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「風邪ひくよ?」
私はかすみちゃんが濡れないように傘を差し出すと、彼女は首を振った。
「いいんです、もう」
もう、の続きが「もう濡れているから」なのか、それとも他の単語が入るのか、私には分からなかった。かすみちゃんは立ち上がろうとせず、膝を抱えたまま地面にうずくまっている。喫茶店、つまりかすみちゃんの家は、ここからだと少し遠い。
送っていくべきか、傘を貸すべきかと考えている私に、かすみちゃんは笑いながら訊いてきた。
「さなさんの家って、この近くなんですか?」
「……そうだけど」
私の家というよりも、あれは隼人の家だ。言い淀んだ私に、彼女は構わず尋ねてくる。
「行ってみたいんですけど、いいですか?」
「えっ?」
「……冗談ですよ、カマかけただけです」
かすみちゃんは口を歪ませて笑うと、立ち上がった。私よりも一回り小さいかすみちゃんは、子供のように見えなくもない。けれど、睨むようなその目つきは、子供のものではなかった。
「隼人さんと同居してるんですか」
「――ちょっと訳ありでね」
嘘をつくのが面倒になった私はあっさりと肯定した。嘘をついたところで、「さなさんの家に連れて行ってください」だのなんだのと追及されたらばれることだ。
今の私には、隼人の家以外に帰る場所がなかった。
この子は私のことを敵視しているんだろうか。私は、髪の毛が頬に張り付いている彼女の顔を見つめた。彼女は唇を噛んで、私の方を睨んでいる。細い目の奥が、ゆらゆらと揺れているように見えた。
「……喫茶店に帰った方がいいわ。本当に風邪ひくわよ」
九月も中旬になると、大分涼しくなっていた。雨が降った日は寒いくらいだ。私はかすみちゃんの薄いカーディガンを見た。薄い灰色だったはずのそれは、濡れたせいで重い色に変わり、彼女の身体にぴったりと密着している。
「…………」
私の言葉を聞いて俯いたかすみちゃんに、ぴんときた。
「家、帰りたくないの?」
なるべく柔らかい口調で尋ねてみても、彼女は口を開こうとしない。そんなかすみちゃんを見て、私は笑った。
「私に似てる」
「え?」
眉間にしわを寄せて顔をあげたかすみちゃんに、私はもう一度笑った。
「とにかく、その恰好じゃ寒いでしょ? うちにおいでよ」
「うちって……」
「まあ、隼人の家だけど。今、隼人いないしさ。かすみちゃんを家にあげても、隼人は怒らないわよ」
私は話しかけながら、彼女の腕を掴んで引っ張った。
嫌がられるかと思ったけれど、かすみちゃんは何も言わなかった。
かすみちゃんを半ば強引にお風呂に入れてから、私は濡れている彼女の服を折り畳み、自分の服を引っ張りだした。この家にも洗濯機は一応あるが、乾燥機がない。びしょびしょの服をもう一度着ろというわけにもいかないだろう。
「着替え、カゴの中に入れておくからー」
風呂場に向かって叫ぶものの、返事がない。一瞬不安になったが、シャワーの音が聞こえてきた。……本当に私とそっくりだな。私はため息をついて、脱衣所から出た。
スーパーで買ってきたお菓子を開封して、お皿に並べていく。飲み物は麦茶しかなかったので、それを注いだ。
これがジュースとかコーヒーだったら、本格的なお菓子パーティーみたいだったのに。
そんなことを考えていたら、かすみちゃんがお風呂から出てきた。思ったよりも早い。
脱衣所から出てきた彼女が、素直に替えの服を着てくれているのにはホッとしたけれど、髪の毛は若干湿っているように見えた。
「……髪、ちゃんと乾かした?」
「乾かしました」
「うそ」
頭に触れようとすると、彼女はふいっとそっぽを向いた。私は苦笑する。
「別に襲ったりしないわよ。そういう趣味はないし。……需要があるなら『する』けど?」
「分かってます、結構です」
かあっと顔を赤くした彼女を見て、私は目を細めた。若いっていいなあ、と思ってしまう。……自分も若いはずなのに。
「ま、座りなよ。そこにあるお菓子も適当に食べて。麦茶もどうぞ」
私は笑いながら、脱衣所にドライヤーを取りに行く。リビングに戻ると、彼女は道端にいた時と同じように体育座りをして、膝に顔をうずめていた。
――似ているけれど、決定的に違うのは。
私は彼女の頭をそっと撫でた。思った通り冷たくて、そして震えていた。




