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第4話 ― 存在しない青

終わらない章もある――ただ、溶けていく章。これは、そのひとつ。


アオイは扉を開けない。彼女はそれを見て、夢に見て、覚えている。でも、開くという行為は起こらない。そして、もしかしたら、それは必要ないのかもしれない。


時間はためらい、世界は繰り返す。声は遅れて届き、すべてが少しだけ、ずれている。


でも、そのズレの中で、何かが現れる。答えとしてではなく、存在として。


青い扉、動かない小鳥、床に落ちた紙――それらは、隙間に存在する世界の兆し。思い出されるものと、忘れられるものの間に。見えるものと、現れようとしないものの間に。


アオイは、位相がずれている。でも、もしかすると――そのズレの中でこそ、彼女は耳を澄ませ始めるのかもしれない。

「すべての扉が、開いている必要はない――」



アオイは目を覚ました。心臓が早鐘のように打っている。まるで、存在しない廊下を走り抜けたかのように。


部屋はまだ、夜明け前の青い薄暗さに包まれていた。一瞬、自分が目覚めているのか、それとも夢の中なのか、判断できなかった。


彼女はベッドに腰を下ろし、さっきまで見ていた夢の断片を掴もうとする。


空っぽの廊下。学校には収まりきらないほど長い。


壁は白かった。でも、まるで呼吸しているように見えた。


そして、その先には青い扉。空の青でも、海の青でもない。


もっと深く、ほとんど液体のような青。まだ乾いていない絵の具で塗られたような色。


アオイはじっと動かず、もっと思い出そうとした。


でも、考えれば考えるほど、夢は指の間から滑り落ちていく。


まるで、思い出されたくないかのように。


彼女はゆっくりと立ち上がった。何かが待っている気がした。


学校ではない。現実の世界でもない。あの、存在しない扉の向こう側で。


急がずに着替える。動きはゆっくり。まるで体が、今日という日が始まるのを拒んでいるかのように。


階段を降りる。リュックはいつもの場所に。壁にもたれていた。何も考えずに手に取る。


母は庭にいた。リズムよく掃き掃除をしている。


箒が地面をこする音は乾いていて、機械的だった。


アオイは数秒間、じっと見ていた。母が顔を上げて、手を振るまで。


その仕草は、まるで何度も繰り返された動作のように、自然だった。


「行ってきます、お母さん!」


玄関から声をかけながら、急いで靴を履く。


「気をつけてね」母は答える。目はコンロから離れない。


その声は、どこか上の空で、決まり文句のようだった。


アオイは返事をしなかった。


門を開ける。軋む音は、いつも通り。


黄色い家の犬が、同じタイミングで吠えた。彼女はちらっと見たが、特に何も思わなかった。ただ、記憶に刻んだだけ。


通りには、柔らかな風。葉がゆっくりと揺れている。まるでスローモーションのように。


アオイは歩調を速めた。遅刻したくない。でも、早く着きすぎるのも嫌だった。


学校の門は、いつも通り開いた。何度も聞いた、あの金属音。


でもその日、その音は水の中から聞こえてくるように、くぐもっていた。


彼女は一瞬立ち止まり、周囲を見渡す。


生徒たちは急ぎ足で通り過ぎる。笑いながら、話しながら。


校舎に入った瞬間、違和感はさらに強くなった。


足音は、以前のように響かなかった。声も、見えない壁の向こうから聞こえてくるようだった。


アオイは目を細める。集中しようとする。


何かが明らかにおかしいわけではない。でも、すべてが少しだけ、ずれている。


休み時間、彼女は教室に戻らなかった。代わりに、廊下を歩き始めた。静かな直感に導かれるように。


美術室の前を通る。壁にかかった絵が、前とは違う位置にあるように見えた。


その中の一枚は、夜空を描いていた。朝なのに。


彼女はその絵の前で立ち止まる。太い筆で描かれた星々を見つめる。


歩き続ける。理科室にたどり着く。開いているはずなのに、鍵がかかっていた。


