20
それは、このところ当たり前になっている、帰り際の待ち合わせの時だった。
実咲は待ち合わせ場所に向かっていた。目的の場所はすぐ目の前。その時、目の端に見慣れない影がうつり、見るともなしにその木の陰へ目を向けたときだった。
油断していた。
それが、真っ先に感じた事だった。
実咲は、自分の血の気が一瞬で引いたのを感じた。
目に映るその光景。
冷えてくらくらし始めた頭と、握りしめた手のひらにじんわりと滲む冷や汗を感じながら、それを、半ば呆然として見つめていた。
見せかけの誠実さだと、分かっていたはずなのに。まだ、大丈夫だとでも思っていたのか。
頭の片隅で、自分を嘲笑う声がした。
信じないと、自分に言い聞かせていたはずなのに。
分かっていたはずなのに。
感覚が、ぼんやりと遠ざかり、実咲は動揺している自分をどこか遠くの方で感じているような気分に陥る。
今、その場で起こっていることが、どこか他人事のように感じていた。
反面、体は強張り、ずん、と重くなったようにも感じた。
息をすることさえ忘れたように、なぜか息苦しい。そのくせ、激しい動悸が耳の奥で、ドクドクと響く。
なのに感覚は、ひどく鈍いままで、ぼうっとその状況を把握していく。
実咲は身じろぎもせず、ただ、呆然とその瞬間を見ていた。
そして、分かり切っていたのに、泣きたいほどの絶望が押し寄せてきたのを頭の片隅で自覚していた。
感覚はひどく遠いのに、じわり、じわりと、自分の体に浸透していくように、絶望が実咲の体中に広がっていく。
視線の先に、雅貴がいる。実咲が固まっていたのは、ほんの数秒にも満たないような短い時間。けれど、実咲が雅貴に気付いた瞬間から、彼は実咲の視線をとらえていた。
雅貴は分かっていてやっているのだ。実咲に目を向けても悪びれた様子もない。当たり前のように「彼女」を抱きしめたその腕を放そうとしない。
雅貴は、実咲ではない、別の女性を抱きしめていた。そして、今、実咲の目の前でキスをしている。
わざと。実咲に見せつけるように。
それに気付いた瞬間、呪縛が解けたように、感覚が一気に戻ってきた。
戻った感覚とともに絶望を上回る感情がこみ上げていた。
実咲は手を痛いぐらいに握りしめて、自分でも理解しがたい感情があふれそうになるのを必死でこらえた。
心臓が大きく胸を打っていた。握りしめた拳が小さく震えた。
実咲は、自分を落ち着けるように大きく息を吐く。
どうせなら、ずっとだまされていたかった。信用しきれないなんて口先で言いながら、ホントはあのままずっと心の中で期待し続けていたかった。
けれど目の前の現実が、そんな期待を打ち砕く。
だましてさえもくれない。そんな甘い夢さえ見させてくれない。
やっぱり、あんた最低だよ、雅貴。
期待半分、信頼しかけていた矢先の二度目のその場面。そして今度は、実咲が見ているのを知りながらの、意図的な行動なのは一目瞭然で。
雅貴がさっきのキスから抱きしめたままでいる、自分ではない女性。雅貴が再びその彼女にキスをしながら、その視線を実咲にむけた。
その目が笑っていた。
まるでいたずらでもしているかのように。