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その歌を  作者: うわの空
最終章
31/33

2

「君が笑ってくれるから、僕はうたうんだ。君の姿が見えなくても、ずっと、ずっと。僕は今日もうたい続ける。この声が、いつか君に届けば、それでいい」


 いつだって笑顔でうたっていた。その声が。


「さな」


 私の名前を柔らかく呼ぶその声が、今でも耳に残っている。

 何かの間違いなんじゃないかと思った。単なる医者の勘違い。


 目覚めたら、隼人はいつものように私の名前を呼ぶかもしれない。






 彼の意識が戻るまでの間、私は感情のない時間を過ごした。


 何もかもが色を失ったみたいだった。見舞いに来て励ましてくれたマスターの声も、聞こえているようで聞こえていなかった。試験期間中のかすみちゃんにはまだ教えないでください、心配するだろうから、とマスターに頼んだ覚えはある。けれどその時、自分がどんな顔をしていたのかは覚えていない。




 隼人は死んだわけじゃないのに。


 彼の手に触れる。体温がある。意識だって、もうすぐ戻るはずだ。

――ああ。隼人の意識が戻った時、私はどんな顔をしていればいいんだろう。


 心配そうな顔。泣き顔。……笑顔。

 

 感情のない今なら逆に、どんな顔だって出来る気がした。




 砂場で泣いていた時も、道路で腕を掴まれた時も、抱きしめてくれた時も。

 私の感覚を戻してくれるのはいつも隼人で、今回もやっぱり彼だった。





 事故から五日後、隼人がうっすらと目をあけた。意識が戻ったのだ。

 私は隼人の名前を呼びつつ、事務的な動作で看護師を呼んだ。自分は今、どんな顔をしているのだろうと思う。もしかしたら無表情かもしれない。

 彼は私の顔を見て、しばらく呆然としてから、何かを言おうと口を開いた。けれどそのまま、無言の時間が続く。

 ……彼が、必死になって声を出そうとしているのが、分かった。


「――……隼人」


 言葉に詰まって、私も黙りこむ。隼人の意識が戻るまでの間、あれほど考えていたくせに、いざとなったら何を言えばいいのか分からなかった。


 彼は私の顔を見て、何かに気付いたようだった。ゆっくりと口を閉じると、私の方に手を差し伸べて、



 ほほ笑んだ。私の、ために。




 麻痺した感覚を戻してくれるのは、いつも彼だ。




 彼が生きていてくれてよかったとか。

 なのに、彼はもう二度とうたえないんだとか。

 最後に一緒にうたったのはいつだったろうとか。


 声を失ったのに、隼人はどうして笑えるの? とか。



 どれが辛かったのか、どれが辛いのかなんて、考える余裕はなかった。




 ボロボロと涙をこぼす私。

 それを見守る隼人は、やっぱり笑っていて。

 唇を動かして、私に伝えてきたのは「ごめん」という一言で。



 謝りたいのは、情けないのは私の方だった。

 本当に泣きたいのは、隼人のはずなのに。





「……約束は、もう守ってくれてるから」


 伝えなくちゃ。そう思って発した私の一言は、あまりにも唐突過ぎた。意味が分からず、きょとんとする彼の顔を見て、私は笑う。ほら、大丈夫。私は笑えているから。


「隼人と一緒にいるだけで、私は笑ってるから。――あの日の約束」



『さなえちゃんに笑ってもらうように、』



「……隼人は守ってくれてるから、だから」



『うたうよ』



「うたっ……」


 最後まで言いきれなかった。

 言葉は涙に流されて、何を伝えたかったのかも分からなくなっていた。



 けれど彼は、泣きじゃくる私の手を握ってくれた。

 力のこもらない、けれど温かな手で。



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