4 私のジョブは?
ギルド名簿に登録する際には、ジョブを記入する欄がある。
依頼人が確認したり、クエスト紹介の際にギルド側がチェックする項目らしい。
イズルは剣士、私は空欄。
学院での査定では剣士だったから、「剣士」にすればいいと思うのだけれど。
「レヴィアが言うには学院の査定は簡易的なものなんだってさ」
世界屈指の大魔法使いを呼び捨て。誰でも呼び捨てにしますのね、この男は。
「じゃなかった。レヴィア先生だった」
遅い。訂正がワンテンポ遅い!
「サラも一度査定してもらうといい」
「で、この先にレヴィア先生のお宅があるんですの?」
弟子入りの翌日、私はイズルに連れられレヴィア先生の家を目指していた。
「あそこだ」
森へ入ってしばらく進むと、見晴らしの良い湖畔に辿りついた。
爽やかな風が吹き、水面に柔らかな波を起こす。底を確認できるほどに透き通っていて、覗いた顔が水面に反射する。
夜間には月が写り、神々しく輝くだろうことが容易に想像できた。
レヴィア先生の家は白い半球状の形をしていた。
「ほら」
家の前に立ってイズルが手を伸ばす。
はたき落した。
何ですの、この無礼な輩は。
「私のシショーになったからと言って、気安く触ろうとするのは、やめてもらいたいものですわね、シショー」
「違うって。オレと手を繋がないとここに入れないぞ」
「は? もっと上手な嘘をつきなさいな」
「嘘じゃないって。疑うなら一人で入ってみろ。壁に触れば入れる」
「言われなくてもそうしますわ。残念でしたわね。私を騙すことができなくて」
丸みを帯びた壁に触れる。ひんやり冷たくて心地いい。
手が壁に沈み込む。ほら御覧なさい。簡単に入れる。肘まで飲み込まれると、一歩踏み出した。全身が白い壁に溶け込んだ。
まるで、水の中に沈み込んだような世界だった。
空間が波打つ。視界が、揺れた。耳を塞がれ頭を振り回された感覚があった。
上下が逆転する。胸が酸素を欲した。
全てが朧気だった。確定できるものが何もない。手を伸ばす。確実に掴めるものが欲しい。
手首を引かれた。
急激に酸素が、なだれ込む。胸を抑えてせき込んだ。
「だから言っただろ。オレとレヴィア以外が入ろうとするとこうなる。で、どうする?」
どうするも何も、実質選択の余地などない。
私は手を差し出した。
「不埒な気持ちで握るのは許しませんわよ、シショー。仕方なく、ですのよ、シショー」
「シショーシショーうるさいな。敬意なんてないだろ」
「感謝と敬意しかありませんわ、シショー。不肖な弟子を拾って頂けたのですから、シショー」
イズルに手を引かれて白い壁に入った。
「あーうっとうしい。もう好きに呼べ」
ふん、ちょろいものですわ。
全て計画通り。
これからは存分にイズル、とよばせて頂きますわよ。
次の瞬間、足が浮き、ひっくり返った。背中に痛みはない。体が宙を漂う感覚だ。
私たちは室内にいた。
瞼を開くとイズルは軽やかに空中を歩いて、天井に向かっていた。
重力が弱いのだと気付く。
「こっちへ来い」
イズルの声が降ってきた。外観からは想像できないくらい高い天井だ。
魔力に満ちた室内は、外界とは異なる重力に支配されてるらしい。
両手を左右に伸ばして、バランスを取りながら立ち上がる。
来い、なんて簡単に言ってくれますわね。
足の裏がふわふわして、体の重みをまるで感じない。集中を切らせば、どこまでも落ちていきそうだ。最初の一歩すらためらった。
「迎えに行ってやろうか」
「結構ですわ!」
助けなんていらない。自力であなたのところへたどり着いて見せます。
重心に意識を向けて空気を踏む。微かに沈む。ほら、これくらいなんともありませんわ。
後は、足を、前へ、出すだけ。
唾を飲み込んだ。
大丈夫、かしら?
