第2話 ― 何も変わらない、でも何かが足りない
「すべてが繰り返されるなら、“新しい”って何?」
目覚ましは鳴らなかった。 いや、鳴ったのかもしれない。気づかずに止めたのかも。
窓から差し込む光は、いつもと同じ角度。 白すぎる。強すぎる。
「早く起きないと遅れるよ、葵」 台所から母の声。 いつもの言葉。いつもの口調。
葵はゆっくりとベッドから起き上がった。 まるで体が、これから起こることを知っているかのように。
階段を下りて、隅に置かれたリュックを手に取る。 いつもの隅。
母は鍋をかき混ぜながら、こちらを見ない。
「行ってきます」 「気をつけてね」
門を押すと、ギィと音が鳴った。 いつもの音。いつもの空。雲ひとつない。 議論の余地もないような朝。
通りも変わらない。 同じ家々、同じ塀。
黄色い家の犬が、彼女が通り過ぎる瞬間に吠えた。 なぜか見返した。 ただ、確認したかっただけかもしれない。
肩にかけたリュックの紐を直しながら坂を下る。 間に合うかもしれないし、間に合わないかもしれない。
最後に時計を見たとき、あと七分だった。
また先生が怒鳴ったら… 日誌に書かれて、家に電話されて、 たった二分のことで大騒ぎ。
学校の階段を急いで駆け上がる。 左に三つ目の教室。
ドアの前で一瞬立ち止まった。
すぐには開けなかった。 プレートを見た。 「2-B」
違う教室だった。 でも入らなかった。 顔をそらして、正しい方向へ向かう。
階段の隅で、小鳥が落ち葉をつついていた。 あれは…火曜日にもいた? それとも昨日?
眉をひそめたが、長くは考えなかった。 遅刻しそうだったから。
正しい教室に入る。 …そう思った。
いつもの席。窓際。 リュックを床に置き、ノートを机に。
太陽の光が差し込む。 変わらない。変わりすぎている。
黒板を見る。 先生はまだ来ていない。
何人かの生徒が小声で話している。 他の子は、ただ虚空を見つめていた。
教室の隅の席で、ショートヘアの女子がつぶやいた。
「この先生、いつも同じことばっかり言ってる。授業が全然進まないよね」
葵はゆっくりと顔を向けた。 同じ言葉。同じ口調。
でも…昨日は彼女、隣の席だった。
声をかけようとしたが、やめた。
先生が紙を持って入ってきた。 誰にも目を向けずに。
「42ページ」
本を開く。 角が折れているページ。
ピンクのマーカーで線が引かれた同じ文章。
指でなぞる。 こんなこと、した覚えはない。
チャイムが鳴った。 大きすぎる。変わらなすぎる。
生徒たちは、まるでリハーサルでもしたかのように教室を出ていく。 同じ笑い声。同じ話し声。
葵は急ぎ足の生徒やリュックを避けながら廊下を歩く。
中庭で、座れる場所を探す。 体育館の近くのベンチは空いていた。 …いや、ほぼ空いていた。
2-Bの男子が座っていた。 膝の上に開いた本。
昨日もそれだった? それとも、似てるだけ?
一瞬ためらった。 でも、行った。
無言で座る。 彼は顔を上げない。
「今日は、ちゃんと正しい教室に入ったね」 ページをめくりながら、彼は言った。
葵は、少し照れたように笑った。
「間違えそうになったけど…プレート見て気づいた」
蓮はゆっくりと本を閉じた。 まるで、彼女を以前から知っているかのような目で見つめる。
「名前は?」
葵は少し考えた。 名前じゃなくて、この瞬間について。
「葵」
「俺は蓮」
沈黙が流れる。 不快ではないけれど、何も説明してくれない沈黙。
葵は空を見上げた。 雲ひとつない。 いつもと同じ空。
「…一日が変わらないって、感じたことある?」 蓮が言った。
葵はすぐには答えなかった。
「わかんない。…あるかも」
蓮はボールを蹴る男子たちを見ていた。 一つのミスキック。 ボールは、いつもの柵の角に当たった。
同じ男子が走って取りに行く。
「昨日もこれ、あったよ」
葵は蓮を見た。
「…ちょっと怖いんだけど」
「ごめん。ただ…この日、もう経験した気がする」
葵は立ち上がり、リュックを整える。
「もし déjà vu なら、かなり強烈だね」
「それ以上かも」
葵は答えなかった。
チャイムが鳴った。 またしても、大きすぎる。変わらなすぎる。
教室では、二限目の先生が入ってきた。 さっきの先生とは違う。 顔も違う。声も違う。
でも、言った言葉は——
「42ページ」
誰も驚かない。 誰も何も言わない。
気づいたのは、葵だけ。
彼女は本を開いた。 角の折れ目はそのまま。 ピンクのマーカーも。
同じ文章が、線で引かれている。
指でなぞる。 やった覚えはない。 でも、見たことはある。
授業の終わりは、予告なしに来た。 …いや、いつもの予告だったのかもしれない。
葵はノートをしまい、リュックを持って流れに乗る。
廊下で、蓮がすれ違った。 一瞬だけ目を向ける。 葵も見返す。
何か言いかけたような気がした。 彼も。 でも、言葉は出なかった。
ただ、視線だけが残った。
隅の席の女子が、隣を歩いていた。 男子たちが話していたゲームのことを話す。
葵は「うん」とだけ返す。 内容は頭に入ってこなかった。
二人で階段を下りる。
太陽はまだそこにある。 同じ角度。同じ光。
出口の前、葵は窓を見た。
小鳥はまだいた。 同じ葉をつついている。
窓は開いていた。 でも、飛び立つ気配はなかった。
「…あの鳥、ここに閉じ込められてるのかな?」
門を押すと、ギィと音が鳴った。
外の世界は、普通に見えた。 …いや、ほぼ普通。
帰り道はいつも通り。 同じ家々、同じ塀。
でも、何かが足りなかった。
角で立ち止まる。 空いた通りを見つめる。
何かを待っていた。 何かが、いつもここで起きていた気がする。
でも、何も起きなかった。
家の中は静かだった。 母はいなかった。
葵は階段を上がり、部屋へ。 リュックを隅に投げる。 いつもの隅。
スマホが震える。 友達からのメッセージ。
「今日の授業、つまんなかったね〜」
眉をひそめる。 同じ言葉。 同じ時間。
適当な絵文字で返す。 考えたくなかった。
ベッドに横になる。 天井が、前より白く見えた。 …いや、同じかも。
窓越しに、外の音がぼんやりと聞こえる。 特に変わったことはない。
すると、玄関から母の声。
「ただいま〜!スーパー行ってきたよ〜!」
葵は返事をしなかった。 ただ、天井を見つめる。
「…この日、もう経験した?」
そんな気がした。 でも、何かが違う気もした。
深く考えないことにした。
目を閉じる。
すぐに眠りについた。
同じように見える日々がある。 でも、変化はいつも音を立てるわけじゃない。
時には、ただの名前だったり。 ただの視線だったり。 重さの違う沈黙だったりする。
そして、何かが欠けているとき—— その瞬間から、すべてが気になり始める。
誰も何も言わなくても。 すべてが元の場所にあっても。