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目が覚めると、香ばしいにおいが部屋に充満していた。何かを炒めている音が聞こえてくる。私は布団の中から、キッチンの方を見た。
フライパンの前に立っている彼の後姿が見える。その横で、オーブントースターが赤く光っていた。パンを焼いているらしい。
私は自分の下着と服を探そうとして、どちらも身につけていることに気がついた。裸で眠る日の方が圧倒的に多いせいで、ついつい下着を探したくなる。そんな間抜けな癖に気付いて、一人で苦笑した。それからのそりと布団から起き上がり、彼のもとへと近寄った。
彼はフライパンの右半分でソーセージを、左半分で目玉焼きを器用に焼いていた。目玉焼きは二つ。オーブンの中の食パンも二つ。――私の分の朝食も、用意してくれているらしい。
「――うわあ!!」
私が後ろに立っていることに気付いた彼が、間抜けな叫び声をあげる。
「びっくりしたー。いつの間にそこにいたの? おはよう」
「……おはよう」
私は寝癖のついた髪の毛をいじりながら、ぶっきらぼうに返した。髪が柔らかいせいなのかなんなのか、妙に寝癖がつきやすくて困る。髪の長さは肩よりも下くらいだけど、それも関係しているのだろうか。
「ねえ、ドライヤー貸して」
「どうぞ」
彼はフライパンの上でウインナーを転がしながら「朝ごはんももうすぐできるから」と笑った。
油でテカテカに光っているソーセージ、黄身が程良く半熟に仕上がっている目玉焼き、きつね色のトースト、生野菜サラダはレタスとトマトで彩りよく。それから、麦茶。
「飲み物が、オレンジジュースか牛乳だったら完璧だろ?」
私が思っていたのと同じことを、彼が笑いながら言った。まあ別に、麦茶でも構わないのだけど。
「いやあ、誰かと一緒に朝ごはん食べるの久しぶりだな。いただきまーす」
「……いただきます」
私は、いただきますと言うのすら、久しぶりだった。
「昨日、よく眠れた?」
彼に訊かれて、私はうなずく。
「むしろ、あんたの方が眠れなかったんじゃないの?」
彼の家には布団が一つしかなかったので、私が布団を使い、彼は床の上で寝る羽目になったのだ。……私は添い寝してもいいと言ったんだけれど、彼に断固拒否された。結局、この季節にしては少し分厚く、冬ならば少し肌寒いであろう微妙な薄さの毛布1枚で、彼は眠った。
私の問いかけに「肩が少し痛いかなあ」と答えながら、彼は笑った。
「でも大丈夫。雑魚寝とか慣れてるし」
「……ふーん」
まあ、床の上で寝るのも今日で終わりだろうけど。
「今日さー。俺は大学あるんだけど、さなはどうする? 一緒に来る?」
「は?」
私は食べようとしていたトマトを、机の上にぼとりと落とした。彼がそれを見て笑う。面倒になった私は素手でトマトをつまむと、口の中に放り込んだ。
「なんで私があんたの大学に」
「だって、家にいても暇だろ?」
「いや、ていうかもう、この家も出ていくから」
「え、なんで!?」
目を丸くした彼を見て、私も目を丸くした。
何を考えてるんだ、こいつ。まさか、このまま一緒に住むとでも思っていたんだろうか。
「なんでって、ここは私の家じゃないし」
「この家、気に入らなかった?」
「そういうわけじゃないけど」
「じゃ、一緒に暮さない?」
そこら辺で拾ってきた猫を飼うみたいな気楽なノリで、一緒に暮さないか提案してきた彼に呆れた。私を猫扱いしてくれるのは別に構わないけれど、猫を飼うのと人間を飼うのとはわけが違う。大体、意味が分からない。
「なんで一緒に暮らすの」
「君を止めたいから」
先ほどの気楽なノリはどこかへ吹き飛び、至極真面目な顔で彼は言った。その切り替えの速さに、私はどきりとする。けれどそれに気付かれたくなくて、私は彼の目を睨みつけた。
「私の『仕事』のことは、あんたには関係ないでしょ」
「関係ない。けど、俺は辞めさせたいんだよ。わがままなもんで」
開き直られたら、それ以上突っ込めない。言い淀んだ私に、彼はさらりと言った。
「バイトならさ、良い所を知ってるんだ。そこを紹介する。身元照会とかそういうのは心配しなくていいよ。……その店、俺の家から近いんだ。だから、俺の家から通えばいいじゃん」
「…………」
「――それとも君は、今のままの方が幸せなの?」
寂しそうに笑う彼に、私は何も言えなかった。