13
雅貴の家に着くと二匹の犬が出迎えてくれた。
もう、この二匹にも会えないと思っていた。元気だが十才を超えているアズキとまだまだ元気盛りのリュウ。
「相変わらず元気ねぇ」
実咲は目を細めた。
雅貴は飛びついてくるリュウの頭を軽くなでながら子犬を二匹の犬と対面させる。
「今日からウチの家族になるからな」
子犬を抱きしめたまま座り、なおも飛びつこうとするリュウを牽制しながら話しかける。
「けんかすんなよ」
雅貴はリュウの頭をわしゃわしゃとなでた。
リュウに比べてずいぶんおとなしいアズキは子犬に興味を示したように鼻を突きつけている。
新入りと古株達はクンクンと互いににおいをかぎながら、挨拶を交わしている。
「こーら、ちび助。あばれるなっ」
子犬が少し落ち着かない様子でばたばたともがきはじめた。
「タラシはイヤだってさ~。ねー?」
実咲は茶々を入れながら歩み寄って子犬の頭をなでると雅貴が苦笑した。
「……根に持ってる?」
のぞき込む雅貴に、実咲がにっこりと笑う。
「持ってる」
そのやりとりに胸が一瞬痛むが、何気ない会話として流れていく。以前のような打ち解けた雰囲気があった。
いいな、ずっとこうしていたいな。
実咲はこの心地よさに和みかけた。しかしその楽しい気持ちとは裏腹に、続かないと分かっていながらそんなことを望んでしまう自分自身を顧みて、たまらなくせつなくなった。
実咲は立ち上がると、何気なく部屋の中を見渡した。
雅貴の家には、流した浮き名を考えると、驚くほどに女臭さがない。
あまり家には女性を連れてこないようにしているらしい。
理由は、この犬たちだと雅貴は言う。
出会ったきっかけの子犬のことがなければ、実咲もこの家に来ることはなかったのかもしれない。それでも以降何度か雅貴の家に行くこともあったのだが、それもずっと友達としてのつきあいの上で成り立っていたのだろう。
今思えば「彼女」に収まってからここへ来るのは久しぶりだったのだから。
おそらく雅貴は家に女性を連れ込んだことはほとんどないはずだと、実咲は思っている。実咲との付き合いも、セックスをするときは必ずホテルか実咲の部屋なのだ。
自分の部屋に女の子が来ると、女の子を一人で帰すのはイヤだからとか、送っていくための車がないだとか、尤もらしいことを言っていたが、今の実咲には、雅貴が、自分のテリトリーから女性を追い払っているだけにしか思えなかった。
雅貴は、女性と付き合うとき、どこか一歩距離をおいているような気がした。
実咲はふと、いつか交わした雅貴との会話を思い出した。
まだ友達としてこの部屋にきた頃のことだった。
「ホントに、犬好きだよね」
雅貴と犬たちが遊ぶ姿はほほえましくて言った言葉だった。
「雅貴、付き合っている人に嫌がられたことない?」
あまりにもかわいがる様に、おもしろがって実咲がからかうと、実咲を見て雅貴の片方の口端がゆがむように弧を描いた。
「一回、犬と私とどっちが大切なのよって聞かれたことあるな、そう言えば」
「なにそれ」
実咲が笑うと、雅貴はおかしいだろ? と言うように口元が笑みを作る。目は笑っていないように見えた。
「で、なんて答えたの?」
「犬の方が大事なんて、思っていても言うわけないだろ」
雅貴が笑った。
「まあ、それはそうよね。で、実際のところはどうなの?」
からかう実咲に、雅貴は笑って、当然のように言った。
「人間は、俺がいなくても生きていけるけど、ウチにいる奴らは、飼い犬にしてしまった以上、俺がいないとまともに生きていくことは不可能だ。そしたら、必然的に答えは決まるだろう? それが犬を飼う以上、飼い主が持つ責任だしな。大切にできないのなら、自分の都合ばかり押しつけるのなら、ペットを飼う資格はないだろ」
