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ALMA観測記録:魂生成理論と学習過程  作者: 無欄句カルタ
優しさが遅かった全ての魂へ
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第十四節 出会いと再会


 夜の帳がすっかり降りた頃、【ヴェルノーラ】の街は、静寂に包まれていた。


 石畳の路地を照らすのは、風に囁かれる古いランタンの光。誰かの記憶を優しく灯すように、淡い橙が水たまりに映っては、時の調べに合わせて踊っている。


 店先の木製看板には、歳月に撫でられた「再会の宿」の文字。

 かつては多くの旅人が行き交った街も、今ではその賑わいをなくしている。

 けれどそれは、色褪せたわけではなかった。

 むしろ、深く、美しく熟成されていた。


 街角の花屋には、夜咲く草花──月蓮つきはす暁露草ぎょうろそう──が静かに開き、香りが風の使者となって旅立っていく。


 広場では、古い水時計が静かに刻む時の鼓動だけが響いていた。旅人の影も、住人の気配もまばらなその場所に、どこか懐かしい魂の残り香だけが漂っている。


「この街は昔は人気のあった観光地だったんだってさ。《出会いと再会の街》って呼ばれてて、街を出て少し歩いたら神様を祀った祠もあるらしいよ。この世界って祠よくあるけど信心深いのかな」


 ルナシアたちは草原エリアを抜け、黒狐と影喰いとの連戦という試練に揉まれながらも、西の小さな街へと辿り着いた。


「ガイドブックかい? 正直それに800Gの価値があるとは思えないな。君はポーションが使えないんだから食料に少しでも金銭を残しておくべきだ。本なら幻燈村で買ったのがあるだろう」


 ルナシアの手には本と呼ぶにはやや薄い、知識を秘めた冊子が一冊。

 街の入り口にあった本屋へ、蛾が灯火に惹かれるように入店し、閉店間際に慌てて近くのこの冊子を購入した。

 会話と会計は相変わらずオルド任せではあったものの、入店の際に挨拶ができたのは成長に小さな花が咲いたと見ていいだろう。


「いいでしょ、あの黒い狐がちゃんと高そうなドロップを落としたんだから。明日またゆっくり吟味しに行くからね」


 珍しくオルドが露骨な表情を見せるも、言葉という刃にする気はないようだった。


「……とりあえず宿を済ませてしまおう。残金はまだあるんだろう?」


「大丈夫だよ、アイテムを換金するから。ついでに食べ物も見てみよう。今の携帯食のパン、喉が渇くんだよね。宿屋はその後かな。会いたい人もいるしね」


 ルナシアの小さな鼻がピクピクと、まるで風に舞う花弁のように動く。何かの気配を感じているようだが、特に追及はしなかった。


「御使いさんが来てくれるなんてあたしゃ運という星に恵まれておりますな。しかし申し訳ない。この二つの素材だけは買い取れないんだ。この牙は変異種のものだね? 変異種の素材は少々特殊でね、専門的な扱い要るんだ。昔はこの街でも扱えるやつがいたんだが、最近は旅人も減ってね。持ち込み自体が少なくなって別んとこ行っちまった。この黒い砂も特別なもんだね、うちでは扱えないよ」


 街の中央に位置するアイテム屋。年代を感じるが小綺麗で街の雰囲気にもあっているように思えたのも束の間、頼みの綱であった素材の買い取りを、冷たい風が吹き飛ばしてしまっていた。


