3.冒険者
街道のある方向から、近付いて来る気配。
数は3。
この人間とのやり取りに気を取られていて、気付くのが遅れた。『感触』からして、人間──それも冒険者、もしくは狩人といった、武器を持つ者の気配だ。
3人のうち一人は飛び抜けて魔力が高く、魔法を使う者である可能性が高い。
冒険者──『こちらの世界』では比較的一般的な職業である。
『冒険者ギルド』と呼ばれる組織に登録し、様々な依頼を受け、商隊の護衛をしたり、人間社会に害を為す生き物を討伐したり、未踏の地を探索したり、薬草や鉱石といった希少価値のある物を採集したりする。
その仕事は多岐にわたり、その実力も様々。
ついでに言うなら、勇者や英雄と褒め称えられる清廉潔白な人物もいれば、そこらのゴロツキに毛が生えたような輩もいる。
理由は簡単。
冒険者ギルドで簡単な研修を受け、登録さえしてしまえば、誰でも簡単に冒険者を名乗れるからだ。
「──誰か来たみたいだね」
驚くことに、人間もラズライトと同じくらいのタイミングでその気配を察知していた。
ノラがばさりと翼を広げ、おいおい、と呻く。
《どーすんだよ。お前、見付かったらやばいんじゃねーの?》
確かに、仮に相手が冒険者だったとしたら、ドラゴンであるラズライトと遭遇するのは大問題だ。
ドラゴンは強大な力を持つため、本来の棲み処以外の場所で発見された場合、問答無用で討伐対象になる。
──それも、即座にギルドに連絡が行き、上級冒険者による討伐隊が組まれるレベルの。
《…もう遅いよ》
真っ直ぐこちらに向かって来ていることから、既にこちらの存在はバレているだろう。
普段だったら向こうがこちらに気付く前に逃げるか隠れるかするのだが、今回はタイミングが悪かった。
ちらりと人間に視線を投げると、彼女は眉根を寄せて気配のある方向を見遣っていた。
とりあえず、無関係を決め込んで逃げるつもりは無いらしい。
(…せめて、話の通じる相手だったら良いんだけど…)
まず無理だろう。そんな諦め半分の心境のまま、待つこと数分。
「…来たね」
ガサガサと藪をかき分け、3人の人間たちが姿を現した。
「なっ…ドラゴンだと!?」
先頭を切る焦げ茶色の髪の男が、鎧をガチャリと鳴らして目を見開く。
その手には、かなり分厚い刃の長剣が握られている。
こちらを見るなり臨戦態勢に入るあたり、ラズライトの願いは儚い希望と消えたようだ。
「…」
「まずいわね…」
その後ろから現れたがっしりとした体つきの男は、無言で大きな盾を構える。
その男に庇われる形で、いかにも魔法使い然としたローブ姿の女が苦り切った顔をした。
いずれも、冒険者──それもかなりの手練れだろう。
こちらの姿を見て驚きはしても恐慌状態にはならず、最大限の警戒を持ってこちらの様子を窺っている。
臨戦態勢ではあるが、すぐに仕掛けて来る様子も無い。
その理由は、ラズライトの前にあった。
「おいお前、危ないぞ!」
剣士が声を掛けたのは、先客──つまり先程から突飛な言動でこちらのペースを乱しまくっている人間。
冒険者たちのシリアスな空気を完全に無視して、首を傾げている。
「危ないって…なんで?」
「はあ!?」
至極真面目な顔で問われ、剣士が素っ頓狂な声を上げた。
一瞬で緊迫した空気をぶち壊した人間は、冒険者たちとラズライトを見比べながら口を開いた。
「私、さっきからこのドラゴンと話してるけど、別に身の危険を感じるような事、無かったよ?」
「は、話って…ドラゴンと?」
魔法使いが顔を引きつらせる。
うん、とあっさり頷いた人間は、さり気なくラズライトとの距離を詰めながら、
「念話だけど、普通に話せるし。出会い頭に魔法ぶっ放される事も無かったし。頭からガブッと行かれそうになる事も無かったし」
《…君の中のドラゴンのイメージが分かった気がするよ》
ぼそり、彼女だけに聞こえるように念話で呟くが、綺麗に無視される。
「何でそんなに冷静なんだよ!?」
剣士が信じられないものを見る顔で叫んだ。
気持ちはとても良く分かる。
《えーと…、その》
とりあえず、殺気立った空気が薄れたので、ラズライトは念話で冒険者たちに話し掛けてみる。
とたん、剣の切っ先がこちらを向いたが、間合いの外である事を確認して言葉を続けた。
《一応聞くけど、君たち、何でここに来たの?》
「な、何でって…」
剣士が驚愕と戸惑いの表情を浮かべた。
ドラゴンが冒険者と会話しようとしているという事実と、ついでに──あまり認めたくないが──こちらの声の調子がドラゴンにあるまじき幼さである事に驚いたのだろう。
『よく来たな冒険者よ』というような重苦しい口調も出来なくは無いが、思念であろうと舌を噛みそうになるのだ。
