雨の路地にて
出てくる人達
一色青葉 とある田舎の拝み屋さんの妹。
夜野陽介 拝み屋さんの幼馴染。
千寿魁人 家電量販店で働いてる。
一色透太 拝み屋さん。家電と相性悪い。
で、お送りします。
しとしとと雨が降る。
夏の雨は、暑さと湿気の戦いだ。多くの家が窓を閉め、クーラーをガンガン利かせているのか、室外機からの熱もすごい。そのせいか、この路地の空気は温かった。
一人の男がその路地を、片方にタバコと傘、もう片方でスマホを弄りながら進む。スマホに夢中のようで、タバコは少しずつ、路地に灰を落としていく。
ところでこの路地、大人二人が並んで歩けない程、狭い。傘を差していれば尚更なのだが、男の目は小さな画面に固定され、周りを気に掛ける素振りも無かった。
三叉路に差し掛かると、正面に小さな祠が見えてくる。その時、男はようやく顔を上げ、タバコが終わりかけているのに気付いた。
「うわ勿体ね、全然吸えてねぇし」
男はタバコを投げ捨てた。祠に向かって。
それは屋根部分にトン、と当たって転がっていく。
「惜っしー。前は入ったのにな」
まだ細い煙を上げていたタバコは、雨に打たれ湿気ていく。
男はスマホを弄りながら、左へ曲がる。視界に、靴が入ってきた。
「見てたよ。拾いなよ、タバコ」
は?と顔を上げれば、黒髪の少女と目が合った。
「ポイ捨てなんてありえない。マナーぐらい守ったら?」
見覚えのある制服。近くに高校があったなと、男は思い出す。少女は、正面に立ったまま動かない。拾うまでどかないつもりだろうか。鼻で笑う。
「真面目かよ。誰でもやってんだろ、なんで俺だけ注意されなきゃいけないワケー?」
「今、私の目の前には、おじさんしか居ないでしょ」
「おじ、」
「吸うなとは言ってない。ただマナーぐらい守ってって言ってるの。携帯灰皿知らないの?自分が出したゴミくらい自分で始末つけられないの?」
淡々と、しかし男をしっかり見据えて言葉を重ねる。
「神様にまで失礼な事して。謝らないと、」
「バチがあたるって?くだらね。オカルトとかホラーとか本気にしてるってヤバイんじゃね?」
「私が言ってるのは、オカルトでもないしホラーでもない」
「次はアレ?実は視えるんですー、あなたの後ろにーとか」
少女はぴたりと口を閉じ、不愉快そうに眉を顰める。まともに聞く気がない男の態度は、何処までも横柄だ。
雨が強くなってきた。バタバタバタと、二人の傘を叩く。
「居るよな、そうやって騒ぐかまってちゃん。お前そう言ってさ、周りにかまって欲しいだけなんだろ?わーすごいーとか、言われて褒められたいとか?」
承認欲求エグ!男は嗤う。
しかし、対する少女は真顔で見返すだけ。
「…モグリか」
「は?」
「私の兄さんを知らないなんて…。おじさん、ガチのモグリだったんだ」
「はぁ?何でお前の兄貴が出てくるワケ?つーかおじさんじゃねーわクソガキ」
少女は、男が凄んでも怯まない。しっかと立ち、拾っていけとばかりに指す。
元々、思い通りにならない事が嫌いな男は、苛々と睨みつける。しかし、相手は女子高生。此処で手を出し、悲鳴でも上げられたら、こっちが悪人にされてしまう。
舌打ちしながら、タバコを拾い……祠の中へ、投げ捨てた。
「これでいいんだろ?ゴミ箱に入れましたよー、クソ真面目ちゃん」
少女の顔が呆気に取られている。少し溜飲が下がった男は、方向を変え反対側へ。遠回りになるが、これ以上言い掛かりを付けられるのは腹が立つ。
……あれほど傘を叩いていた、雨の音が止んだ。男は怪訝な顔で傘をずらし、空を見上げる。
電子音が鳴った。
「もしもし、陽介さん?……え?兄さんがどしたの?……うん、そうだけど…」
『いやさ、その路地から出ろって透太が。青葉ちゃん、誰かと居る?』
「知らないモグリなら」
『モグリだって。えーと、その知らない人はもう放って、今すぐ出なさいって』
「兄さんがそう言うって事は、」
少女……一色青葉は、男に目を遣った。
男は傘を落とし、空を見上げ呆けている。後生大事に持っていたスマホも、水たまりに落ち、雨に打たれていた。
青葉はスピーカーに切り替えた。
「兄さん、何が起こってるの?私視えないけど、モグリがおかしいのは分かる」
『そいつの自業自得だって』
