ちぃ→愛紗、絶体絶命(そのいち)
「こんなの、かくれんぼじゃないのよっ!」
廊下を走る愛紗の叫び声が宮殿に響く。しかし、その声を拾う者は一人しかいない。それが味方ならよかったのだが。
「ほら、みーつけた」
楽しそうな声が頭上から降ってきた。愛紗は「げ」と小さな声を上げて廊下を転がる。愛紗の身体を受け止めたのは、倒れている侍女だ。
逃げるために、廊下から外に飛び出た。土が愛紗の服を汚すが、気にするところではない。
時間を稼ぐために逃げる愛紗とそれを追う美明。かくれんぼというよりは、鬼ごっこに近い。人の大勢いる宮殿で騒げば、人目につくため美明も変なことはできないだろうと高を括っていた。しかし、その予想は裏切られてしまう。
美明は宮殿にいる全ての者を気絶させてしまったのだ。確認すれば息はある。大勢を犠牲にすることにならなくてホッとしたのも束の間、盛大な追いかけっこが始まってしまった。
大人の女と幼い子ども。どちらが有利かなんて、火を見るよりも明らかだ。愛紗は修行を積んできた仙と言えど、この肉体はただの人間なのだから。
仙術を使うのは簡単だ。だが、術を使えば猫に変化し、長い時間を待たなければならない。後々のことを考えると、術を今使うのは最善の策ではないと思った。
「ちょこまかとすばしっこい子ね。お姫様なのだから、もう少しおしとやかにしたほうがいいわ」
「そのままお返しするのよ。妃なら妃らしくしたほうがいいの」
「あら、先帝の妃なんて、町娘と同じようなものよ」
うふふと笑う美明は、ジワリジワリと愛紗に近づいた。美明は白い足で土を踏む。愛紗はそんな彼女からもう少し距離を取りたかったのだが、残念ながら愛紗の体を大きな石が受け止めた。
「絶対絶命」
「あら、物知りね」
「これでもお父さまと毎日お勉強しているので。子ども扱いは無用なのよ」
「それはごめんなさいね。機嫌を直してちょうだいな」
美明は一歩、また一歩と近づいてきた。愛紗は小さな手を握り占める。それが恐怖によるものだと思ったのか、美明は気をよくして笑った。
「安心して。手荒なことはしないわ。ただ、一緒に陛下にお願いしてほしいだけ。頭のいいあなたならわかるでしょう?」
三日月のように口角が上がる。愛紗は何も言わずにじっと美明の目を見つめた。
美明が愛紗の目の前に立つ。厚い雲は美明の味方だ。世界の影を消し、彼女に力を与える。
「かくれんぼは……もうおしまいね」
美明はそういうと、愛紗の前に膝をつき腕を伸ばした。
「やっ!」
「きゃっ!?」
愛紗が大きな声で叫ぶ。そして、握りしめていた土を美明目掛けて投げつけた。
「まだ遊び足りないのよっ!」
目に土が入ってもがく美明の横を通り抜け、愛紗は走る。小さな足は簡単に石につまずくし最悪だ。
――この身体、怪我をするとすごく痛くて大変なのよ。
「よくも……」
地を這うような低い声が追いかける。ゆっくりしている暇はないようだ。愛紗は擦りむいた膝を擦ると、すぐに走った。
十余名の先帝の妃とその侍女が暮らしているとあって、宮殿内は迷路のように広い。昔は三つの宮殿であったようだが、無理やり一つにまとめたそうだ。愛紗はわけもわからず行ったり来たり。一度通った道だっただろうか。
この部屋には見覚えがある。
そうこうしているうちに、宮殿の出口さえもわからなくなってしまった。
愛紗は部屋の中に大きな木箱を見つけ蓋を開けた。半分程度、衣類で埋まっているが、子どもが隠れるには十分だ。
足音が近づいてくるのがわかる。愛紗は木箱の中に入り、内側から蓋を締めた。
――痛いし、疲れるし最悪。お父さまじゃなくて十然に伝言を頼めばよかった。
十然ならばうまく宝物殿から魂殺剣を盗んでくることも可能だっただろうか。しかし、そうなると黎明を逃がすことができないため、危険を伴う計画にはなってしまう。
――後悔しても仕方ないか。今、できることをやるのよ。
十然に頼りすぎて、仙界に戻ったとき無効だと言われたら困る。愛紗一人の力でどうにかすべきだろう。
ぐるぐると考えていると、ゆっくり木箱の蓋が開いた。
「みぃつけた」
「げ」
隙間から顔をのぞかせたのは、美明だ。逃げる暇など与えられず、愛紗は抱き上げられてしまった。
「かくれんぼが得意なのね」
「頭隠して尻隠さず。あなたが纏った砂が私を導いてくれたわ」
「ありゃりゃ。そこまで気が回ってなかったのよ。じゃあ、次はあたしが鬼の番ね」
愛紗は美明の腕から抜け出そうとする。しかし、力が強くて抜け出せない。手足をばたつかせた。黎明であれば、愛紗の意向をくみ取り腕の力を緩めるのだが、美明はそう優しくはないらしい。
「駄目よ。かくれんぼはおしまい」
「けちね」
「あまり遊びすぎると、宴の時間になってしまうもの」
「大丈夫なのよ。少しくらい」
愛紗は腕の中で満面の笑みを見せた。しかし、美明は短く「駄目」と返すだけだ。
「陛下はどちらにいらっしゃるかしら?」
「さあ?」
「素直に答えないと、この愛らしい顔に傷をつけるわよ」
長い爪が愛紗の頬を撫でる。力を入れたら、子どもの肌など一瞬で避けてしまいそうだ。
「知らないもん。お父さまは忙しいのよ」
「そんなことないわ。愛娘の危機に呑気に仕事をしていると思う?」
――そんな脅しには屈しないのよ。
愛紗は小さな舌を出して見せた。
「……まあ、いいわ。どこにいるかわからなくても、娘が怪我をしたと聞けば飛んでくるでしょう」
美明は楽しそうに歯を見せて笑うと、爪の先を頬に当てた。
「私ならここにいる。愛紗を放せ」




