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「楽しいなんて、思いたくないんだけどね」
いつものように二人で食事をしながら自嘲気味につぶやく実咲に、涼子はなんでもない顔をして言葉を返す。
「仕方ないでしょ。嫌いになったから別れようとしたのとはワケが違うんだし」
「まーね」
実咲はため息混じりに、目の前の食べ物を食べるでもなしにお箸でつついた。
「でもさ、ちょっといい傾向じゃない?」
「なんで?」
にっこり笑って言った涼子に実咲はいぶかしみながら箸を置く。
「だってさ、ずっと一緒にいるのが辛いって言ってたでしょ。それって楽しいって思える余裕が今までずっとなかったってことでしょ? でも、今は楽しい」
ね? と、涼子が笑った。その思いがけない言葉に、実咲は動揺した。置いた箸をもう一度持ち上げ、また目の前の食べ物をつつく。
「それは……もう、別れる決意があるからじゃないかな……」
「そうかなぁ……」
涼子の納得がいかなそうな反応を見ながら、実咲はこれまでのことを思い返してみた。
「でも、そうだね。最近っていうか、雅貴と付き合う前頃からかな? 思い返すとさ、昨日みたいに一緒にいて楽しかったこと、ほとんどなかった気がする」
「そうなの?」
「うん。一緒にいるとさ、うれしかったり、幸せな気持ちになったりとかはするよ。好きだから。でも、楽しいかって言うと、ちょっと違ってたかも。どっちかっていうと、辛かった。たとえばさ、涼子とこうしてただ話してたりするだけで私は楽しいしありがたいなぁとは思うんだけど、こんな感覚、雅貴とはなくなってた。好きな人が一緒にいるっていう幸せはあるんだけど、それは、もっと、こう、自己陶酔的って言うか……」
どう言えば上手く伝わるか分からずに、説明していると、涼子がうんうんと頷いてきた。
「あ、それはちょっと分かる。私の場合は、実咲と一緒にいて楽しいって言うよりなんか一緒にいるだけで落ち着く~ってかんじ?」
「そうそう。そんな感じ。気を使わなくていいって言うか……。前は、雅貴と一緒にいても、楽しかったんだよ……」
実咲は言葉を切ると、さっきからいじるだけだった料理をようやくぱくりと一口食べた。
「なんなんだろうね……。どうしてこんなになっちゃったのかなぁ」
思い返すと、友達として楽しく遊んでいた頃があまりにも遠くに感じた。
その様子を見ながら、涼子が少し躊躇いがちに問いかけてきた。
「……あのさ、でも今はまた楽しく感じてるんでしょ? もしかしたら前のように戻れるのかもしれないよ?」
「え……?」
「……で、もし、そうなったら、どうする?」
以前のように戻れたら。
想像して、実咲はため息をついた。
昨日の楽しかった時間が実咲の脳裏をよぎった。楽しくて、手放し難い幸せな時間。
幸せすぎて、賭をした現実との落差が押し寄せる。
あんな幸せな時間が恋人としての時間として続いたら、自分がどうするのか想像もつかなかった。
「……どうしようね」
気力のないその返事に、涼子が詰め寄った。
「どうしようね、じゃないよ。情を移せば移すほど別れるのが辛いよ? ただでさえこんななのに、いい状態がずっと続けばそれでいいけどさ、もし同じ事繰り返されたら……つらいよ?」
「……慰めてくれる?」
哀れっぽい顔をして見つめる実咲に、涼子が渋い顔をして苦言を呈す。
「慰めてあげるけどさ……覚悟はしといた方がいいかもね。でも最初から悲観もいい結果生まれるわけもないし、ある程度前向きな部分も必要だよね」
「無茶いってるよ……」
実咲は空になった食器をよけると、テーブルに突っ伏した。
「……他人事だもん」
涼子は、いっそ冷淡にふふんと笑って言ってのけた。
「そうね、他人事よね」
実咲は突っ伏したまま涼子を見上げ、笑った。他人事と言いながら、本当は誰よりも気にかけてくれていることを知っている。聞き流して欲しいことはちゃんと聞き流してくれる。慰めて欲しいときでもいさめられて、でも本当に辛いときは誰よりも本気で向き合ってくれる。
彼女の言葉ほど優しい「他人事」という言葉はない。少し離れて冷静に、本質を的確に突くような、親身になり過ぎない、けれど心からの優しさ。
「うまくいこうがいくまいが、やれるだけのことをした方が後悔しないと思うよ」
他人事と切り捨てたその口で、涼子がこの上なく優しい声で実咲を包み込む。
「……かもね」
実咲は、涼子を見上げて微笑んだ。