さん→今日のお父さまは饒舌なので
二日目の宴は無事に開催されることとなった。
それも全て、愛紗があの扇子をえいっと一振りしたことによるものなのだが、王都に住む者たちは口を揃えて『吉兆』と言う。真実を知る者はたった三人。愛紗にしてみれば、黎明の命と桃饅頭以外は等しくどうでもいいことだったので、そのことに関して誰かに言及するつもりもなかった。
そんな雲をも吹き飛ばす強力な力を持つ扇子は宝物殿の奥、鍵が幾重にもかけられた部屋の中にしまわれているらしい。もちろん、魂殺剣も一緒だ。
愛紗は黎明にその扇子をねだったが、「怪我をするといけないから」と断られてしまった。
――あれさえあれば、鬼退治も楽なのに。
子どもの腕でもどうにか振り回せる武器は貴重だ。魂殺剣は重すぎて持ち上げることもできない。
愛紗はそのことを思い出して、不貞腐れたまま胡遊の膝の上にいた。目の前には豪華な食事が並ぶ。時折胡遊の手によって、小さな口に食べ物が突っ込まれるので、愛紗はいつももぐもぐと口を動かしていた。
「子猫ちゃんは本当に面白いなぁ」
にこにこと笑う胡遊は、乱暴にぐりぐりと愛紗の頭を撫でる。
――何が面白いのか全くわからないのよ。
頬に食べ物を詰めたまま、愛紗は胡遊を見上げる。すると、彼は目を細めて笑った。
「僕の正体を知っても怖がらない。君は稀有な人間だよ」
――なんだ、そんなことか。
愛紗は鬼より怖いものをたくさん知っている。警戒はするが、恐怖するほどのものではないと思う。
しかし、人間からすれば、恐怖の対象であることはわかる。人間よりも強く、命を狙ってくることもあるのだ。
半分鬼で強いというのに、そんなことを気にするとは繊細なのだなと、愛紗は思った。
口に入れられた食べ物をかみ続ける。甘くない。酒の入る席はどうしてもしょっぱい物や辛い物が並ぶ。愛紗の味覚には合わないものだ。
それでも愛紗に用意された食事は比較的食べやすい物だった。普段の食事から選ばれた物だろう。
「今日はどうして宴に参加したんだい?」
機械的に口を動かしていると、胡遊が声をかけてくる。質問の意図が理解できず、もぐもぐと口を動かしながらもう一度胡遊を見上げた。
「昨日は僕を警戒していた。けど、もう鬼は捕まっただろう?」
――ああ、そういうことか。
愛紗は食べ物を飲み込むと、ふふふと笑った。
「もちろん、物語の結末を見に来たのよ」
愛紗の視線の先にいるのは、華やかな衣装を身にまとった女――美明だ。冷徹帝に見初められた女に興味があるのか、多くの人が注目していた。
「ふーん」
胡遊は興味がなさそうだった。
愛紗は美明に釘付けだ。舞の良さはわからないが、動作一つ一つが丁寧だと思った。仙界にも舞の名手はいたのだが、こんなに真剣に見たことはない。
美明は憂いを帯びた表情をしている。望みが叶ったにしては、暗い顔だ。優しい曲の中で、今にも散りそうな柔らかな踊り。
多くの者が興味深く彼女を見ていたが、その内の一人の視線に愛紗は気がついた。
強い想いを含んだ眼差し。それは、黎明のものではない。愛紗や胡遊よりも下座からの視線だった。
愛紗は視線をさまよわせながら、その視線の主を探す。官吏たちはほろ酔い気分で楽しそうに舞を眺める。時折隣の者と談笑をしながら。
もっと奥、武骨な男たちがいる集団の中にあった。
――あれだ。
美明を真っすぐに見つめる男の姿。黎明よりも大きくがっしりとした躯体。
――見たことある気がする。誰だっけ。
一度名前を聞いたことがある。しかし、愛紗は男の名を覚えていなかった。しかし、その彼が美明と約束した元許嫁であることは察することができた。