「…街道沿いの牧場で、牛が魔物の被害に遭っていてな」
答えたのは、盾を構えた戦士だった。あくまでも構えは解かず、淡々と続ける。
「ここ1、2ヶ月で、10頭食われている。頭から丸ごとだ」
「そりゃまた…」
変態もとい人間が呻く。
頭から丸ごとと言い切れるのは、実際に牛を丸ごと呑み込んでいるところを、ごく最近、牧場主が目撃したかららしい。
暗がりで全容は見えなかったが、巨大な口に呑み込まれる牛の後足は確認できた。
そのサイズの捕食者となると、一般人には手に負えない。冒険者ギルドに依頼が出され、彼らがその討伐を請け負った──『こちらの世界』ではよくある話だ。
「…じゃあ、その討伐対象を探してこの森に入って来たってことか」
「ああ」
人間の言葉に戦士が頷く。その後を魔法使いが引き取った。
「私の探査魔法で、とりあえず付近を調べていたのだけど。この辺りで一番大きい魔物の気配が──」
と、みなまで言わず、ラズライトを見遣る。
釣られたように、他の3人と伝令カラス、全員の目がこちらを向いた。
困惑混じりの冒険者たち、どことなく気の毒そうな伝令カラス、そして、あー…とでも言いたげな自称旅人。
確かにドラゴンの気配は他の生物と比べて飛び抜けて大きいが、そんな目で見ないでいただきたい。
《………事情は分かった。けど、牛を食べたのは僕じゃないよ》
たっぷりの沈黙を挟んでラズライトが答えると、剣士が溜息をついて剣を地面に突き刺した。
何やら疲労感が漂っている。
「…一応念押しするけどよ、お前、牧場には行ってないんだよな?」
《行ってない。ずっとここに居た》
「ちなみに牛は好みの味か?」
《味は嫌いじゃないけど、牧場で飼われてる牛を狙うくらいならそこら辺に居るウサギでも狩って食べる》
飼育されている家畜を食べ物として狙うのは、あまりにもリスクが高すぎる。
それ以前に、
《そもそもドラゴンって、基本的に大気中とか地中の魔素が主食で、口から物を食べる必要、ほとんど無いからね?》
『え?』
冒険者たちがぽかんと口を開けた。
ドラゴンは大気中に漂う、あるいは地中を循環する魔素を体内に取り込むことで肉体を維持している。
生物どころか植物すらまともに育たない高山帯を縄張りにしているのだから、そうでなければとても生きて行けない。
ただし、頑丈な顎には立派な牙が生え揃っているし、噛む力も非常に強いため、一般的には肉食だと勘違いされているのだが。
「私もこいつじゃないと思う」
ラズライトの主張を後押しするように、自称旅人がピッと片手を挙げた。
その片手でラズライトの頭──正確には口元を示し、
「このサイズじゃ、牛丸呑みするの、無理でしょ?」
「……だよ、なあ…」
剣士が脱力気味に同意した。
人間たちから見ればラズライトも十分大きいが、牛を丸呑みするのには口のサイズが足りない。
丸呑みできるとしたら、それこそウサギくらいまでだ。そもそも丸呑みする趣味は無いが。
「…とりあえず、無駄骨、ってことかしら」
魔法使いが情け容赦無い結論に達した。討伐目標が『牧場の牛を丸呑みした魔物』である以上、ここに来てしまったことは『ハズレ』以外の何物でもない。
「また探し直しか…」
「やはり待ち伏せした方が良いのではないか?」
「依頼人、ものすごく気が立ってたじゃない…」
疲れ切った表情で言葉を交わす冒険者3人。
どうやら、立て続けに被害に遭ったことで、依頼人の方も相当苛立っているらしい。
討伐対象を探すと言って、実は半分、彼らに当たり散らす依頼人から逃げるのが目的だったのではあるまいか。
「何か大変そうだね」
自称旅人のコメントは完全に他人事だった。
まあな、と肯定を返した剣士が、また深々と溜息をついてラズライトに向き直った。
「──つーわけだから。すまなかったな」
そのまま踵を返し掛けて、ふと何か思い出したように振り向く。
「一応俺らは、お前の事は見なかった事にしとく。ただ、街道からちょっと外れてるっつっても、探査魔法に引っ掛かる程度には近いからよ。場所、変えた方が良いぜ?」
「ちょっと、良いの?」
ドラゴンを見逃すと宣言した上、助言まで始めた剣士に、魔法使いが目を見開いた。
棲み処の外に出た『はぐれドラゴン』は、本来なら問答無用で討伐対象になるはずだ。
冒険者である彼らには、可能であれば討伐、リスクが高い場合は速やかに退避して冒険者ギルドに通報する義務がある。そのくらいはラズライトも知っている。
だが、
「どう見ても、実害がある相手とは思えねぇしな。それに…」
剣士は非常に言い辛そうに一旦言葉を切り、ラズライトを見て苦笑した。
「こいつの口調、故郷に居る俺の弟にそっくりなんだよ」