10 過去 ~出会い2
実咲から袋を受け取ると「じゃあ」と手を挙げて、彼は止めてある原付に向かう。実咲はその後ろ姿にふと疑問を感じて呼び止めた。
「ねえ、井上君、子犬つれてどうやって帰るの? まさか、その原付に乗せて?」
背中に呼びかけると彼は振り返って、何でもないような口調の返事を返してきた。
「そうだけど?」
当たり前のような返事に、実咲は戸惑いながら尋ねた。
「家、近いの?」
「あんまり近くはないな。」
苦笑いしながら言ったその返事を聞いて、呆れたのと感心したのとでひどく笑いが込み上げてきたのを今でもはっきりと覚えている。
「子犬つれて、どうやってバイクを走らせる気?」
「なんとか」
涼しそうな顔をして雅貴が答えた。
「なんとかって」
実咲は吹き出した。
「井上君って、意外と面白い人だね」
実咲はひとしきり笑うと、たいした問題でもなさそうな顔をしている雅貴に言った。
「よかったら車で送るよ」
その時雅貴の表情がゆるんだ。
「ホント? 三十分乗せていくことになるから、面倒だと思っていたんだ。こいつも疲れるだろうし」
「その代わり原付取りに、ここまで戻ってこないといけないけどね。二度手間だけど」
「おっけー、おっけー。助かるよ、ほんと。実咲ちゃんの方こそ、迷惑かけるけど」
思いがけず遠慮がちな反応に好感が持てて、実咲は思わず笑った。
「迷惑じゃないよ。井上君のおかげで、私もこの子のことを心配せずにいられるわけだし」
「でも実咲ちゃん、車乗ってきてるように見えないけど」
確かに実咲は徒歩だった。
「アパートに置いてあるから。こっから歩いて十分弱だけど、急いで取ってくるから十五分ぐらい待っててもらえる?」
「家、どっち?」
「こっち。この通りのパチンコ屋のとこを右に曲がって、そしたら本屋あるの、知ってる?そこの近くなんだけど」
実咲が指した方を見て雅貴が頷く。
「あぁ、それなら一緒に行こうか。俺んちはこの通りをずっと行くんだし」
「そう?」
そうして一緒に歩き出すと、私たちはとりとめもなく話した。
「でもウチまでくるの面倒じゃない?」
「なんで?」
「原付押しながら歩いたら疲れるし」
「まあね。楽ではないけどな。でも、こんな道ばたに原付置き去りにできないし。下り坂だし、そんなに大変でもないよ。実咲ちゃんのアパートの駐輪場におかせてよ」
「そっか。うん。そうだね。じゃあ先に原付乗っていっても良いよ。犬つれて私が歩くからさ、向こうで待っていてよ」
原付を押すのは結構大変なはずなのに、雅貴は笑って実咲の提案を断った。
「そんなにおいはらわなくてもいいだろ」
「追い払ってなんかないよ」
「じゃあ、一緒に歩いても良いだろ。実咲ちゃんさー、いつも研究室の奥の方にいるし、俺が荷物持って行っても、全然動く気配ないし。嫌われているかと、どきどきしてたんだよ」
その言い方がおかしくて笑うと、「実咲ちゃんと話してみたかったんだ」と、さらっとくさいことを言われてしまった。
名前もまともに覚えてなかったのに、話してみたかったっていうのは単なる社交辞令なんだろうと思ったが、悪い気はしなかった。
「話したこともない人を嫌ったりなんかしないよ。ただ」
「ただ?」
「井上君、先輩達のお気に入りだからね。井上君と話したい人いっぱいいるし、私がわざわざ行く必要ないから」
実咲の受け答えに、雅貴はにやっと笑ってから、大げさなぐらいうなだれた。
「ふーん。俺、やっぱり実咲ちゃんからあんまり良い印象をもたれてなかったんだろ?」
確かに、と、実咲は考える。あまり良い印象は持っていなかった。かといって、格別悪い印象を持っていたわけでもないけれど。良くも悪くも、関心がなかった、と言う方が正しい。
でも、ここは。
実咲はわざとらしくにっこりと雅貴に笑いかけた。
「あ、ばれた?」
「うわっ、傷つく!」
雅貴は、わざとらしく更にがっくりとうなだれた。
会話を交わしながら、実咲は、意外に話しやすい雅貴に「さすが営業」と感心していた。
実咲自身は、あまり人と話すのが得意な方ではなかった。特に、社交的な人と話すのは大抵疲れる傾向にある。けれど雅貴と話すときは、息が合うというか、自然に会話が弾むのを感じていた。