11 過去 ~出会い3
「それにしても、井上君って、原付なんだね。ふつーに、かっこいい車乗ってそうなのに」
何となく覚えた違和感を、ふと実咲は口にしてみた。
「無理。車は好きだけど、金かかるし。なんか、俺、そういうイメージあるみたいだね。そんなに遊んでるつもりはないんだけどなぁ。欲しい車は買えないんだよ。適当に手頃なヤツも考えたけど気に入らない状態の車乗るくらいなら、ない方がましだし」
「へぇ、井上君、買えないぐらい高い車が欲しいの?」
うっかり非難がましい口調で言ってしまった実咲の言葉に、雅貴がクスッと笑った。
「一戸建てに住んでるから」
雅貴はなんでもないように言ったが、実咲はえっと止まる。
「親元、って事だよね?」
と言って、あれ? と思う。それならむしろお金が貯まる。考え込む実咲を前に彼はにっこりと笑った。
「一人暮らしって言ったろ?」
「まさか……買ったの?」
「まあね」
「分かった! 犬のためでしょ?」
驚いたのを隠すように、からかうようにおもしろくもない冗談のつもりで言った実咲だったが、雅貴はにやりと笑うことでそれに答えた。まさかの正解だったらしい。
「なんでまた、そこまでして」
あきれるを通り越して、感心してしまった。
「ウチのは、全部おれが拾ってきたんだよ。一人暮らしする前から飼ってた奴らもいるし」
「全部って、全部捨て犬を拾ったの?」
驚く実咲に、雅貴が頷く。
「そう」
「三匹捨ててあったのを全部引き取ったって事?」
その質問に、雅貴は楽しそうに笑った。
「普通は、そう思うよな。三匹の犬が全部自分が拾ってきた犬って聞いたら」
「違うの?!」
驚き通しの実咲に、彼が胸を張った。
「俺の捨て犬センサーは高精度なんだ」
「なにそれ」
思わず笑ってしまった実咲に、雅貴はしみじみとつぶやいた。
「冗談抜きでさ、なんでか捨て犬と遭遇するんだよ。二十六年生きてきて七回子犬を捨ててあるのに遭遇したってヤツは、俺以外に出会ったことがないね」
「七回も?」
子犬を拾った回数で感心する日が来るとは思わなかった、と、実咲はまじまじと、さっきから自分を驚かせ続けている張本人の顔を見た。
「奇跡の高確率」
にやりと彼は笑った。
「……それは、犬に運命感じるのは当然かもね……。うん、家買ったっていうの、納得できたよ」
はぁぁ……と、しきりに感心しながらも、実咲は雅貴をからかった。
「それにしても、車より家だなんて、予想外に堅実なことをするんだね」
彼が思った以上に好印象な事がうれしくて、にまにましながら見つめた実咲に、雅貴が苦笑いした。
「初めてまともに話したのに、予想外に堅実とか、失礼じゃない? どうせなら『犬のためにそこまでするなんて、優しいのね』とか言われた方がうれしいんだけど」
「あ、それは、他の女の子に任せるよ」
実咲がははっと笑って手を振ると、雅貴はわざとらしくため息をついた。
「実咲ちゃんって、結構きついことをさらっと言うよな」
「でも、確かに、優しいって言うか、すごいよね。私には、そこまでの思い切りって言うか、根性ないし。犬は実家において来ることもできたんでしょう?」
何気なく尋ねたことに、彼は真っ直ぐ前を見て答えた。
「俺以外に犬を好きな人がいないからね」
淡々とした声になったことに、この時実咲は気付かなかった。
「好きじゃないのに飼わせてくれてたんだ。それはそれですごいね」
雅貴は、その言葉に複雑そうな顔をして、ごまかすように笑った。そこでようやく実咲は聞いてはいけないことなのだと気付いた。
アパートに着くと、そのまま車に乗り込む。
「送っていった帰りだけど、そのまま私の車乗って原付を取りに戻る? それとも今日は原付、置いて帰る?」
実咲は運転をしながら尋ねる。
「それじゃあ、帰りも頼むよ」
頷いた雅貴に実咲はほっとした。普通の会話は続けられることにも、さっきの会話の後でも自分と話すことを雅貴が不快に思っていないらしいことにも。そして何より。
「うん。よかった、私も助かるかも」
ほっとして笑った実咲に、不思議そうに雅貴は顔を向けた。
「なんで実咲ちゃんが?」
「方向音痴なんだよね。送っていくのは井上君がいるから良いけど、帰り道が分からなくなったらどうしようかと思ってたの」
「ナビつけたら?」
苦笑いする実咲にからかうように雅貴が言うと、実咲は真剣に頷いた。
