さん→お父さまはかくれんぼが得意
「かくれんぼ?」
黎明は傾げていた首を更に曲げる。黎明のほぼ直角に曲がった視線に合わせて、愛紗も首を曲げた。
「あい」
いつも冷静な彼は、愛紗の思いつきに驚くことはない。今回もいつもと変わらない落ち着いた表情だ。愛紗が猫の如く、黎明の腕の中からするりと抜けだす。そして、彼を見上げ、両手の人差し指を頭に添え、角を作った。
「あたしが鬼をやるので、お父さまは百数えるあいだに隠れてください」
キラキラした目を向けられた黎明は僅かに見開き、すぐにその目を細めた。その表情が何を意味しているのか愛紗にはわからない。しかし、その後、三度程目を瞬かせたことで、それが困惑を示しているのだと理解する。
――普通なら、子どもは隠れるほうをやりたがるもんね。
黎明の心情を察し、愛紗はうんうんと頷く。
「私が……隠れるのか?」
「あい」
「隠れるほうが楽しいだろう?」
「今日は探したい気分なのでお父さまが隠れてください」
――ふふふ、妙案なのよ。
しかし、黎明は難色を示す。隠れることに少し抵抗を感じるようだ。愛紗はここで一歩も引くわけにはいかない。時間を稼ぐには、黎明に隠れてもらう他ないのだから。
愛紗は意志が固いことを示すために、両手を目に当てた。少しの時間、静寂が訪れる。しかし、すぐに黎明の小さく吐く息が聞こえた。
「……わかった。百でよいのだな?」
「あい」
愛紗は一から数を数える。暗闇の中で数える百は永遠のような長さに感じた。百などという途方もない数にしなければ良かったと愛紗は思う。十とは言わずとも、五十くらいでもよかったのではないか。
黎明の気配は近くから消えた。神経を尖らせて、彼の行く道を追う。
ある程度の場所を知っておかないと、うっかり見つけてしまったら大惨事だ。
「九十九……。ひゃーく」
愛紗は百を数え終えたとき、「ふう」と息を吐き出した。
黎明の気配は庭園のほうに向かっていったのは分かっている。愛紗は走って庭園へと向かった。
「お父さまどこかな~」
大きな声を出しながら、ゆっくりと庭園を見回せば、庭園の中央に構えた大きな木の上にいた。
彼は真面目にかくれんぼをするつもりなのだろう。他にも隠れる場所がたくさんある中で、子どもの視線から外れる木の上を選んだ。
愛紗は庭園の中で、黎明を呼びうろうろした。けっして空を見上げないようにして、真剣に彼を探すふりをした。
「お父さまいないのよ~」
大きな葉をめくる。そんなところに隠れられるわけはないのだが、この小さな庭園の中で探すふりは難しかった。大きな木と東屋と、小さな池。隠れられる場所などほとんどないに等しい。
常に黎明の視線を感じつつ、愛紗は何度も首を傾げ庭園を一周した。
「ここじゃないのかなぁ~?」
わざとらしく大声で言い、愛紗は真っ直ぐ先帝の妃が集う宮殿へと足を踏み入れるのだ。
門の前に見張りはいない。基本的に、後宮内で使われている宮殿の門の前には宦官が立ち、出入りを監視しているはずだ。だが、彼女たちは先帝の妃、前途ない彼女たちに仕えようと思う宦官は数少ないのだろう。
愛紗は誰に止められることなく、その宮殿へと足を踏み入れた。
「まぁ! これはこれは。愛紗様ではありませんか!」
すぐに声をかけられ、身構える。しかし、愛紗の名を呼んだのは見知らぬ女だった。
――こんな顔はしていなかったと思うのよ。
「……なにかご用?」
「このようなところにいらっしゃるなんて、珍しい。ここへはお一人で?」
「あい。人を探しているの」
「誰でしょうか? 名前はご存じですか?」
「うんと、蝉みたいな名前なのよ」
「蝉……?」
女は首を傾げた。
先帝の妃は数が多いと言うし、彼女は知らないのかもしれない。
「知らないならいいのよ。自分で探すから」
「いえいえ、存じ上げておりますよ。呼んで参りますので中でお待ちしましょう」
女は慌てた様子で愛紗の手を部屋の中へと案内した。
「まだ来ないの?」
あれからどのくらい経っただろうか。愛紗は出された月餅を頬ばる。
「申し訳ございません。まだ見つからないようでして。困ったわ。どこに出かけたのかしら……」
悪びれもせず言う女は、愛紗の隣の席でお茶を入れていた。何人かの侍女が慌ただしく出入りするが、愛紗はただ待たされるばかりだ。
愛紗は頬を膨らませた。あまりにも遅いと、黎明も待ちくたびれてしまう。鬼の正体を突き止める前に黎明がしびれを切らしたら大変だ。
「遅いので、あたしが探しに行くのよ」
愛紗は椅子から飛び降りると、部屋を出た。困り顔の侍女が女に指示を仰ぐ。お茶を入れていた女は大きなため息を漏らした後、侍女に面倒そうに返答した。
「愛紗様は宮殿内を見て回られたいみたいだから、ご案内してさしあげて」
「かしこまりました。愛紗様、まいりましょう」
侍女が愛紗に手を差し伸べる。しかし、愛紗はその手を取らない。困った彼女は見上げる愛紗に視線を合わせるように膝をついた。
「蝉みたいな名前の人のお部屋に連れてって」
「蝉……ですか?」
侍女は首を傾げた。
「知らない? お出かけ中なんでしょ?」
この侍女の主である女は心当たりがある口ぶりだったが、侍女はそうではないようだ。
――もしかして、鬼の仲間であたしの捜査の邪魔をしているんじゃ。
「ええと……。蝉ですか」
「うん、あのおばさんは知ってるみたいだったのよ」
「申し訳ございません。私が聞いていなかったのかもしれません」
「そうなのね。蝉みたいな名前の人知らない? 多分、前の皇帝の妃の一人なの」
「蝉……」
侍女は、何度も「蝉」と呟いた。
「もしかして、美明様ではございませんか?」
「それよ! そのミンミンに会いたいの」
「美明様ですよ。かしこまりました。ご案内します」
侍女はまた愛紗に手を差し出す。しかし、愛紗はその手をはねのけた。
「一人で歩けるのよ。それより、急いで」




