7 初任務
依頼書を見た時は、目を背けてしまった。
依頼人はセレーナ・ルネベル、イズルが受諾した。
かつては姉妹のように連れ添った一つ年上の令嬢だ。
初めての仕事が貴族関連とは皮肉なものだった。
シーフに役立つんじゃないか、とイズルはほぼ私に丸投げだ。自分で考えてみろ、ということか。
控室での準備中、鏡の前で首を捻って、化粧に違和感がないかを確認した。
誰が見ても侍女の姿がそこにあった。左頬の次は右の頬を確認。完成度が高まるほど落胆した。
姿見には見慣れない、白いエプロン姿の私が映っていた。髪も動きやすさを重視して、まとめた。
貴族だった私の姿はない。
内面と外見のギャップにため息を漏らした。
控室で、セレーナさんは驚きの眼差しで見守っていた。
「サラ様は昔から手先が器用でしたものね」
悪気はないのだろう。侍女に変貌を遂げた私に対して、セレーナさんが合わせた手の指先を、拍手するように小さく動かす。
「これからは昔のようにサラで結構です。今夜はあなたの侍女ですから、”様”など不要です」
彼女を見てると、幼いころに一緒に遊んでいた記憶が蘇る。一つ年上の彼女は今も華やかな世界を闊歩している。私は彼女の部屋で侍女に扮し、泥臭く生きてる。
それでも、目標への大事な一歩だ。全力で依頼を遂行する。
「サラ……かつてはそのように呼んでいたのに、今となってはひどく懐かしい」
「このような形で再開するとは思っていませんでしたが」
私にはセレーナさんのように郷愁に浸っている時間などない。
どのように侍女という役割を演じ切るかだ。かつて私に仕えた彼女たちの記憶を呼び起こし、自分の意識を投影する。
彼女たちは主のどこに注意を払ったか、何を見て、聞こうとしたのか。
「ごめんなさいね、他愛もない依頼で」
「私はそうは思っていませんわ」
婚約破棄、貴族の間で道楽化しているのか、パーティー会場でわざわざ宣言して人を傷つける。そんな悪趣味な娯楽とも言える行為が横行している。
私は涙で会場を後にする女性を何人も見ている。
依頼内容は婚約破棄されたセレーナさんを速やかに連れ出すこと。
慣れ親しんだパーティー会場に、ドレス姿ではなく、侍女としてセレーナさんの後ろを歩くのは抵抗がある。
とはいえ、イズルに任せきるのは危険だ。
「あなたがこの依頼を担当してくださると知ったときは、本当にびっくりした」
「師事してる方の意向ですわ。私でしたら受けてません。私はこの世界から離れた人間ですから」
「それでも、お礼を言わせて。あなたが傍にいてくれるからこそ、私はこんなにも落ち着ていられる」
彼女の婚約者ノエラン・エグレイドが今夜、婚約破棄を宣言するのだという。両家に政略的な意図は弱く、婚約関係は二人の想いによって支えられてきた。
セレーナさんを幼いころから姉代わりに慕っていた私にとって、二人の関係は眩しく憧れのものだった。
いつしか、そのような関係が自分にも訪れるものだと思い込んでいた。
そのこだわりが、政略結婚でのし上がった我が家の根幹を揺るがす結果に繋がってしまった。
「悔しくないのですか?」
ノエランに想い人が出来たとのことだ。二人の関係は簡単に壊れてしまった。
「誰が誰を好きになるかは……自由ですもの」
「相変わらずお優しいですわね。でも、その考えは、自身の心を殺しかねませんわ」
自分自身を大切にして何が悪い。あなたは自分に厳しいわけじゃない。それは心を粗末に扱っているだけだ。
胸の奥にちらつく炎を感じて、姿見の自分を再確認した。
今の私はセレーナ様の侍女、依頼を遂行すべき冒険者なのだ。
気持ちを抑える。扉の外で動物の鳴き声が聞こえた。
セバスチャンだ。出迎えようとすると扉が開いた。従者に扮してジャケット姿になったイズルだった。
「え……と、ノック……」
「チッ、着替え終わってたか、急いできたのに」
イズルの肩から降りたセバスチャンが、テーブルを蹴り、私の肩に乗る。
眉間に指を当てる。
少し、考える時間が欲しい。
え、ノックしないなんてこと、あり得ますの?
いや、こいつはしない。
「あなた、何しに来たんですの。レディーの部屋にノックなしで入るなんて、ふざけるな、ですわ」
「あ、忘れた」
「忘れたじゃありません。あなた、舌打ちしてましたわよね。絶対わざとですわ!」
「サ、サラ。あなたどうしたの急に。いつものあなたと違う」
穏やかに話していたセレーナさんが、慌てて間に入る。
「違っても構いません。この平民にはきっちり礼儀作法を教えてあげませんと」
「おい、オレ、師匠だぞ」
「やっかましい」
「こら、物を投げるな」
イズルはセレーナさんの肩を掴んで、小さな背中に身を隠す。
こいつ、ご令嬢に対して何て不敬な。
「セレーナさんから離れなさい。少しボコボコにして差し上げますわ」
「断固拒否する」
「あわわわ」
セレーナさんがイズルに振り回されよろめいた。
「やめなさい。セレーナさんが転倒してケガでもしたらどうなさるつもり」
「優しく抱きとめるから大丈夫だ」
「触るなっての!」
「二人とも待って!」
セレーナさんの声が響いた。
体が、固まる。穏やかな人の一喝は時間を止める効果でもあるのかしら。
セバスチャンまでもが静止している。
「まあ、そう怒るな」
イズルがポケットのクルミをセレーナさんの口に押し込んだ。
だから、なぜあなたは、ポケットに直でクルミを入れてますの!
しかも素手で淑女に食べさせるなんて。
「苦い……です」
クルミを飲み込んでセレーナさんが言った。
「そうか? 見てろ、こいつは喜んで食べるぞ」
イズルは空中にクルミを連続で弾き飛ばした。
影が走る。セバスチャンがクルミを咥えてテーブルに降り立つ。手を使っていない。私が見た時より技術が上がってますわ。
「凄い」
振り返ってセレーナさんがイズルを見上げて絶賛する。
なぜ、少し仲良くなったような雰囲気になってますの?
「行け、あんころもち!」
次は三連続でクルミを口に納める。
「素晴らしいわ、あんころもち」
セレーナさん、私のパートナーの名を間違って覚えないでください。
「あんころもちではありません。セバスチャンですわ」
「何でもいいや。主人を喜ばせてお前は優秀なヤツだな」
イズルが、食べ終わったセバスチャンの体を撫で、私のエプロンの裾を摘まんだ。
「うまく化けたな」
「どこから見ても、侍女ですわ」
力強く両拳を握る。
セバスチャンを手に乗せ、肩に置く。軽く鼻をつつく。
セレーナさんが首を傾けて微笑んだ。
「少しは力が抜けたか、気楽に行けよ」
「何ですの、その、オレがリラックスさせてやったみたいな言い方は?」
「別に。お前は完璧すぎるからな。もう少し崩した感じでもいいんじゃないか」
「完璧な侍女がコンセプトですから問題ありませんわ」
「やっぱり、シーフ向きだな、サラは。変装といい、キャラ作りといい、人を騙すのに向いてる」
「短剣士です。ジョブは関係ありません。これまでの経験を生かしただけですわ」
仮面を被ることも、演技をすることも、幼い頃からしてきたこと。
人を騙すことに違和感はない。
これまでのような、貴族としての振る舞いを、侍女としての自分に移し替えるだけだ。