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その歌を  作者: うわの空
第三章
24/33

2

 過去は消えない。

 どれだけ消そうと努力したって、消えることはない。

 自分の中から消えてしまっても、その事実は消えない。

 

 未来は消える。

 恐ろしいくらい簡単に、消える。


 手放すだけでいいんだ。自分を。



 それだけで、未来は消える。





 隼人との件で、かすみちゃんと仲が悪くなるということはなかった。彼女は今まで通り、私と仲良くしてくれた。といっても、受験生だからあまり遊べないけれど。

 隼人と私の関係も変わらなかった。私から何か言うことも、彼から何か言ってくることもない。今までと同じ、――そう思いたかった。


 クリスマスについて言いだしたのは隼人の方だった。彼は、スーパーやコンビニから貰ってきたらしいクリスマスケーキのカタログを見ながら、「ケーキの種類はどれがいい?」と訊いてきた。



 つまり彼の話は、クリスマスになってもまだ私がこの家にいるのが前提だった。



 私は横目で、壁にかかっているカレンダーを確認する。クリスマスまで、まだ一カ月以上あった。


「気が早いんじゃない?」


 私が苦笑すると、「おいしいケーキは早く予約しないと売り切れちゃうんだよ」と言って、隼人は笑った。


「隼人の好きなものを注文すればいいよ」


 私がそう答えると、彼は腕を組んで考え始めた。……そこまで真剣に考えるようなことなのだろうか。私は、おもちゃを真剣に選ぶ子供のような彼を見ながら、目を細めた。隼人は後でまた考えると言ってカタログを閉じると、


「――あと、さ。正月なんだけど」


 頭を掻きながら、ゆっくりと顔をあげた。


「俺、正月は実家に帰るって約束してあるんだけど。……さなも一緒に」


「帰らないわよ」


 ぶっきらぼうに答える私を見て、彼は目を伏せた。同級生だったということは、彼の家と私の家は近いのかもしれない。

 だったらなおさら、その土地には行きたくない。


「……一人で留守番になるけど、それでもいい?」


 この言葉に、私は目を丸くする。つまり彼の話は、正月になってもまだ、私がこの家にいるのが前提だった。


「――私はそれでいいよ。隼人がいいならね」


「留守番してくれるなら、それはそれでありがたいよ」


 隼人は困ったように笑ってから、もう一度ケーキのカタログを開いた。




 彼はやっぱり知らないんだ。

 過去の私を、知らないんだ。


『――……気持ち悪い』


 あの人の声が、頭の中に響いた。





「お正月はこの店も休みにするから。さなちゃんもゆっくり休んでね!」


 陽気な声でマスターにそう言われて、呆然とした。昨日の今日、このタイミングでまた正月の話が出るとは思ってなかった。けれど十一月にもなれば皆、正月のことを考えるのかもしれない。……帰る家が、あるのなら。


「クリスマスは、どうするんですか?」


 正月から話を逸らすために質問してみると、マスターはいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「営業はするけど、さなちゃんはお休みよ。イブも休み」


「え、なんで」


「仕事よりもデート優先に決まってるでしょう!?」


 そんな、世の中の常識みたいに言われるとは。


 残念ながら私は、誰かと『付き合った』ことがない。……恋人同士にとって、クリスマスってそんなに大事なイベントなのか。

 なんだか宇宙人になった気分で、私は目を輝かせているマスターのヒゲを眺めた。





 子供が、サンタクロースの「正体」に気付くのは、いつなのだろうか。


 サンタさんなんていないんだよ。お父さんとかお母さんが、サンタさんなんだよ。


 小学校高学年にもなると、ほとんどの子が何故か『自慢げ』にそう語った。……サンタの「正体」に気付いた自分が大人びているような気がして、誇らしかったんだろう。



 だけどあの時はまだ、サンタの「本当の正体」に気付けていない。






 喫茶店からの帰り道。凍った空気と、冷たい街灯。人気のない道路。

 ふいに掴まれた、腕。


 後ろにひっぱられ、私はよろけつつも振り返る。背後に立っていたのは、私の腕を掴んでいたのは、


「――……あ」


 見覚えのある、顔で。



 私が言葉を発する前に、視界がぶれた。力が抜けて、その場にひざまずく。

 顔を殴られたのだと理解するまでの数秒間、その人は「どうして約束の日に来なかったんだ」と呟き続けていた。



 かつて、肉体だけで結ばれていた関係。

 二週間に一度だけ会う、『七三分けの常連客』。

 そうだ私は。この人の名前も、知らなかった。



 乱暴に腕を掴まれ、立ち上がる。引っ張られる。引きずられるように、ホテルの中に入る。

 その一連の流れを、私は他人事のように呆然と見ていた。






 サンタクロースの正体は親で。


――けれど、その正体なかには、親の愛情が詰まってる。



 それに気付くのは、いつなんだろう。





 私のもとにサンタクロースは来ないんだって気付いたのは、いつだったんだろう。



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