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アクセサリー  作者: 真麻一花
囚心(シュウジン) ~アクセサリー 雅貴Side~
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囚心 15

 凉子に対してこれほどまじめに自分の気持ちを伝えたのは初めてだった。

 彼女に言い訳する必要も、分かってもらう必要もない。凉子は雅貴にとっては天敵に等しいのだ。当然、彼女に自分の気持ちを知らせる必要も、行動に許可をしてもらう必要もない。その考えは今も変わっていなかった。

 ただ、実咲を守りたい、その一点に関しては、共通している。

 もう、二度と実咲を傷つけたくなかった。自分のために実咲が傷つくというのなら、雅貴自身から実咲を守らなければならない。そう考えると、凉子の言うように、近づかないのが一番なのかも知れない。

 けれど、諦めきれないのだ。女々しいほどに、実咲に会いたくてたまらない。謝って、すがって許してもらえるのなら、そうしたいほどに。

 けれど、すがってしまえば、きっと実咲はほだされる。それは、今となっては雅貴の望むところではない。だから凉子の助言が欲しかった。彼女は、実咲に対してだけは信用できる。自分では分からないところも見抜いてダメ出ししてくれるだろう。雅貴は自分の言動で実咲を少しでも傷つけずに済ませるために、凉子の協力が欲しかった。

 それか、いっそのこと、会いたいこの気持ちを打ちのめして欲しかったのかもしれない。

 縋ればきっと実咲はほだされると思う反面、彼女が心底雅貴を拒絶したいと思っているだろう事を考えると、その拒絶が怖かった。何より、もう、二度と彼女の気持ちを踏み躙るようなことをしないと考えれば、彼女がもう一度雅貴の手を取ってくれる可能性は限りなく低く感じる。

 その現実を見たくなかった。

 自分で一歩を踏み出せないことに、凉子が壁となっている事実で誤魔化して逃げているのだ。

 雅貴は、自分が凉子に選択肢をあずけて逃げている側面もあることを自覚していた。

 感情という物は実に単純でありながら複雑だ。相反する感情が同時に存在し、せめぎ合いながら、なのに当然のように同時に成り立つ。そして、そのときどきによって表に出て来る感情が入れ替わり、行動も感情も矛盾だらけで、まともな思考を奪うことさえある。会いたいと願う感情と、逃げ出したいような怯える気持ちと、一歩を踏み出さなければと言う決意と、凉子から「会って良い」と背中を押して欲しい、もしくは「会うな」と止めて欲しい、責任を他者にゆだねたい感情とがせめぎ合う。

 そんな自分を情けないと思う反面、凉子にゆだねる形で一歩を踏み出したことにほっとしている自分もいる。

 雅貴は息を吐くと、これで良いと自分に言い聞かせる。雅貴はひとまず凉子からの反応を待つ事にした。


 自分の気持ちは地道に分かってもらえたらいいと思った翌日、雅貴は凉子から声をかけられた。納品合間の声を落としての足止めに、また合コン報告かと身構えたが、凉子はいつもと違う様子で手を差し出して言った。

「さっさと、実咲からもう一回最後通牒を受け取れば良いんだわ」

 フンと鼻で笑った凉子が、持っていた一枚の紙を雅貴に押しつけると、心底嫌そうに雅貴を見た。

「実咲の家の住所よ。ただし、分かっているでしょうけど、実咲が納得しなければ、本当に手を引いてもらうわよ。実咲がただ流されただけだとしたら、それも全力で邪魔するから。……私は、井上くんを許してないから」

 周りには聞こえないほど小さな声で、しかしやたらとドスをきかせて脅すように言って、凉子が溜息をつく。

 呆然と受け取った雅貴は、心底嫌そうな凉子を見ながら、突然の展開に驚く。ほっとしたような、拍子抜けしたような。

 しかし、居住まいを正し、頭を下げた。

「……ありがとう」

 凉子は一つ溜息をついただけで、何も答えなかった。

 雅貴に、凉子の意図は分からない。おそらく聞いても教えてはくれないだろう。雅貴に対する、わずかながらの同情心か、もしくは、何らかの形で実咲のためになると判断したか。

 百歩譲っても、前者と言うことはないだろうとは思うが。それでも、信用してくれたのだ。住所を教えても、俺が実咲を傷つける行動をしないと。


 その日は気持ちが高ぶっていたのか、眠気も体の重さも感じなかった。はやる気持ちのまま、仕事が終わるとすぐに、すぐに教えられた実咲のアパートへと向かった。が、勇気を振り絞ってチャイムを押すが、彼女はいなかった。

 この時間にいない?

 躊躇っているところで、電話がかかってきた。

 ……嫌な番号だった。

「もしもし?」

 ある程度の覚悟を決めて出ると、電話の向こうから、ご機嫌そうな凉子の声がした。

 よりにもよって、今日は合コンだそうだ。それを告げる楽しげな声が携帯の向こうから響いてくる。挙げ句の果てに、ご丁寧なことで、場所まで教えてくれた。

 ……この、女……。

 携帯を持つ手が震えた。

 雅貴の中の、感謝の思いが、完全に吹っ飛んでいた。

 これは、間違いなく嫌がらせだ。俺に、実咲が男といるところを見せようという意図がひしひしと感じられる。

 あの女、わざと合コンの日を選んで住所渡しやがったな。

 確実に、そのくらいは企んで実行る女だと思った。

 勢い付けて、即行動されても良いように、もし行動しなかったら、行動させるようにと電話までかけてきたのだ。

 睡眠の足りない頭はすぐに沸騰したが、教えられた居酒屋に向かっていると、足を進ませるごとに、だんだんと頭は冷えてくる。それは次第に焦りと恐怖へとすり替わっていった。

 もし、今日になって、実咲が付き合いたいと思うような男が現れたら?

