10 短剣士
扉を閉めると、ポケットからセバスチャンが顔を出して、辺りを見回した。
出てくるのはまだ早いですわ。そっと撫でると、セバスチャンは頭を引っ込めた。
その様子に微笑んでいたセレーナさんが深く息をついた。
「私、こんなに大胆なことをしたの初めて」
「どうして、あんなことをおっしゃったのです?」
あなたよりもずっと魅力的なお方です。
わざわざ、あんなことを告げなくても、会場の空気は壊れていた。何もしなければ、「使用人が勝手にしたこと」で通せる。
セレーナさんが行動したことにより、彼女は騒動の「当事者」になってしまった。
私の問いかけに、セレーナさんは弾かれたようにイズルを見つめ、首を捻った。
「考えてませんでした。こんなこと初めて」
ただ、とセレーナさんは胸に手を当てる。
「イズルさんのことを、心強いと思った途端、言葉が出てきた……」
それはどういう意味ですの。
質問を重ねようとすると、イズルが割り込む。
「そうだろう、そうだろう。あんなヤツ、たまには恥かいた方がいいんだよ」
響いた声が廊下の空気を凍てつかせた。
広間から出たことで気持ちが緩んでいた。
ここはノエランの屋敷だ。つまり、警備する兵士たちは、私たちに危害を加える敵になりうる。
「最後のあいつの顔見たか、真っ青になってたぞ。隣の蛇女もこんな目してたぞ」
イズルが指で吊り上げて真似をする。
あなたは少し空気を読みなさい。
「おい!」
傍の近衛兵が声を荒げた。
私はイズルの耳たぶを引っ張った。
「いてっ、何すんだ」
「お疲れ様です」
セレーナさんが行儀よく頭を下げる。
イズルを自由にさせてはいけない。こいつは体中に爆弾をぶら下げて火遊びしてるような人間だ。
私は足早に廊下を進んだ。
近衛兵の瞳が、通り過ぎる私たちの速度に合わせて、左から右へと流れる。会場での出来事が伝わっているのか、視線は敵意に満ち、今にも襲い掛かってきそうな雰囲気を醸し出している。
肌に引き絞られるような痛みを感じた。
やけに喉が渇く。唾を飲み込むことさえ躊躇われた。
最後の扉を開けた。星空が広がった。
新鮮な空気が喉を潤した。
扉を閉める重厚な音が響き渡る。
「少々、おふざけがすぎたのではございませんか?」
男性の声に振り返る。近衛兵を従えた男性が一歩踏み出した。
彼が指揮官か。
「そうだな。ふざけすぎだと、お前らの主に言っとけ。これに懲りたら、婚約破棄なんて演劇じみたことはやめとけってな。また婚約破棄されても知らんぞ」
ぶふーっと吹き出し、イズルは口元を押さえた。
だから、あなたはどうして火遊びしたがるのですか!
指揮官は平静さを装いながら、吊り上げた眉を痙攣させていた。
「セレーナ様には危害を加えません。どうかその二人をこちらにお引渡しいただけますようお願いします」
「そうか!」
ひらめいた、とばかりにイズルが声を上げた。
「お前、怒ってんのか? 無理もないな、公衆の面前で振られて、平民に婚約者を攫われたんだからな」
「貴様!」
気色ばんで叫んだ指揮官が、一回転して地面に倒れた。
「先に行ってろ」
私とセレーナさんを背中に押しのけ、イズルが言った。
何が起きたのか分からない。
それは茫然とする指揮官本人も、近衛兵たちも同じようであった。
朧気にイズルの動きを輪郭だけ捉えることはできた。指揮官との距離を詰め、彼の剣を奪い取り、足払いをかけた。結果として彼は地面に突っ伏している。
これがギルドナンバーワンの実力なの?