ドアの窓から中を覗く。中の時計はすべて止まっていた。どれも、7時07分を指している。


アオイは背筋に寒気を感じた。顔をそらすと、廊下の端に開いた窓が見えた。


風は入ってこない。カーテンは動かない。まるで、時間が風を忘れてしまったかのように。


彼女は窓に近づく。外の空は、青すぎた。人工的な青。夢の中の扉と同じ色。


額をガラスに押し当てる。思い出そうとする。あの廊下。あの扉。あの静けさ。


数秒間、そこに立ち尽くす。すると、休み時間のチャイムが空気を切り裂くように鳴り響いた。


アオイは窓から離れる。足取りはゆっくり。まるで、存在しない場所から戻ってきたかのように。


階段を一段降りる。さらにもう一段。上階へ続く階段の、二段目で立ち止まる。


何も考えずに、そこに座った。その場所だけ、世界が静かに感じられた。まるで、時間が彼女のために一時停止してくれたように。


生徒たちは影のように通り過ぎる。声は遠く、動きは繰り返されている。


休み時間はもうすぐ終わる。でも、彼女は急がなかった。時間はもう、彼女に急かすことをやめたようだった。


レンが音もなく現れた。まるで、突然そこに現れたかのように。


彼は隣に座る。しばらく何も言わずに。


アオイは横目で見る。彼が先に話すのを待つ。


「君、ズレてるよ」彼はようやく口を開いた。


アオイは眉をひそめる。「どういう意味?」


レンは、いつも持ち歩いているノートを開いた。ページには落書きがびっしり。切れ切れの言葉。消された日付。


彼はあるページをめくって、彼女に見せた。


そこには、急いで描かれたような絵があった。


一つの廊下。


そして、青い扉。


アオイの胃がきゅっと縮まる。


夢と同じだった。


いや、ほとんど。


でも、一つだけ違っていた。


扉が、少し開いていたのだ。


夢の中では、閉じていた。


「君も、それを夢に見たの?」アオイは声を落ち着かせようとしながら尋ねた。


レンは少し間を置いた。「夢だったかどうか、わからない」


彼女は絵を見つめる。扉は、急いで描かれていたはずなのに、奇妙な存在感を放っていた。まるで紙が、それを長く留めておきたくないかのように。


レンは勢いよくノートを閉じた。紙がぶつかる音は乾いていて、終わりを告げるようだった。


「見ないようにすると、見えてくることもある」彼はアオイを見ずに言った。


彼女はもっと聞きたかった。でも、正しい質問が見つからなかった。どんな言葉も、場違いに思えた。


「探し続けるつもり?」彼は床を見たまま、そう尋ねた。


アオイは首をほとんど動かさずに、こくりと頷いた。


レンは立ち上がる。「そっか」


それだけ言って、歩き出した。


彼の足音は、廊下の奥へと消えていった。


アオイはしばらくその場に座っていた。階段の段に腰を下ろしたまま。


休み時間の音が、少しずつ戻ってくる。声。笑い声。校庭で跳ねるボールの音。


彼女は動かなかった。ただ、前方の廊下を見つめていた。


学校は、前よりも広く感じられた。そして、空っぽだった。


チャイムが鳴ったとき、彼女はゆっくりと立ち上がった。音はいつも通り。でも、どこか遠くから聞こえてくるようだった。


教室に戻る。急がずに。席に座る。


先生が課題を配る。アオイは集中しようとする。でも、繰り返しの感覚が強くなっていた。


クラスメイトの声は、少し遅れて響く。ペンが紙を走る音が、妙に大きく感じられた。


窓の外を見る。空は変わらない。同じ青。同じ雲のない形。――少なくとも、そう見えた。


終業のチャイムが鳴ると、アオイは教室を出た。リュックは片方の肩にかけたまま。


二階へ上がる。そこは、沈黙が濃くなっていた。


廊下は、淡い光に照らされていた。ほとんど灰色に近い。


壁が近く感じられる。空間が縮んだようだった。


彼女はゆっくりと歩く。歩数を数えながら。


三階に着いたとき、音が変わった。足音の反響が消えた。床が、存在しなくなったように。


