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あえてそのことには触れないでいようと思っていた。
彼にとって『それ』は地雷に違いないと、思っていたから。
隼人が何を考えているのか、分からない時がある。
病室の窓から外を見ている時が、特にそう。
どこを見ているのか分からない目で、彼はずっと外を見ている。
視線の先は、空のように見えた。
けれど青空を見る時も、曇り空を見る時も、夕陽を見る時も。
彼はいつだって同じ顔をしていて、だから本当に『見ている』ものは、空じゃないのかもしれないと思ってしまう自分がいた。
もっと遠い、どこか。
窓の外を覗く隼人を見るたびに、私は彼の手を握った。
彼が何を考えているのかを、知りたかった。
彼が『何かをする気』なら、止めたかった。
彼は一人じゃないんだって、教えたかった。
手を繋げば、少しでもそれができるんじゃないかと、思った。
私が隼人の手にふれる度、彼はこちらを見て笑った。
その笑顔が本心なのか、それとも私を安心させるために作っている物なのか、私にはもう分からなかった。
うたうことで、彼は私に何かを伝えようとしていた。いや、伝わっていた。
ただ、歌ではない方法で、その何かを伝えることができるのも確かだ。
文字でも、絵でも、きっと表現できるだろう。
もちろんそれは、彼だって理解していることだった。
『うたえなくなった』という事実は、隼人にとっては大したことではなかったし、死にたくなるくらいに悲しいことでもあった。
そして私にとっても、それは同じだった。
私は今日も、彼の手に自分の手を重ねた。彼は笑った。
彼の手はいつだって温かくて、けれど少しだけ震えていた。
退院後、帰宅するや否や隼人は押し入れに直行した。私は彼の荷物を床に置きながら、その様子を見守る。彼は必死になって何かをさがして、やがて見つけ出したそれを、私の方に差し出した。少しだけ思いつめたような顔で、どこか申し訳なさそうに。……きっと、入院している間もずっと、このことを考えていたんだろう。
私は差し出されたそれと、彼の顔を交互に見る。彼にしては珍しく、綺麗に笑えていなかった。出ない声を振り絞るようにして、彼は何かを訴えようとした。
「え?」
私は彼の口の動きを読み取れるように、顔を近づけた。
声とは言い難い、何かがかすれるような音で、彼が言った言葉。
私は驚いて、彼の顔を見る。期待と諦めと不安がないまぜになったその顔は、もう笑顔と呼べるものではなかった。
彼の不安は杞憂で、むしろ不安になったのは私の方だ。
だってこれは、彼が。――……彼の。
「……いいの?」
私が訊き返すと、彼はゆっくりと頷いた。その拍子に、透明な雫が落ちる。――隼人が泣いているのを見たのは、初めてだった。彼は涙を自分の腕で乱暴にぬぐいながら、困ったように笑う。その涙の意味を、私がきちんと理解できているかどうかは、分からない。
けれど、
「分かった」
私は頷く。出来る限り、柔らかい笑顔で。
――君のために。
次は、私の番だ。