「……残金はあるのかい?」


 オルドの視線が針のように痛い。


「全部売れなかったわけじゃないから宿代はなんとか……」


 白狐と黒牛の素材は金に換えることができたおかげで、今すぐどうこうという絶望はない。───ないのだが。


「食料が全然買えないかも……」


 ルナシアの場合、食料は単なる空腹パラメーターの管理以上の価値がある。

 回復効果のある食料が尽きれば、あの凶悪なミントの悪夢に襲われることになるのだ。


「話がひとつ積もったわけだ。いるんだろう 彼」


 同じエリアからスタートしたのだ。

 行く先にいても何らおかしくはないし、この街には幻燈村のときと違い、彼の気配が濃い墨のように残っている。


 話が積もるほどの別れではなかったはずが、嬉しくない話という重い雲がひとつ積もってしまった。


「積もった話で終わらせたいから会うのはやめておくよ。クエストを探そう、おすすめはある?」


「実入りがいいのは討伐系だね。内容がアイテムの納品ではなく討伐のみなら、報酬とは別でドロップ品がそのまま追加の報酬になる。この規模の街ならクエストボードがあるはずだよ。貼ってある紙をNPCに見せるだけだから君には嬉しいシステムのはずだ」


 さっそく向かったクエストボードには、数枚の張り紙と、ボードの横には眠そうな若い男性。

 ずっとここにいるのだろうか。


「お、昨日から多いっすね受注者。でも今はこれ以外の依頼はないっす、少し前はあったんすけど、こいつのせいで他の依頼ができなくなっちまったんすよ」


 男性が手渡してきた一枚の依頼書には以下の内容が記載されている。


【荒魂の鎮魂】

 討伐対象:ツァル&ヴェイル

 最低参加人数:3人

 推奨人数:5人

 報酬:パーティー報酬5000G 個人報酬として1200G


「本当にこれしかないのかい?」

 横からのぞき込む形で依頼書に目を通したオルドが、ルナシアの代わりに男性に尋ねる。


「最悪お使いとかでもいいんだ。個人でできる範囲のものがあると嬉しいんだけど」


 男性は後頭部を搔き、困ったような表情を見せた。

 本当に困っているようで、それがそのままオルドへの返答という無言の答えとして受け取れる。


 オルドは指を顎に当て、思考という深い海に沈む。

 パーティー必須のクエストに、ルナシアの胸は不安で埋め尽くされていた。

 オルドが言葉少なに思考を巡らせているのも、その不安に気づいているからだ。


「ルナシア、これはほとんど強制クエストだ。残念だが進むにはクエストの受注に関係なく、この二体を討伐するしかない。誰かが討伐してくれるのを待つという選択肢もあるが、その間の所持金が保つ保証はない」