いや、きっとイズルは片鱗すら見せてないのだろう。表情にはそれほどの余裕がある。
「持ってけ」
イズルは私に革袋を押し付けた。魔法石と結界石を収納したものだ。魔力を使わずとも、魔法や防御障壁を発動できるアイテムだ。
「あなたの分は?」
「いらん。お前は弟子だからな。全部やる」
この状況で師匠振るなんてズルいヤツ。でもイズルと私にはそれだけの差がある。セレーナさんも守らないといけない。
ありがたく貰っておく。
初めての実戦で使うことになるかもしれない。アルテナ学院で学んだことを掘り起こしながら、セレーナさんの手を引いた。
「行きますわよ」
「イズルさんは?」
「あのバカ師匠に勝てる人間なんて、ここにはいませんわ」
「信頼しているのね」
「してませんから!」
暗闇の中を駆け出す。地面を蹴るタイミングと心臓の鼓動が連動する。
イズルから離れての単独行動、迎えることになるかもしれない実戦。走った影響なのか、緊張によるものなのか、いずれにせよ、私は今冒険者としての経験を積み上げている。
月明りに浮かぶ人影を認めて足を止めた。
風が心地いい。頬を拭った。手の甲についた汗を見て、自分が冒険者として歩み出していることを実感した。
それがいい。貴族と冒険者、両方を味わえる人間なんてそうはいない。だからこそ楽しい。
私は悪役令嬢などと揶揄された自分に誇りを持ちながらも、冒険者として高みを目指す。
セレーナさんに後方へ移動するよう促す。
「ケガをされては困ります。ご令嬢、こちらへどうぞ」
警備兵の一人が言った。
「そちらの使用人、いえ、元ご令嬢とでもお呼びしましょうか」
警備兵と門番たちの間で笑いが起きた。
私のことを知っているということか。良かったですわね、私のことを覚えておける頭があって。
褒美に蔑んで差し上げましょう。路傍の石による戯言ならば、怒る価値もない。いえ、そもそも聞こえませんわね。
「降参をおすすめしますよ」
ドッと笑いが起きる。
「心配無用」
私は胸を張り、彼らを見渡す。
「降参しては、私ごとき小娘に叩きのめされる警備兵の顔を拝めませんわ」
ほほほ、とかつて社交場で培った笑顔を披露致しましょう。
何年もかけて、笑顔で相手の心を抉る術を体得しました。あなたたちが思っている以上に、女性貴族は心の機微を扱う技術に長けておりますの。
私と会話できるだけでもありがたいと思いなさいな。
「その言葉後悔するぞ」
ほら、緊迫度が増した。
「もっと下がって」
セレーナさんに指示する。
分かりやすい方たち。直情的になっていただき感謝します。経験値の浅い私でも、動きが読みやすくなった。
意味不明なイズルを相手にするより、よっぽどやりやすい。
思い通りに形成した有利な状況は、私に落ち着きをもたらした。
あいつの顔を思い浮かべると心臓の高鳴りがおさまってくる。彼の桁外れの動きを見てきた。
門番と警備兵の三人が槍を構えて突進する。
怒りにまかせた直線的な動き。速度も遅い。イズルとは比較にもならない。
動きを予測し、足元を崩すべく魔法石を転がす。発動した魔法石が雑草を伸ばし、足首に絡みつく。自由を奪われ、三人は転倒した。
残り二人。彼らは冷静さを失っていなかったのだろう。だが私に焦りはない。三人を無力化したことは、私に自信をもたらした。
ポケットからセバスチャンが飛び出した。魔法石を持っている、息はぴったりだ。
私は逆方向へ走る。先ほど見た、イズルの行動をなぞる。
槍をかわし、手を伸ばす。
届く、か?
そう問いかけたとき、指先と警備兵の腰付近に一本の糸が繋がった。
成功するのだと確信した。指が警備兵の短剣に触れた。抜き取る。
向かい側で鋭い光が炸裂した。セバスチャンが使用した魔法石だ。対象者の視野を光が飲み込み、警備兵を大木に叩きつけた。
あとは私だ。
足をかけて横転させ、奪った短剣が、吸い付くように警備兵の喉元に触れた。
私は自分の手に違和感を覚えていた。アルテナ学院での適正は剣だった。私は剣を振るっていたが、常に仄かな重みを感じていた。
この短剣は違う。体の一部のように軽やかに扱える。単に武器の重量ではない。
どれだけしっくりくるか、手に馴染むかの違いだ。適正武器を扱うというのは、きっとこの感覚だ。
短剣は冒険者としての私を作り上げる。だから私は短剣士なんだ。