「陽介さん、スピーカーにして。助けられないの?」
『…え?俺の声届くの?そうなの?……青葉、まだ居るだろ。そいつはもうダメだから、気付かれる前に離れなさい。俺に出来る事はない』
「でも、」
男の両足は浮いていた。呆けていた表情が、苦悶に変わっている。
ばたばたと足を動かし、……まるで、自分の正面に何か居るように蹴っている。青葉の事は見えていないようだ。
『そいつ、三叉路にある祠にタバコ捨てたろ』
「み、視えたの?」
『視えたっていうか、視せられた。そいつ何も信じてないんだよ。神仏に対する、畏れもない。だから平気で踏み躙る事ができる』
兄……一色透太の声は、驚く程低い。相当お怒りだ。
普段は優しい兄で、相当な事をやらかさない限り怒らないのだが。その声音だけで、青葉は思わず姿勢を正してしまう。恐らく、一緒に居る陽介も同じであろう。
『あちこちで似たような真似してる。長い反抗期なのか無駄に周りに喧嘩売って、自分から怒りを貰いに行って、正直関わりたくない人間性だ。一番最悪なのが、御神体盗もうとした件』
『と、盗ったのかよ?!』
『未遂だよ。…何度かあった筈の警告も、効いてない。そいつには罪悪感の欠片もないから。……それだけやってれば、見放されもする。だからあお、』
「ガッ……っっグダグダ、喋ってねーで助けろよ!!?動けんだろクソガキ!!このバケモン何とかしろよボケ!!見殺しにするつもりかあぁぁ??!」
男の喚き声で、ナニカが青葉に気付いた。視えないが、目が合ったと分かった青葉は硬直する。身が竦む程の殺気が圧し掛かる。
怒りだ。
ナニカは、酷く、怒っている。重く、静かに。
『青葉』
兄の声は聞こえるが、青葉は動けない。返事ができない。
ナニカが来る。
手を伸ばして、引き込もうと。
視界の隅で、男が這って逃げる姿が見えた。
『悪い、スマホ壊す』
『え、』
「 、え、」
『――散れ』
陽介と青葉の呆けた返事の直後、透太の冷たい声音と共に、スマホが弾ける。
同時に、ぱんっと乾いた音が路地に響いた。
「………?」
動ける。ざあ、と雨の音が戻ってくる。
辺りを見回すが、あのナニカの重い気配は無い。
濡れているのに気付き、青葉は落としてしまっていた傘を拾い上げる。壊れたスマホも。
まるで何もなかったかのような、静かな路地。祠もそこにある。
その前に落ちたままの傘と割れたスマホと、……ズタズタになったタバコの箱。残っていたらしい中身も、同じく。それで、現実にあったと思い知らされた。
「これ、私が片付けるの…?」
青葉は男が逃げた方向を睨む。
しかし、兄の警告を聞かず、もたもたとしていた自分も悪い。
「陽介さんが来るかな……多分」
力を使った後の兄は、疲れて動けなくなる。今頃、陽介を此処へ走らせているだろう。
青葉は大きな溜息を吐くと、エコバック代わりのビニール袋を取り出した。
「大変でしたね。こちら、同機種になります」
「ありがとう。いつもごめんね、千寿さん」
「いえいえ。微力ながらでも、透太さんのお力になれるのなら喜んで。例え透太さんが来店され、全ての家電が破壊されようとも、モーゼの奇跡を見たと私は自慢します」
「いや、透太は破壊神じゃねーし。間違ってもこねーよ、家電量販店なんて」
「黙れ無能が。幼馴染というだけで透太さんの相棒気取りか。私は認めない」
「青葉ちゃんと全然違くない?!あと普通に酷くない!?」
あの一件から数日後。
青葉と陽介は壊されたスマホと共に、この田舎にある唯一の家電量販店に来ていた。ここでも、一色家の事は知られている。透太と家電の相性が最悪である事も、周知済みだ。千寿が新人教育の際に、一番重要だと教え込んでいるらしい。
そんな、二人の対応をしている千寿という男。過去に透太に助けられて以来の、
「千寿さん、兄さんのガチファンだから。陽介さんが気に入らないって、前々からよく言ってる」
「よく言ってるの?!それ悪口だね!だからお前、俺への接客ずっと雑なの??!」
「気に入らないが客は客。対応しているだけありがたいと思え」
「こんな尊大な店員初めて見た!」
騒がしいが、店長を始めとした店員達は、全員事情を承知しているので気にする者はいない。
それより、と千寿は話を変える。
「修理不可能までになっていたのは、透太さんが本気を出した証拠なんでしょうが……何があったか伺っても?」