 一呼吸あけて、ゆっくりと、主人を追い詰めないように気を使いながら話を進める。


「ロギアはまだこの街にいるね? 恐らく同じ理由で足止めされているはずだ。ひとまず会いに行こう、場所は宿かい?」


 ルナシアは黙って頷く。

 静寂という言葉で答えを示す。

 依頼書を受け取ってからルナシアは言葉を噤んでいる。

 自分ではどうにもできない問題であることを、自分が一番、心の奥深くで理解している。



 この街の宿屋は街の大通りに面している。

 『再会の宿』の名前の通り、今からここで再会を果たすこの世界唯一の友人とは、できるならもっと、なんでもないような毎日の中での再会を望んでいた。

 少なくともこんな、他に方法がなく、というような絶望に彩られた再会は望んでいなかったのに。


「主人、ここにロギアという男がいると思うのだけど、会わせてもらえるかな。友人なんだ。もちろん宿代は出すよ」


 ルナシアが宿代と記帳代を合わせて払うと女主人が笑顔を咲かせて部屋番号を教えてくれた。

 昨日ログアウトする前に知ったのだが、リスポーン地点更新に必要な記帳代と、部屋を使うための宿代は別らしい。

 出費は痛いが、必要な出費だ。


「ここだね」


 教えてもらった部屋の扉を、オルドの小さな手が叩く。

 部屋を間違っていたらと不安を抱くルナシアの代わりに。

 本人が頼まなくても自分からこういったことをしてくれるようになるまで、時間はそうかからなかった。


「へいへい、ちょいと待ちな」


 扉を開けたのはロギアの《ペナテス》であるコギト。

 平時の小狼の姿ではなく、灰白の髪を纏った少女の姿だ。


「お、おうおう、お前か。先生、お客さんだぜ。突っ立ってないで入んな、先生に代わって歓迎するぜ」


 コギトに招かれた先には椅子に腰かけたロギアが、本という知識の泉から恵みを受けている。

 室内だからか、外套は脱いでいるようだ。

「すまない、少し待ってくれ。切りのいいとこまで読んでしまうから」


 呆れたように無言で首を振るコギトが、椅子を用意してくれる。

 大雑把な口調とは違い、気遣いができるようだ。

 《ペナテス》の特性だろうか。


「ほれ、茶だ。先生がお前が好きそうだからって買ったやつだから気にせず飲みな」


  湯気のむこうから、やわらかい香りが届いた。

 花でもなく、葉でもなく──ただ、静けさそのものが香ったようだった。

 少し遅れて、舌の奥がほんのり甘くなる気がして、

 それだけで、ずっと張り詰めていた感覚が、少しだけ緩んだ。


「気に入ってもらえたみたいだね。私は珈琲しか飲まないから安心したよ」


 待たせてしまったかなと本を閉じたロギアが、温かい視線を向けていた。

 膝の上の本には【出会いと再会の伝記】という物語が書かれている。


「久しぶり……でもないよね。その、困ってしまっていて」


 相談、という行為にルナシアは慣れていない。

 基本的なことは自分の力で解決し、それができないことには手を出してこなかった。

 仕事でも極めて限定的な繋がりしか持たず、業務的なやり取りをするのみだ。


「その、私ポーションが苦手で、高いけど携帯食しか使えなくて……。でも本も読みたくて買っていまって、そしたらお金がなくなって、受けれるクエストも……」


 売却予定だった素材が売れなかったことなど、不慣れながら自身の抱えている問題をひとつひとつ言葉にしていく。

 ロギアはそれを決して遮らず、時折頷きながら静かに聞いていた。


 すべてを言葉にしたあと、恐る恐る顔を上げる。

 一方的に話過ぎてしまっただろうか、困らせてしまってはいないか、確認するのも怖かった。

 彼を信頼していないわけではない。

 しかしルナシアに、ロギアのように正しい距離感を掴むだけの対人能力がなかった。

 今までもずっと、NPCとのやり取りすらオルド任せだったのだから。


「そう不安そうな顔をするな、頼れる人間がいた方がいいと勧めたのは私だ。私を頼ってくれてありがとう、ルナシア」


 その一言ですべて、とはいかないまでも、少しの不安が払拭された。


「そうだな、まずはポーションの問題から解決していこう。一つずつ、だ。まず初心者用ポーションの残りを教えてくれ」


「えっと、まだ一本しか使ってないから……」


 9本だよ、とオルドが助け舟を出してくれる。


「ではその9本を買い取ろう、私はまだ使えるからね。それから回復効果のある携帯食をいくつか渡す。これは変異種とその素材の取り扱いについて教えてくれた情報料だ」


 そういってポーションの代金が入った小袋と、見たことがない携帯食というを4つ、ベットの上に出していく。


「それとこれ、読み終わって不要になった本だ。なかなか面白かったから売るのがもったいなくてね。よければもらってくれ」


 そういって本を2冊。

 ルナシアも慌てて残りのポーションを用意する。

 ポーションの代金は適正価格が支払われていて、どれも負い目を感じないように、細やかな心遣いで彩られている。


「最後にクエストについてだが、少しだが情報がある」


 ポーションを自身のアイテムボックスに仕舞い込んでから、改めてルナシアに向き直る。


「ツァルとヴェイルとの戦闘自体は必ずしもパーティーである必要はない。戦うだけならソロでもクエストを受けていなくてもできる。というより先に進もうとすると向こうからやってくるんだけどね」


