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ちょっと待っててください、とだけ言い残してどこかへ行ってしまったかすみちゃんは、カボチャのマフィンを両手に持って戻ってきた。ハロウィン仕様なのか、カップの色はやたらと派手な紫色だ。彼女は無言で、私の方にマフィンをひとつ差し出してきた。
「さなさん、そういうの好きですよね」
「え? ハロウィンはそんなに興味ないけど」
「違います。カボチャとかさつまいもとか、そういうのが好きですねって意味ですよ」
かすみちゃんの言葉を聞いて、苦笑した。そういえばあの雨の日、カボチャやさつまいものお菓子を並べて出したのは私だった。結局あの後、二人で半分ずつ食べたけれど。
「そうね。ありがとう」
私はマフィンを受け取って食べ始める。かすみちゃんも同じものを食べ始めて、しばらく無言になった。私たちが物を食べ始めたことに気付いた鳩が、再び近づいてくる。……残念だけど、このマフィンをあげる気はない。
「――……かすみちゃんはさ、どうして隼人のことが好きなの?」
マフィンを食べながら、気になっていた疑問をぶつけてみる。隼人もマスターもいない今なら、答えてくれる気がした。なんだかんだいって、彼女は素直でもあったから。
「……君が笑ってくれるから、僕は歌うんだ。君の姿が見えなくても、ずっと、ずっと。僕は今日も歌い続ける。この声が、いつか君に届けば、それでいい」
彼女は詩を朗読するようにそれを呟いた。
大きく揺れ始めたバイキングから、叫ぶような声が聞こえてくる。
「お父さんのことで悩んでた時に、公園で隼人さんと出会ったんです。出会ったというか、うたっているところを目撃したというか。――隼人さんの歌詞はいつも真っ直ぐで誰かのことを想っていて、素敵だなあと思いました。私もあんな風になりたいと思った。それで意を決して話しかけてみたら、隼人さん自身も真っ直ぐな人で。それが始まりでした」
やっぱり彼女は素直だと思う。私だったら多分、同じ質問をされてもはぐらかすだけで答えなかったはずだ。
彼女はマフィンを食べ終わると、油を吸ってしっとりとしている薄い紙カップを丁寧に折り畳んだ。それから、
「――あの歌詞に出てくる『君』のことを隼人さんは想ってるんだろうなって、出会った時から気付いていました。もちろん、その『君』が、私じゃないことも。……それでもいいと思いました。私は、彼のことが好き。それでいいんです」
そう言って、ベンチの隣にあったゴミ箱に、折り畳んだそれを捨てた。私は最後の一口を食べ終わると、ゴミをぐしゃぐしゃに丸めた。
ハンバーガーの包み紙なんかでもそうだけど、食後に綺麗に折り畳むタイプと、ぐしゃぐしゃに丸めるタイプの人間がいる。恐らくかすみちゃんは、ハンバーガーを食べた後も綺麗に折り畳むだろう。私はもちろん、丸めてしまうタイプだ。
私と彼女は何かがそっくりで、なのに正反対だった。
「――前にも言ったけど」
私は、首を前後にふりながら足元をうろうろしている鳩を見て言った。
「彼が誰のことを好きなのかは、彼にしか分からないわよ。……隼人に、好きな人がいるかどうか聞いたことある?」
かすみちゃんが首を振るのを確認してから、私も聞いたことがないけどね、と付け足した。
「その歌の『君』も、実在してない人物かもしれない。歌の中だけの、抽象的な存在なのかもしれないわ」
「そうでしょうか」
そうだといいなという期待は、一切こめられていない口調だった。私はかすみちゃんの方を見る。かすみちゃんは、射抜くような目で私の顔を見ていた。
「さなさんは、そう思ってるんですか?」
「……思ってるけど」
「そうですか」
彼女は私から目線をそらすと、大きく揺れるバイキングを見た。それから、笑った。
「今日は父が無理を言ってすみませんでした。さなさん、困ったでしょう? この四人で、遊園地だなんて」
言い当てられてて押し黙った私に、かすみちゃんは笑いながら続ける。
「お父さんの提案を聞いて、私も遊園地に行きたいと後押ししたのは、わざとです。こうやってさなさんとお話する機会がほしいと思ったのと、……ちょっと困らせてあげたいなーと思って」
――本当に素直だな。私はある意味感心しながら、彼女の告白を聞いていた。
「……父は鈍感ですね。隼人さんも」
バイキングを見ていたかすみちゃんが、再びこちらに視線を戻す。
「だけど、さなさんも案外鈍感なのかもしれませんね。――あるいは」
彼女の笑顔には悪意がないのに、どこか怖いものがあった。
「気付いてないふりをしている、のか」
笑っている彼女とは対照的に、私は無表情のまま、黙っていることしかできなかった。