青葉はちらと陽介を見る。首を縦に振った所を見ると、口止めはされていないらしい。まぁ、千寿は吹聴する心配はないだろう。青葉は掻い摘んで話した。聞き終える頃には、苦い顔。
「……何というか、かわいそうな男ですね。善悪の判断もできないなんて…同情はしませんが」
「善悪以前って兄さんは言ってた。自分が楽しければいい。それだけしか考えてないって」
「で、最終的には守護霊にも見放されたんだってよ。一応、最後の最後まで助けようとしてたのは居て、そいつが青葉ちゃんから透太に繋げた」
でもな、と陽介も苦い顔。
「そいつが怒らせたんだよなー……透太と神さんを」
「何だと?助けを求めたんだろう。平身低頭土下座して」
「それは知らんけど。そいつが相当、過保護で、孫可愛さっていうの?……教えてもらってないんだからしょうがない、知ってたらこんな事やらない、教えなかった周りが悪いって、ともかく助けろそれがお前の役目だろって……透太に喚いてたんだと。この時点で神さん、めっちゃ怒ってて」
普段、視えない聞こえないの陽介ですら、それが嫌という程分かる空気であったそうだ。
「そんなだから、透太も動かないだろ。だから離れろって電話したんだけど、よりにもよって、青葉ちゃんを身代わりにして逃がしたからさ」
男が声を出せたのは、その守護霊の仕業であった。ナニカの標的が青葉に向くように。
「それは……さぞお怒りであっただろう…」
「マジで恐かった」
見下ろす先にある陽介のスマホは、見事に破壊されている。原型を留めているのが不思議なくらいに。青葉のも似たようなものだ。
「逃げられたのが惜しいな。透太さんの許可さえ頂ければ、私のツテで探し血まつ、ではなく教育的指導を施しますが」
千寿は、途轍もなく荒れていた過去を持つ。生き方を改めた今でも、かつての仲間とは仲がいいようだ。彼の持つ情報網は、侮れない。
千寿のそれは、予想していたので青葉は首を横に振った。
「それはいいって兄さん言ってた。勝手に自滅するだろうから」
「自滅…。でも、その厄介な過保護が居るのなら、また誰かを身代わりにするのでは?」
青葉はにやりと笑い、きりりとした顔を作ると、兄の声音を真似た。
「神さんを怒らせて、無事でいる筈ないだろ。あの男を守るモノは、もう居ない」
おぉ……!!と、目を輝かせる千寿には、透太が見えたらしい。祈りを捧げそうな勢いだ。
陽介はそれを、新しいスマホで撮っている。
「そういうワケだから、それらしき男見付けても、関わらない方がいいってさ。透太が祓ったのは一部で、大本はまだ居る」
「祓う必要があるか?俺はそこまで優しくないんだ」
「何処までも慈悲深いと思えば、時に無情なまで冷酷…!!流石透太さん一生付いていきます!!!」
千寿は歓喜に身を震わせ、もう祈っている。兄自慢ができた青葉は満足そうだ。
聞いてるー?と言いながら、陽介は動画をしっかり保存。
見るくらいなら可能な、家電オンチの幼馴染に見せるつもりだ。
「今日もよく降るなー…」
外は雨。家庭菜園で青々とした庭は、恵みの雨を全身で受けている。
透太はそれを眺め、掃除をしながら、独り言つ。
清めた神棚を見上げ、満足気に頷いた。
……あの男は、相変わらずのようである。止めるものも無くなったせいか、増長の一途。近い内、怒りの大本が来るだろう。
あの男の不始末で火事となり、居場所を失った土地神の怒りは、凄まじい。人がどうこうできる時期は、とうに過ぎている。自分が起こした不始末は、自分でなんとかするしかない。
所詮ただの人である透太も、何もできないのだから。
「あぁでも……縁ができたし、終わったら来るかな?」
社の方は、地元の人間達が再建準備中だ。それまでは、仮の社に落ち着いてもらおう。
「神さん、一時的ですが、お仲間が来ますよ。その時は、よろしくお願いします」
祈る透太に返事をするように、かたんと軽い音がした。
神さん→ とにかく家電を壊しまくる破壊神。悪気はない。なんか知らんが壊れる、と言っている模様。透太、強制的不便のある生活。でもあまり不満はない模様。
ただ、これだけは…!!と訴えられた冷蔵庫、洗濯機、テレビは頑張って壊さないようにしてる。
テレビは神さんも見てる。