ちょんちょん、と爪先で空中を叩いて安全を確認していると、一筋の影が走った。
目の位置に現れたのは、一匹のリスだった。
私の退学届を盗んだリスですわ。その妙に愛らしいくりくりした、無邪気な瞳には覚えがあります。
リスは両手のクルミを口に入れ、首を捻ると、飛び跳ねて天井へと走った。
身のこなしは、まるで私を導くかのよう。私は右足に体重をかけると、テンポよく左足を空中に投げ出す。
ほら、コツをつかめば、何てことありませんわ。
リスを追いかける。
気持ちいい。
透明な天井に向かって駆ける。降り注ぐ太陽の光を目指す解放感に酔いしれた。
頂点に到着すると、レヴィア先生に頭を下げる。
「こんにちは。レヴィア先生、本日は査定していただけるようで、ありがとうございます」
「そんなにかしこまらなくていい」
レヴィア先生が腕組みをした。
「挨拶なんて、適当でいいんだよ、適当で」
「イズルは私に対して敬意が足らんな」
「レヴィアには感謝してるけど。いろいろと」
「あなたは態度が悪すぎますの」
私の指摘にイズルが手を打った。
「あ、違った。レヴィア先生って言うんだった」
「訂正するタイミングが遅い!」
息が切れる。
イズルのせいなのか、天井まで走ったからなのか、とにかく疲れた。
「バランス感覚に優れてるな。この空間で、これほどすぐにコツを掴める人間はそういない」
「イズルより才能ありますか?」
ふふん、そのうち私のことを師匠と呼ばせてあげますわ、イズル。
「イズルとは比べない方がいい」
何ですの、そのイズルは別格、的な言い方は!
「あのー、それは私がイズルに勝てないとか、そういう……」
「人にはそれぞれ適正があるからな。君の身体能力には十分優位性がある」
喜ぶところなのかしら、それは。まあ、誉め言葉と受け取っておこう。
「さて始めるか」
レヴィア先生が指を鳴らした。
重力が戻る。勢いよく天井から落下する。
着地する寸前、空気の塊を差し込んだかのように体が弾んだ。音もなく、両足が床面を掴んだ。
最後に、泥棒リスがイズルの肩に降りた。
小さく鳴き声を上げる。
「お、あんころもち。腹減ったか」
そう言って、イズルはリスにクルミを渡した。
「何ですの、その名前!」
「え、名前だけど」
イズルとリスが同時に私を見る。
おかしな人を見るような目はやめてください。
「なぜ、その名前? 他にもっといい名前があるでしょう」
「そうか? 餌を頬張ってる顔見てたら、あんころもちだって思ったんだけどな」
「そんな間の抜けた名前許せませんわ。リスがかわいそう」
「じゃあ、リスって名前でいいか」
「ダメです!」
飼うなら、もっと気品のある名前にして差し上げなくては。
そう、例えば……
言葉を発しようとすると手を鳴らす音がした。
「始めるぞ」
「は、はい」
レヴィア先生の宣言に背を正した。
そうだった。本日はレヴィア先生の査定を受けに来たのだ。リスの名付けに来たわけではない。
呪文を紡ぎ始める。発する魔力で、ふわり、とレヴィア先生の長い髪が舞った。断続的に噴き上げる力で紫紺の髪が宙を漂う。神々しい空気感が場を満たした。
レヴィア先生の魔力は柔らかく空間に浸透する。魔法の発動は察知できないほど滑らかだ。それでいて威力も絶大だ。
一流の魔法使いですら、辿り着けない境地だった。
授業で彼女が魔法を披露するときは、全生徒がその所作を記憶に刻もうとする。
横で、イズルが欠伸をしながら、クルミを食べていた。
こいつは……
レヴィア先生の手の中に器が宿る。透明のグラスに灰色の液体が宿っていた。
既に学院の査定とは異なる色だ。私は、赤色の剣士適正のはず。
「量は半分程度……」
おかしい。学院の査定では七割ほどが赤い液体で満たされていたはずなのに。
破裂音とともに魔法が解除された。
「灰色とはいったい……」
「ジョブ欄にネズミって書いとけばいいんじゃね?」
「やかましい!」
「おい、オレ、一応師匠だぞ」
キイキイうるさいシショーですこと。考えがまとまるまで、猿轡でも噛ませてやりましょうか。
「ネズミが嫌ならジョブ欄、あんころもちでどうだ?」
ハンカチをイズルの口に突っ込んだ。あれはもう破棄ですわ。
「先生、査定の結果はどういう意味でしょう?」
私の問いかけに、レヴィア先生は唇に指を当てて答えた。
「灰色ということは、シーフだな」