アオイは壁に手を当てる。冷たい。でも、微かに震えていた。――向こう側に、何かがあるように。


目を閉じる。一瞬、青い扉が見えた。夢の中のものではない。自分の記憶ではない、誰かの記憶のように。


目を開ける。扉はなかった。


でも、床には一枚の紙が落ちていた。破れていて、少し丸まっている。誰かが、見られたくなくて置いていったような紙だった。


彼女はしゃがんで、それを拾った。


紙には手書きの文字。不揃いな筆跡。ほとんど子供のような字だった。


こう書かれていた:


「すべての扉が、開いている必要はない――」


それだけで、文章は終わっていた。


まるで、誰かが途中で止められたかのように。


あるいは、それ以上は書いてはいけなかったかのように。


アオイは小さな声で読み上げた。


その言葉は、彼女の中に響いた。まるで、以前どこかで聞いたことがあるように。


でも、いつだったかは思い出せなかった。


彼女は紙をポケットにしまう。廊下の奥を見つめる。何も変わっていないように見える――でも、すべてが間違っているように感じられた。


一瞬、誰かに見られている気がした。振り返る。誰もいない。


でも、沈黙が濃すぎた。


午後の太陽は、いつもよりも色あせて見えた。


アオイはゆっくりと学校を出た。足元が柔らかく、遠く感じられる。


校門は開いていた。でも、誰も急いでいないようだった。まるで、今日という日が終わることを急いでいないかのように。


校舎の側面の窓を通り過ぎると、彼女は足を止めた。


教室のあの少女。短い髪。完璧な制服。真っ直ぐな視線。


彼女はベンチの上に立っていた。窓枠に止まった小鳥に手を伸ばしている。


その鳥は小さく、灰色。翼に青い斑点があった。


鳥は少女を見つめていた。でも、動かなかった。


「この子は、私のもの」少女ははっきりとした声で言った。


腕を伸ばし、呼びかける。口笛を吹く。呪文のような言葉をささやく。


でも、小鳥は反応しない。そこにいるだけ。まるで窓の一部のように。


アオイは周囲を見渡す。誰も気づいていないようだった。


生徒たちは通り過ぎ、先生たちは話している。そして少女は、ただそこに立ち続けていた。届かないものに手を伸ばしながら。


一瞬、アオイは近づこうと思った。でも、何かがそれを止めた。


恐怖ではない。ただ、それが自分のものではないという感覚。あの瞬間は、少女と小鳥だけのものだと。


彼女は歩き続けた。足音は再びくぐもっていた。


世界は、宙に浮いているようだった。彼女がまだ知らない決断を下すのを、待っているかのように。


帰り道は、いつも通りだった。同じ道。同じ壁。同じ柵の向こうで吠える犬たち。


アオイは、すべてを見過ごしながら通り過ぎた。ただ、記憶に刻むだけ。


家に着くと、門を押した。軋む音は、いつもと同じだった。


母は台所にいた。鍋の中をかき混ぜている。


「授業、どうだった?」顔を向けずに尋ねる。


「普通」アオイは答えながら、リュックを部屋の隅に投げた。


いつもの場所。


彼女は階段を上がり、部屋へ。


机の上で、スマホが震えた。


アオイは画面を見る。


友達からのメッセージ:


「今日の授業、退屈だったね」


同じ言葉。


同じ時間。


すぐには返事をしなかった。


その後、適当な絵文字を送った。


考えたくなかった。


ベッドに座る。


部屋が狭く感じられた。


それとも、外の空が近づいてきたのかもしれない。


アオイは窓を見た。


鳥の姿はなかった。


でも、あの紙の言葉がまだ響いていた。まるで、自分の中に書かれていたかのように。


「すべての扉が、開いている必要はない――」


彼女はゆっくりと横になる。


天井が低くなったように見えた。


でも、それが重要かどうか、もうわからなかった。


目を閉じる。


沈黙が、何かを待っているようだった。


そして、彼女も。

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