 もし、実咲に触れる男がいたら?

 焦る気持ちに足が速まる。かといって、行ってどうするつもりなのか、雅貴自身考えてもいなかった。

 ただ、居ても立ってもいられずに、今はひたすら実咲の姿を確認したかったのだ。

 冷静になったのは、店に着いてからだった。店の中に入りかけて、どう実咲に声をかけるか考えたところで体がこわばった。さっきまで急いていた足はぴたりと止まり、目的の入り口を見るが、体が動かない。

 声をかけて、拒絶される自分の姿が、いとも簡単に想像できた。何より、こんな場所で、まともに会話をさせてもらえるとも思えない。逃げられるがおちだ。

 だが……。

 人の出入りの多さに、雅貴は入口から離れて、店に出入りして行く人の流れを見つめる。

 実咲の前に姿を見せるだけのことが怖くて、躊躇ったまま、雅貴は立ち尽くしていた。また店から出てきたカップルがいる。それを見るとはなしに目で追って、そして雅貴は息をのんだ。

 衝撃に胸が軋んだ。

 二人の後に出てくるメンバーが居る様子もない。明らかに、二人だけで出てきたのだとわかる。

 男と二人きりで並んで歩く実咲が視線の先にいた。

 二人で、抜け出した……?

 後ろ姿を見ながら、小刻みに震える自分の体に気付く。

 震えを抑えようと右手は左手を強くつかむが、力を込めた手は、更に大きく震えただけだった。

 雅貴に背を向けて実咲が去って行く。呆然と追いかける視線の先で、彼女が、隣の男を見上げて微笑んだ。

 それを見たとたん襲ってきた、軋むような胸の痛みに、雅貴は胸元の服をつかんだ。

 息苦しい。

 つかんだシャツを下に引くように力を込め、喉元にわずかに開いた隙間から必死に空気を得ようと顎が上がる。

 呼吸困難にでもなったかのような苦しさに、雅貴は低く喘いだ。

 実咲、その男は。

 叫びたい衝動と、その問いかけの答えを知りたくない恐怖とに、雅貴は歯を食いしばりながら息を吐く。

 何で、二人で。

 気が狂いそうなほど怒りが襲う。

 許せない、実咲は、俺の物なのに。

 酸素の行き届かない脳内で、そのままつかみかかって行きたい衝動が芽生える。

 けれど、視線の先の彼女は、そんな事を知るはずもなく、穏やかに笑って、自分ではない男にその表情を向けるのだ。

 お前の物ではないと、そんな事を主張する権利などお前にはないのだと、激情に狂った頭に冷水をかけるような、そんな現実を突きつけるには十分すぎる、彼女らしい穏やかな表情だった。

 あんな顔を、俺と居るとき、実咲はしていただろうか。

 思い出せない。していたかもしれない。けれど、していなかったかもしれない。どちらにしろ、今、彼女があの表情を向けているのは、自分ではない。

 愕然とした。

 もしかして、佐藤さんは、これを見せたかったのか。実咲には、もう、他に相手が居ると。

 そう思えば、納得が行く気もした。あれだけ雅貴を嫌がっていた凉子が、突然に住所を教えた意味も、ここまで雅貴を呼び出したわけも。

 近寄るなと、もう、実咲に顔を見せるなと、そういうことなのだろうか。

 足下がおぼつかない。地面が波打っているようにさえ感じる。何とか足を進ませて、近くの壁により掛かった。

 吐き出す息が震えた。

 どうしろと。

 呼吸は浅く、震えるその音が、情けなく耳に響く。

 合コンから抜け出すように二人で出てきた実咲。楽しげに、けれど彼女らしい穏やかさを持って並んで歩く姿は、雅貴を絶望にたたき落とすには十分だった。

 諦めろと言うことか。

 思い出すのは、高笑いする凉子の姿だった。

 ふざけやがって。

「ちくしょう」

 悪態をつくその言葉が、夜の繁華街には弱く音になって、そのままかき消える。

 諦められる物なら、ここには居ない。諦められないから、ここに来たんだ。実咲の居ない生活を、諦められる余地など、どこにもないからここにいるのだ。

 雅貴は体を起こすと、駅に向かっているらしい二人の背中を見つめた。

 合コンを二人で抜け出したカップルを追いかけるなど、あまりにも間抜けで苦く笑う。「実咲に手を出すな」と言える権利はとうの昔になくしてしまっているというのに。

 それでも雅貴は遠く先を行く二人を追いかけた。声をかける勇気もなく、距離を取って気付かれないように。

 間抜けなストーカーだなと、雅貴は自分を嘲笑った。

 諦めも出来ず、声をかけることさえも出来ない。

 惨めなもんだと笑うが、息苦しさは少しも軽減されることさえなかった。




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