82.お風呂ビジネス
「しかし、温泉と同じような使い方、なあ…」
大浴場を見渡し、ロベルトが首を傾げる。
「そんなに需要、あるか?」
「…いや、行けるかもしれん」
ハドリーが顎に手を当てた。
「王都に似たような施設がある。あちらのメインは風呂ではなくサウナだが、相当な人気だそうだ」
一応温泉地以外の前例があった。
「それにここは、冒険者ギルドの裏だからな。上手く誘導すれば、ギルドに帰還した冒険者がそのままこちらに来るよう仕向けられるのではないか?」
「あら、それ良いわね。冒険者連中だけじゃなくて、ギルド職員が仕事帰りに寄ったりもできそうだわ」
南の半島や北の平原で依頼をこなした冒険者たちや、1日中働いたギルド職員たちが、疲れを癒すために風呂に来る。なかなか良い流れだと思う。
《冒険者向けなら、お風呂に入ってる間に服の洗濯とか装備の補修とかしてくれるサービスがあると嬉しいんじゃない?》
「確かに…体を洗っても、また汚れた服を着るのでは意味が無いですからね」
「洗濯はともかく、装備の補修はすぐには無理だろ」
「ならば、修理の方は受付窓口だけ置けば良い。ここで修理の見積もりと受付を済ませて装備を預け、後日、武器屋に受け取りに行くという形式なら成り立つだろう」
どんどんアイデアが出て来る。
「あと、お風呂上がりに飲み物は欲しいよね」
「厨房で用意する事はできそうだな」
「じゃあやっぱり、酒を──」
「ダメ」
《却下》
「ぐうっ…」
酒を飲む案をまだ諦めていなかったらしい。
ロベルトの提案を再びイリスとラズライトが切り捨てていると、ヴィクトリアが呆れたように目を細めた。
「あんたはまた、性懲りも無く…」
時と場合をわきまえなさい、と説教するあたり、ロベルトが飲酒を持ち出すのは日常茶飯事のようだ。
「まあ酒は論外だが、冷水や紅茶を提供するのは有りだな」
「お風呂上がりには牛乳も美味しいですよ。お酒は論外ですが」
「回復術師の立場からすると、脱水を防ぐ塩が入った飲み物も欲しいわね。お酒は論外として」
「………お前ら……」
もはや『酒は論外』が枕詞になっている。
ロベルトは恨みがましい目で見て来ているが、ヴィクトリアたちが無視しているので放置で良いだろう。
「さて、色々と案が出て来たが…まずはコストに見合うか、だな」
ハドリーが現実に戻って来た。
温泉だったらお湯自体が供給されるが、これは純粋に大規模な風呂。
上水と、それを温めるボイラーが必須だ。1回沸かして全ての浴槽に溜めるだけでも相当なコストが掛かる。
「見たところ、浴槽に湯を供給する配管は通っているようだが──ボイラーはどこだ?」
「探してみるしかないわね」
ヴィクトリアの一言で、再び地下1階の探索に戻る。
脱衣場から廊下へ出て右に向かい、まず突き当たりの簡素な扉を開けた。
「…備品庫か」
棚の中にずらりと並ぶタオル。どれも上質そうな見た目だ。
その奥に、さらに扉があった。
《まだ部屋があるみたい》
「どれどれ…?」
備品庫の奥の扉の向こうは、
「あったな。ボイラーだ」
レンガ造りの床と壁の中央、巨大な機械が鎮座していた。
機械から伸びた太いパイプが2本、それぞれ別の方向の壁に埋まっている。
魔石灯を復旧させたロベルトが、早速ボイラーの検分を始めた。
「相当初期のモデルだな…骨董品として価値がありそうだ」
「使えるのか?」
「多分使えるが、これは買い替えた方が良いだろ。燃費悪いぞ」
「ふむ」
ハドリーが考える表情になった。
イリスがボイラーの向こう側を覗き込み、あれ? と声を上げる。
「これ、井戸?」