「ホント、ナビ欲しいんだけどね。でも、お金かかるし。自分でやったら安くすむって聞いたけど私にはわかんないし」
「俺、そういうの得意だよ」
ため息をついた実咲に、雅貴が弾んだ声で言った。
「車持ってないのに?」
「趣味だから」
楽しげに言う雅貴の声に、本当にそういうのが好きらしいと感じ取れた。
「それは、設置してくれるって事?」
実咲が笑うと、うれしそうに雅貴が頷いた。
「うん、つける気になったら声かけてよ」
「そう? ありがとう」
実咲は笑ってうなずく。頼むことができれば確かに良いかもしれないけれど、そんな気はさらさらなかった。好きなことを話して楽しんでいるだけの、ちょっとした社交辞令だとしか思っていなかった。
家に着くと、車で待とうとする実咲に、雅貴が部屋にあがるよう声をかけた。子犬が慣れるのに時間がかかったら待たせることになるから、と。
実咲は車から降りて、家を見渡す。
中古物件だったのだろう。その家の雰囲気もまた、微妙なノスタルジックさが意外だった。
実咲の中の雅貴のイメージは、この数時間でだいぶ変わっていた。
あまり新しい家ではなかったが、庭が広い。そして、実咲はぎょっとする。
「い、井上くん、庭に出るところの戸、開いてるんだけど……」
「うん、その辺りは開けっ放し。犬がいつでも家の中は入れるように。元々客間用? ていうか、床の間って言うの? みたいな和室だったんだけど、今はそこが犬小屋なんだ」
「ちょっと待って、今、私、犬小屋の概念について、考え直すから」
コルクの床になっている部屋と、犬と、庭を見ながら、実咲は唖然とする。雅貴がにやにやと笑っていた。
「実咲ちゃん、おもしろい言い方するなぁ」
「うん、でも、おもしろいのは、井上くんの発想の方だと思う。防犯上どうなのよ、それ」
「あー。そこはほら、犬もいるし」
にやにやと嘯いた雅貴に、実咲は首をひねる。
「あり得ないでしょ」
「ホント大丈夫。そこの部屋は庭から誰でも入れるけど、そっから他の部屋には入れないような作りにリフォームしてあるから」
「……なるほど」
思わず感心して庭から中をのぞいた実咲だった。
玄関から家にあがると、犬小屋部屋に続くドアの鍵を開け、そちらに移動する。一匹の寝そべった老犬がゆっくりと立ち上がり、雅貴に歩み寄ってきた。そして元気な二匹も雅貴に駆け寄った。
慣れない環境に、子犬は戸惑っていたが、3匹の犬たちはどれも子犬に関心を示すが、いたずらすることなく、また弱っているという老犬は子犬の世話をするかのようにクンクンと子犬をかいでは側にいようとしていた。子犬はすぐに落ち着いていった。
その様子に安心した雅貴は実咲に言った。
「今日は本当に助かったよ。良かったら一緒に晩飯食わない? お礼におごらせてほしいんだけど」
「え?」
にこにこと笑っている雅貴を前に実咲は戸惑った。おごってもらえるようなことはした覚えがない。そもそも、子犬を引き取って大変なのは雅貴の方だ。自分は引き取れずに放置するつもりだった。
返答に困ってしまった実咲に、雅貴が困ったように笑う。
「まさかとは思うけど、俺が送り狼になるとか、そういう心配はしてないよな?」
実咲は吹き出した。
「それはやばいね。断ろうかな」
クスクスと笑う実咲に、雅貴がほっとしたように笑う。
「あんまり良い噂がないのは知ってるけどね。でも俺だって同意を得ないと手を出したりしないし」
まいったな、とわざとらしく困ったフリをしておいてから、雅貴はまじめな顔で実咲を振り返った。
「でも、実咲ちゃん可愛いし、実咲ちゃんさえよかったら俺は手を出しても……」
雅貴が美咲の肩に手を置いた。
「絶対遠慮しとく」
ペシっとその手を振り払い、実咲は、つんと顔を背けた。けれど、笑いをこらえる実咲の口元はゆるんでいる。
「うわ、ソッコー?」
「まーね」
雅貴が自分をそういう目で見ていないらしいことを実咲は感じていたため、実咲にとっても、雅貴にとっても、このやりとりは気楽な軽口でしかなかった。
二人きりの部屋での、そんなやりとりさえただの楽しい会話だった。
笑いながら、部屋を出る。
その後、結局、口の上手い雅貴に言いくるめられて、実咲は夕食をおごってもらうことになった。
この日から実咲は雅貴に対する印象を変えていた。
思ってたほど変な人じゃないかも。
時々研究室にやってくる、女の子ウケの良い営業さん。
また話す機会があれば、楽しいかもしれない、そう思った。