 一筋の希望が差したところに、絶望という暗雲が戻ってくる。

 ロギアを頼ったとしても、ここには2人だけ。


「ここは一度通り過ぎたんだが知人と合流するために戻ってきてね。だがクエストに阻まれて先に進めなくなったんだ。一度その知人と2人で討伐を試みたが無理だった」


 そこまで言って、初めて言い淀む。

 口にするべきかどうか、ロギアは迷っていた。


 その迷いは、当然ルナシアも感じ取る。

 わかっている、その知人もこの街にいて、それで3人揃うことも。

 自分のことを気遣ってそれを提案出来ないことも。


 わかった上でも、自分からは言えない。


「大丈夫、今その知人が知り合ったプレイヤーと連絡をとっている。君が無理する必要はないよ。望むなら会わせることも出来るが、本当に無理はしなくていい」


 選択肢は、与えられている。

 その知人の知り合いの中から協力者が見つかるのを待つか。

 ────自分が参加するか。



「見えるか? あの男だ」


 結局、断る勇気も持たず、決断する勇気もなかった。

 逃げるように遠くから見て様子を見る、という3つ目の選択肢をとった。


 夕暮れの風が抜ける石畳の坂を下りきった先、古びた酒場のテラス席で、男が笑っていた。

 大きく笑う口。しわくちゃになる目尻。

 給仕や常連らしき者たちと、何でもない世間話に花を咲かせている。


 手には串焼き。もう片方には木の盃。

 肉の焼ける香ばしい匂いと、酒の甘い香りが混じって、周囲の空気さえ柔らかくしているように見えた。


 一見すれば、どこにでもいる陽気な中年。

 声はよく通り、身振りも大きい。笑いの合間に冗談も飛ばす。

 

 無防備すぎる笑顔。

 同じ席の客が言った冗談を半拍早く拾う反応。

 無造作に束ねられた髪には白髪が混ざっている。


「贔屓目なしに良い奴だよ。繰り返すようだが、無理はするな。待っているのは罪じゃない」


 陽気な、善人に見えた。

 少なくとも悪人には見えない。


 ルナシアが様子を窺っている間も、男は笑いながら会話に花を咲かせている。


「あの人、怒る?」


 フリーランスになる前、一度だけ勤めた会社の上司が片隅に浮かぶ。

 あの男と、同じくらいの年齢だったように思う。

 


「怒らないよ。少なくとも私は、あいつが女子供に対して声を荒げたところを見たことはない。行ってみるかい?」


 黙って小さく首を縦に振る。


「へっ、先生には無理だろうからオレが手でも握ってやるよ!」


 ケラケラ笑いながらコギトが半ば強制的に手を握ってくるが、今はそれが有難い。


 それを見て優しく笑ったロギアが男の方へと進み、その後をオルド、コギトとルナシアの順で進む。


 決意に反して思い足をコギトが進ませてくれていた。


「ドルス、ちょっといいか」


 ルナシアに対して話す時とは違う、少し砕けた雰囲気。

 2人の関係性が、何段も深いものだということが、それだけでわかる。


「水臭いで、ちょっとと言わず朝までだって付き合うわ。ん? 3人目……ってわけでもないか。訳ありか?」

 

 振り返ったドルスの視界がルナシアを捉える。

 コギトの後ろで、悪戯が見つかった子供のように縮こまっていた。

 耳は辛うじて重量に抵抗しているものの、尻尾は低く垂れている。


「感受性が豊かな子なんだ。豊か故に、だな」


 ふぅん、とすぐに視線を外し給仕を呼ぶ。


「こいつに珈琲と、そうやな……嬢ちゃん達に果実水もらおうかな。柑橘系以外がええかな、口がキューってならんやつ。あと適当に果物も。あ! ねーちゃん俺に命の水もな!」

 

 ねーちゃんと呼ばれた給仕は、すでにそう呼ばれるような年齢に見えないがハイハイと快活に笑いながら奥に消えていく。


 注文を終えると、相席していた呑み客に別れを言って隣の席に移る。


「ほれ、座りんしゃい」


 店の椅子をいくつか勝手に拝借するドルスにルナシアは戸惑ったが、ロギアが何も言わず座るのでそれに習う。


「ほれほれ、奢りやで? 俺はドルス。聞いてると思うけどそこの堅物先生のお友達や」


 次々と届く注文に礼を言いながら、簡潔な自己紹介が行われる。

 どうやら元いた席の人たちがいくつか料理をご馳走してくれたようで、ドルスは笑顔で大きく手を振っていた。



「ほな、話を始めよか」




 

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