる変な女というか。
「チョビさん、バイトを募集してるって言ってたじゃないですか。で、この子を紹介しようかと思って」
「本当!? やだ、嬉しい!」
……ここにきて気付いたが、ちょびヒゲのマスターはどうも女性っぽいというかなんというか、そんな感じだった。まあ別に、だからと言って何の問題もないのだけど。むしろ私は、そういう人たちの方が好きだった。
「ねえあなた、お名前は?」
「え? えーっと」
「さな、です」
私の代わりに彼がさらりとそう言って、マスターはうんうんと頷いた。
「かわいい名前! じゃ、さなちゃんって呼ばせてもらうわね!」
……普通、仕事中って名字で呼ぶものなんじゃないのだろうか。しかしマスターは私の名字を訊こうとはせずに、
「さなちゃん、いつから仕事に来れるかしら?」
鼻歌でもうたいだしそうな高揚した声で、そう言ってきた。
「え? あ、明日からでも……」
「本当!? 助かるわあ」
マスターは顔の前で両手を合わせて、笑った。それにつられて私も笑う。ちょうどそのとき店のドアが開いて、制服姿の女の子が中に入ってきた。――あの制服は確か、この近くにある高校のものだったはずだ。
彼女は私の前にいる彼の顔を見て、
「隼人さん!」
嬉しそうな顔をしてから、ちらりと私の方に目をやった。
私も彼女のことをよく覚えていた。昨日、彼が路上ライブをしている時に誰よりも聞き惚れていたあの女の子だ。
「おかえりなさい。かすみ、明日から店のことは心配しないで。そこにいるさなちゃんがね、ここで働いてくれることになったのよ。だからあなたは、受験勉強に専念して」
マスターが優しい笑顔でそういうと、かすみと呼ばれた女の子は「……準備してくる」とだけ言い残して、店の奥へと消えていった。その声は少し震えていて、私は若干の気まずさを感じた。
多分あの子は、隼人のことが好きなんだ。
マスターは娘の変化に気付いているのかいないのか、人懐こい笑顔を崩さずに続けた。
「それじゃ、明日からよろしく頼むわー。朝の六時頃、来てくれるかしら」
「六時!?」
「モーニングをやってるからねぇ」
朝に弱い私は、冷や汗をかいた。そんな私の顔を見た彼が、苦笑する。
「起こしてあげるから大丈夫だよ」
「ま!! 同棲してるの!?」
マスターが大きな声で反応して、店内にいた数人の客がこちらを向いた。私はあわてて嘘をつく。
「モーニングコールしてくれるという意味です! そうよね!?」
私が睨むと、彼は笑うのをこらえながら「そうそう」と呟いた。
その様子を、店の奥でかすみちゃんが見ていることに、私は気付いていなかった。