《え? 井戸って……………井戸だね》
ボイラーの後ろ側、隠れるようにして、手押しポンプの据え付けられた井戸があった。
室内、それも地下にあるというのは違和感を覚えるが、どう見ても井戸なのだから仕方ない。
井戸本体は、直径1メートルほどだろうか。
石造りの円柱の上に木の蓋がされ、その上に手押しポンプが設置されている。
ポンプの先端はパイプに繋がり、さらに奥にある巨大なタンクに接続されていた。
タンクにはそれ以外にもう1本配管があり、ボイラーに繋がっている。
どうやら、手押しポンプで汲み上げた井戸水をタンクに一時貯蔵し、それをボイラーで温めて風呂へ供給するようだ。
「なるほど、風呂で使っていたのは上水ではなく井戸水か。枯れていなければそのまま使えるが…」
ハドリーが井戸の蓋の一部をずらし、中を覗き込む。
途端、あ、とイリスが呟いた。
「水の匂いがする。水面結構近いかも」
「わ、分かるんですか?」
恐らくサバイバル生活で無駄に鍛えられらのだろうが、動物並みの嗅覚だ。
1拍遅れて、ラズライトのところにも湿度のあるひんやりした空気が漂って来た。
《確かに、水の気配がするね。腐った匂いもしないし、使えるんじゃない?》
「手押しポンプを魔石ポンプに交換する必要はあるがな」
当時既に井戸用の魔石ポンプは開発されていたはずだが、ボイラーのコストが高かった分、井戸ポンプはケチったのだろうか。
従業員が必死に手押しポンプを操作する画が脳裏に浮かび、ラズライトはそっと目を逸らした。
あの浴場の湯船を全て満たし、かつシャワーなども使えるようにするためには、相当な量の水が要る。
多分、当時の従業員にとって、手押しポンプの仕事が一番の重労働だっただろう。
井戸が屋内にあるのはせめてもの慈悲だろうか。
「しっかし、これは結構手を入れないとやばいな」
ボイラーと手押しポンプ周辺を一通り見て回ったロベルトが肩を竦める。
「ボイラーとポンプ本体も総取っ替えだが、この部屋、換気も足りてないだろ。ボイラーの熱と井戸からの湿気で、サウナ状態になるぞ」
「え、じゃあ昔このお屋敷で働いてた人たちは、そういう状況でひたすら井戸ポンプ押してたってこと?」
「まあそうだろう。一昔前は、高価な魔法道具を買うより、下級労働者に安い給料を払い、肉体労働をさせた方が安上がりだと考える者も多かったからな」
イリスの呟きにハドリーが応じると、ジュリアがすっと目を細めた。
「最悪ですね…」
声がワントーン低い。
どうやら、ジュリアの逆鱗に触れてしまったようだ。
《でも今は違うんでしょ?》
ラズライトがフォローすると、ハドリーがきっぱりと頷いた。
「当然だ。商業ギルドでは魔法道具で代替できる肉体労働は減らすよう指導しているし、今は本体価格も維持管理費も安い魔法道具がどんどん出て来ているからな」
サウナ状態の室内で手押しポンプをひたすら押すような、単純かつリスクの高い無駄な肉体労働は減っているらしい。
大変良い事だと思う。
「まあ今は、変な仕事を命じられたら商業ギルドに駆け込む時代だからなぁ。随分変わったもんだぜ」
ロベルトが訳知り顔で頷いた。
商業ギルドには、不当な労働に関する相談窓口がある。
『あちらの世界』で言う商工会議所的な役割だけではなく、労働基準監督署のような役割も担っているのだ。
へー、と感心するイリスの横で、ジュリアが暗い目をしたまま呟いた。
「私としては、まずは上司に労働時間の長さと無駄な仕事に関する問題に取り組んでいただきたいのですけど」
…色々と、根が深い問題があるようだ。