暇な胡遊に頬を引っ張られる。手持ち無沙汰だったのだろう。伸びる頬を何度も何度も揉まれた。
「おとにゃにゃんだから、おとなしくしててほしいにょよ」
「何が楽しいのか分からないんだから仕方ないだろう? 先帝の妃の願いを叶えるために、兄上は彼女を妃として迎えた。許嫁とは結ばれない運命。残念だけど、僕は人の不幸を楽しむ趣味はないからなぁ」
「あたしにもそんな悪趣味は持ってないのよ」
愛紗が胡遊の手と戦っているあいだに、美明の舞は終わった。盛大な拍手がおくられる。
美明は会場の三方に頭を下げ、最後に黎明に向かって深く頭を下げた。
黎明は真っすぐ美明に向かて口を開く。
「素晴らしい舞だった」
「陛下にお褒めいただき、光栄でございます」
「さあ、こちらへ」
黎明は隣に座るよう促した。それは、寵の記し。唯一の妃であり、寵妃だとうたわれた映貴妃は表舞台には顔を出さないことで有名だ。誰もが次の寵妃の存在を察した。
美明は少しためらいがちに黎明の隣に座る。
「ほら、悲恋だ。見ていられないよ」
「うるさいのよ。男なら黙って見なさいなの」
胡遊が不満そうにつぶやいた。その声は愛紗にしか届かないほど小さかったが、耳元でつぶやかれるほうはたまったものではない。
黎明が側に控える如余に声をかけた。彼の指示を受けて、如余はよく通る声で男の名を呼んだ。
「賀雲泰、前へ」
「はっ」
――そういえば、そんな名前だった。
賀雲泰。今回の戦の功績者の一人だという。年のころは美明と近い。彼は、黎明の前で膝をつき、深く頭を下げた。
「賀雲泰、一晩、私はそなたへの褒美を考えた。だが、なかなかいい案が浮かばぬ。何かよい案はないだろうか」
「褒美など滅相もない。私のような地方から出てきた軍人が陛下に気にかけていただけただけで幸運というものです」
「功を上げたうえに謙虚とは。気に入った。そなたに今足りていないものは何だろうか。……美明、そなたは何か思いつかぬか?」
突然黎明に声を掛けられ、美明の肩が跳ねる。その肩を抱いた黎明を見て、雲泰は苦し気に顔をゆがめた。実直なのだろう。彼女への気持ちが駄々洩れだ。
「わ、わたくしは外のことなどわかりませんので……」
「そうか。……雲泰、そなたはたしかひとり身だったな」
「はい」
「もう妻子がいてもおかしくはない年だ。跡継ぎがいなくては一族も不安であろう。私が相手を選んでやろう」
黎明の言葉を耳に入れた官吏の数名が声を上げた。
「私の三番目の娘などいかがでしょうか。雲泰殿の三つ下、気立てもよく似合いの夫婦になるかと」
「いえ、我が娘は一つ上ではございますが、器量よしでございます」
自分の娘を皇帝が気に入った男の妻にする。出世欲のある者ならば、考えない手ではない。我が娘もと何人もの官吏が声を上げた。下は十二、上は四十と選びたい放題だ。
「そなたらの娘のことを私はよく知らぬ。それでは私が選んだことにはなるまい」
黎明は苦笑を漏らす。彼の側に立つ如余が一つの提案をした。
「では一度、全ての者を見て回られては?」
「如余は抜け目のない男だ。……だが、それでは時間がかかりすぎてしまう。ああ、そうだ。美明は雲泰と同郷だったな。……それに、年頃も近い」
「陛下!?」
「それがいい。我が妃となったばかりだが、美明をそなたに与えよう。気の優しい女だ。大事にせよ」
雲泰は茫然と黎明を見上げた。彼の時だけが止まったかのように動かない。
「いらぬか?」
「め、滅相もございません。生涯大切にさせていただきますっ!」
愛紗は宴の前に見た運命録を思い出しながら、ふふふと笑った。
『宴の席で臣に妃を下賜する』
確かにそう書かれていたのだ。