当然のように、面白そうに笑いながら雅貴は言った。それを分からない女達をあざけっているようにも見えた。
その頃、雅貴の付き合うタイプの女性にあまりいい印象を持っていなかった実咲は、相手の女性の気持ちを考えたことはなかった。けれど今になって思い出した雅貴の言葉に、実咲は痛みを覚えた。
当時実咲は、彼の一本筋の通った考え方には共感する部分が多かった反面、フェミニストのくせにずいぶんと皮肉な見方をすると思っていた。
今になってそれを思うと、ふと疑問がよぎる。
本当にフェミニストだろうか。むしろ女性を厭っているようにも……。
そこまで考えて、ばかばかしいと考えを拭う。
いつだって女の子には愛想良く、優しすぎるぐらい優しい態度。常に「彼女」がいて、同時進行で何人とも付き合うような男だ。
女嫌いだなどという、突拍子もない考えをした自分に、実咲は苦笑いした。
こみ上げてくる笑いと同時に、妙な不安感もこみ上げてきた。
雅貴は部屋の中を歩き始めた子犬と、先輩犬たちの様子を穏やかな顔で見守っている。
「雅貴」
不安になって名前を呼んだ。
「なに?」
雅貴が返事と同時に振り返った。その穏やかな笑顔が、犬に向けていた表情そのままで、実咲はたとえようのない安心感を覚える。
「……雅貴の作った、カルボナーラ食べたい」
何の用もなく呼んだ手前、適当に思いつくことを言ってごまかす。
雅貴は一人暮らしが長く、実咲よりも料理もうまい。高校生の頃から一人暮らしをしているのだという。一人暮らしをしなければいけないほど実家が遠いわけでもなかったらしいが、再婚したばかりの年若い義理の母に気をつかったのだと言っていた。
「いい年こいて、俺と一回りしか違わない母親を持つとは思わなかったよ」
そう言って皮肉るように笑ったことがある。
実咲はその恩恵を何度かうけたり、得意料理だという何品かを習ったりしたことがあった。
雅貴は一歩間違えると嫌味なぐらい、いろいろとそつのない男だった。けれど自分が出来るからといって人を見下すようなことはせず、丁寧に根気よく教えてくれた。
どんぶり勘定で料理をする実咲には雅貴の作る料理は面倒なほど手が込んでいて、ほとんど作ったことがないのだが。たまに思い出して作ると、失敗をする……というよりも別物になっていた。
実咲の言葉に、雅貴は少し悩むように「あー……」とつぶやく。断るつもりなのだろうと実咲は思った。雅貴はこの家に他人を長居させる気はないはずだからと。
言ってみただけなのだ。今更、雅貴に期待することはない。雅貴にとっては代えのきくセックスフレンドの一人でしかないのだから。
好きだなんて思ったらいけない。自分が特別だと勘違いしたら傷つく。
断られたときの返事を考えながら、よりにもよって、自分が傷つくようなことを口走ってしまったことを実咲は悔やんでいた。
雅貴は悩んだ様子で、冷蔵庫を開けている。そして、キッチンで戸棚の中を確認すると、実咲に向かって笑顔を向けた。
「じゃあ、久しぶりに食ってく?」
屈託のない笑顔に、実咲は一瞬ひるんだ。思いがけない言葉と、思いがけない雅貴の表情。実咲は動揺した。
「え? いいの?」
うわずりそうな声で、必死に、なんでもないフリをしながら返事をする。
「自分で言っといて」
「……うん、そうだね。ありがとう。久しぶりに食べたかったんだ。雅貴に習ったとおりに作っても、なんでかうまくいかなくて」
「卵液を絡めるときにコツがいるんだって。実咲は急ぎすぎるんだよ」
雅貴が、楽しそうに笑った。