1
夜の繁華街は眩しくて、冷たい。
たくさんの人がいるはずなのに、たくさんの人が笑ってるはずなのに、なんでこんなにも空っぽな感じがするんだろう。
私は電灯の下にひっそりと立って、息を殺していた。
誰にも見つからないように。
そして、誰かに見つけてもらえるように。
「君、終電逃しちゃったの?」
酒臭い親父が声をかけてきて、内心で私は笑った。今日はハズレだな、と思う。禿頭に視線をやらないように注意しながら、私はほほ笑んだ。
私が終電を逃したのかどうかなんて、こいつは心配してない。こいつが心配してるのは、『私の身体の値段』だ。
「……おじさん、ホテル代頂けませんか? できれば朝ご飯のお金もくれると嬉しいんですけど」
ラブホテル一泊分、プラス千円程度。
それが私の値段だ。
汚い私の身体なんて、このくらいの安さでちょうどいい。
お金を頂けませんか? と言われて、はいそうですかとタダで金をくれる男なんていない。それはもはや暗黙の了解で、向こうは嬉しそうにうなずいた。
「分かった。じゃあ行こうか」
私は頷いて、相手の手を握る。……手汗が酷い。そしてやっぱり酒臭い。本当に今日はハズレを引いたなと、内心で苦笑した。
妻が待ってるからと言い残して、禿頭はそそくさと帰っていった。
――しかし、やることだけはちゃんとやっていくんだな、愛しの妻が待ってるくせに。
私は鼻で笑ってから、シャワーを浴びるためにベッドから立ち上がった。全身に禿頭の息がかかってるみたいで、気持ち悪かった。
身体を売ってるのは、そういう行為が好きだから。というわけではない。私はむしろ、男もセックスも大嫌いだった。売れるものがあるから売っているだけで、好きこのんでやっているわけではない。しかし、そこら辺を結構勘違いされやすい。こっちがちょっと嬌声をあげただけで、男は色々と勘違いする。……ビジネスだから相手が喜びそうなことをやっているだけで、こっちは気持ちいいだなんて思っていないのに。
間抜けな奴らだと思いながら、私はシャワーの栓をひねった。
十五の時に家を出てから約四年。その間、ずっと変わらないこのスタイル。我ながら、よく続けているなあと思う。たまに羽振りのいい客が万札を落として行ってくれるので、そういう時は安い漫画喫茶なんかで寝泊まりする。金がなくなれば、やる。そうやって今日まで一人で生き延びてきた。きっと、これからも。
私はシャワーを浴び終えると、禿頭がテーブルの上に置いていった金を確認した。
……五百円。
「遠足のおやつか」
私は笑った。いろんな意味で最悪の客だった。
翌朝、ファーストフード店で腹ごしらえすると、私は駅前に向かって歩き始めた。今日は常連客と会う約束の日だ。一見真面目なサラリーマンに見える七三分けのおじさんは、服を買ってくれたり小遣いを多めにくれたりと、かなり羽振りが良かった。多分、どこかの偉いさんなんだろうと思う。まあ、相手がどんな仕事をしていようが私には関係ない。固定客はあまり作りたくなかったけれど、太っ腹なおじさんは大歓迎だった。会うのは二週間に一回程度だから、あまり負担にもならないし。
……ただ、相手の性癖がちょっとアレなだけで。
「あ、待って!」
「え?」
後ろからいきなり腕を掴まれて、私は振り返った。背後にはギターらしきものを背負った若者……というか、私と同い年くらいの男が立っていた。身長は百七十五センチほど。短い黒髪は、あちこちにはねている。肌は白く、若干垂れ目で鼻が高い。
……地味にモテそうな顔だ。ただし、『地味に』。
「……なに?」
相手が敬語ではなかったので、私もため口で返す。男の恰好は、安物っぽい七分袖のデニムシャツに、これまた安っぽいベージュのズボン。――つまり彼は、金とはあまり縁がなさそうだった。
「よかった、やっと会えた。探してたんだ」
「探してた? 私を?」
「最近、ここら辺にいただろ」
人違いじゃないの? と言いたいのを堪えて、私は彼の顔をじろじろと見た。――やっぱり見覚えがない。彼を相手に『商売』をしたことがあったのだろうか。だとしたら、地味すぎて覚えていないのかもしれない。彼には悪いが。
黙りこくる私に気を遣っているのか、彼は爽やかな笑顔を無料で振りまいてくれている。しかしやはり、覚えがないものは思い出せない。私はため息をついた。
「……あのー」
「コーヒー飲まない? おいしい店、知ってるんだけど」
――誘っているのかなんなのか、いまいちよく分からない。私は彼の黒い瞳を見据えて、言い放った。
「悪いけど、これから人と会う約束があるから。なんなら予約してくれてもいいよ。夜は空いてる」
「じゃ、夜に会ってくれる?」
コーヒーに誘ってきた時と変わらない表情で、彼は嬉しそうに言った。彼の笑顔は無邪気で、下心を感じない。――私を予約するという意味を、分かっているんだろうか。
「……待ち合わせ場所は?」
予約してくれてもいいよと言ってしまったことを後悔しながら、私はため息交じりに尋ねた。彼は私の言葉を聞くと自分の後ろを見て、
「この先に大きな公園があるの、知ってる? タコ公園」
そこに遊びに行こうよとはしゃぐ子供のような顔で、言ってきた。
大きな蛸の遊具が目印となっている公園を思い浮かべながら、私はうなずく。
「あの公園の真ん中に、大きな噴水があるだろ。そこに来てほしいんだけど。夕方六時くらいまでならいるから」
「――分かった。じゃ、また後で」
とは言ったものの、面倒だと思った。今から少し疲れる仕事があるし、その仕事が終わったら、しばらく働かなくていいくらいのお金はもらえるはずだ。……こいつとの約束は無視してしまおうか。そう思いつつ歩きだした私に、彼が叫んだ。
「君はもう、俺のこと忘れた?」
「え?」
私が振り返ると、先ほどと変わらない笑顔で彼がこちらを見ていた。
「俺は覚えてるよ。君のことも、約束のことも」
「――約束?」
私が訊き終わる前に、彼は公園へと向かって走り出した。