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その歌を  作者: うわの空
最終章
30/33

1

 反回神経麻痺。喘鳴ぜんめい誤嚥ごえん。両側反回神経麻痺。


 医者の口から説明される聞いたこともない単語たちを、私はいつまでも飲み込めずにいた。医者は私の方を見ているのか見ていないのか、カルテを見ながら次々といろんなことを説明していく。時には医学用語や専門用語を噛み砕きながら、素人の私にも分かりやすいよう配慮して。

 それでも、理解できないものは理解できない。目の前に突き付けられた病名の読み方すら危うかったし、むしろそんな病名ものはどうでもよかった。

 訳の分からない病名や医学用語よりも、もっとシンプルで分かりやすくて、残酷なこと。



 隼人は交通事故で、声を失った。



 事故の相手は、携帯をいじりながら運転していたそうだ。通話していたのかゲームをしていたのかメールをしていたのかは知らない。……いや。聞いたけれど、覚えていない。

 信号を無視して突っ込んできたセダンにはね飛ばされた隼人は意識と声を失って、はねた本人は軽いムチウチ程度だった。



 どうして隼人なの。

 はねた本人じゃなくて。

 どうして隼人が、声を失うことになったの?



――そうやって相手を怨んだのは、一瞬だった。




 泣きながら謝りに来た十九歳の少年は、私がどれだけ良いと言っても、帰る直前まで土下座したまま顔をあげなかった。

 ……彼もまた、『うたう』のが好きな人間だったから。

 命に別状はありません、とさらりと言った医者には分からない感覚ものを、この少年は知っていた。



 声を失うことは、彼らにとって、命を失うのと変わらないことを。





 隼人が事故にあったという知らせを受けた私は妙に冷静に、彼の荷物を鞄にまとめた。入院するのに必要なものは何だろうかと考え、足りなければ見舞いの時にでも持っていけばいいわと思い直す。

 嫌みったらしい空には、雲ひとつなかった。


 事故のせいで声が出なくなったと医者に説明された時も、少年に泣きながら土下座された時も、眠り続ける隼人の顔を見た時も。

 私の中で何かが冷めていて、まるで傍観するかのようにそれらを見ていた。無理やり腕を引っ張られて、ホテルに連れ込まれたあの日の感覚に似ている。どこかの誰かの出来事、他人事のような、感覚。


 隼人の声帯と一緒に、私の心も麻痺したみたいだった。





 私は意識のない隼人の隣に座って、隼人が目を覚ました時にどのように説明すればいいのかを、事務的に考えていた。声が出ないなんて、隠してもすぐにばれることだ。だとしたら、どう説明すればいいのだろう。

 ……そのことを知った時、彼はどんな反応をするだろう。

 


 泣くかもしれない。

 自暴自棄になるかもしれない。


 死のうと、するかもしれない。



 途端に心細くなる。それと同時に、出会ってから今まで、私がどれだけ隼人に支えられていたのかを思い知った。


「……しっかりしろ」


 私は無表情で、自分に言い聞かせた。





 傷だらけでも、生きていてくれてよかったと言ってくれたのは彼なのに。

 声を失ってでも、彼が生きていてくれてよかったとは思えなかった。


 彼のことを嫌いになったわけではない。

 うたえなくなるのなら死んでしまった方が幸せだったはずだ、なんて考えているわけでもない。



 なのにどうしても。生きていてくれてよかったと、思えなかった。



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