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その歌を  作者: うわの空
第三章
23/33

1

 十一月にもなると、さすがに薄着では寒い。私は喫茶店のバイト代で安い冬服を買い揃えつつ、隼人の家に居座っていた。

 彼の家に住み始めて、かれこれ二カ月が経つ。彼は出ていけとも言わないし、かといって恋人になったというわけでもなく、『何故か同居している元同級生』という、おかしな関係が出来上がっていた。


 喫茶店の売り上げも相変わらずで、特別忙しくなることもなく、のんびりとした時間を過ごすことも多かった。そんな時はマスターとたわいもない話をしたり、ひたすら店内を掃除した。

 休日には隼人と出かけたり、彼と一緒に歌をうたってみたりした。私はうたうのが得意というわけでもないので、彼の歌声に合わせてぼそぼそと呟く程度だったけれど、それでも楽しかった。

 たまに、かすみちゃんと二人で遊びに行ったりもした。



 平和だった。

 何もかもがうまくいっているような、そんな気さえした。


 居心地の良い、安定した場所。

 私はきっと、それが崩れるのが怖かった。





 その日のバイトも無事に終わり、マスターにあいさつしてから外に出た私は、かすみちゃんが電柱にもたれかかっているのを見つけた。見つけられた、と言い換えてもいい。彼女は、私のことを待っていたんだ。

 赤く充血した、目で。


「……どうしたの?」


 いろんな意味を込めて、彼女に尋ねた。



 なぜ私を待っていたのか。

 なぜ泣き腫らした目をしているのか。

 なにが、あったのか。



「――隼人さんに告白して、ふられました」



 彼女はその中から、一番重要な答えを選びだして、口にした。





 夏ならまだ薄暗かったはずの十八時。けれど今はもう、あたりはすっかり暗くなっていた。冷たい風が通り過ぎて、かすみちゃんの短い髪を揺らす。彼女は片手で前髪を押さえながら、――目を隠しながら、笑った。


「告白して、ふられて。なんていうか、ようやく落ち着きました」


「……どういうこと?」


「私、ここから離れようと思ってるんです。遠くの大学に行こうと思って」


 彼女はそう言うと、鼻をすすった。寒いのか、泣いているのか、私には分からない。


「それで遠くに行く前に、私の気持ちを伝えておきたかったんです。案の定、ふられちゃいましたけど。いいんです。……最初に言いましたよね。彼が誰のことを好きであっても、私はあの人のことが好きなんだって。それでいいんです。――彼が幸せなら、それでいい」


 彼女は早口でまくしたてるようにそう言うと、ため息をついた。ため息とともに、透明な雫が零れおちる。



『彼が誰のことを好きであっても、私は、彼のことが好きです』



 あの言葉を初めて聞いた時、私はてっきり、彼女は気の強い子なのだと思っていた。私のことを敵対視して、そう言っているのだと。けれど実際はそうじゃなくて、ただ本当に、隼人のことが好きだと言っていただけだったんだ。



――彼女のことを敵対視していたのは、私の方だ。




「……隼人は、なんて?」


 思わず訊いてしまってから、しまったと思う。どんな風にふられたの、と訊いたようなものだ。無神経にもほどがある。

 なのにかすみちゃんは、私に向かって笑いかけた。

 その笑顔に、悪意なんてものは微塵もなくて、


「それは、さなさんが隼人さんから直接聞いてください」


 彼女のこの言葉は、答えを言ったようなものだった。




 私が一番恐れているのは、現在いまが崩れてしまうことだった。


 喫茶店でのんびりと働いて。

 かすみちゃんと遊びに行って。

 隼人と、歌をうたって。


 そんな生活がいつまでも続くはずがないなんてこと、初めから、知ってた。




 たとえば、『塚本早苗わたし』のことを、マスターが知ってしまったら。

 かすみちゃんが知ってしまったら。

 隼人が、知ってしまったら。



 きっと、もう二度と。



 この温かな場所には戻れないんだって、知ってた。





 帰宅すると、ぼんやりと天井を見ている隼人の姿が見えた。その様子は明らかに元気がなくて、……何も知らなければ、「どうしたの?」と訊いていただろう。


「――ただいま」


 私が声をかけると、隼人はこちらに目を向けた。その目は、泣いていなかった。


「……おかえり」


 いつものように笑えていない。けれど、その理由は訊きたくなかった。





 後悔するときがある。


 これまでの自分に。

 隼人と出会ったことに。





 イライラする。


 胸を張って、彼の側にいることができない自分自身に。



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