表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/67

うぉ→冷徹帝の寵妃

 地を這うような低い声はとうてい皇帝に侍る妃嬪ひひんには似つかわしくなく、愛紗あいしゃは身を固めた。

 

 うすぎぬ越しでは顔かたちまではわからない。しかし、身を起こした影がすらりと長いことは見てとれる。映貴妃えいきひとは、背の高い女性のようだ。

 

「だれ? いつも寝所には入らぬようにと言っているでしょう?」

「愛紗です」

「……あいしゃ? あいしゃ、愛紗……。ああ、そんな子いたかしらね」

 

 色気のある掠れた声が返事する。紗をわずかにもめくらず、決して顔を見せない。寝台に潜り込むことも考えたが、どこか威圧感のある声に愛紗は躊躇ちゅうちょした。

 

「陛下の一人娘がこのようなところにどうしたのかしら? まさか、迷い込んだわけではないでしょう?」

「映貴妃さまにご挨拶したくて」

「そういうときは事前に知らせるものよ」

「……ごめんなさい」

 

 すぐさま謝るものの、愛紗は頑なに引こうとはしなかった。ただの一度でもいいから顔を見なければ帰れない。顔を見たからと言って、黎明れいめいを狙う暗殺者――鬼であるかわかるわけではないのだが、ある種の意地のようなものだった。

 

「あたし、映貴妃さまとお話がしたいの」

「そう……。改めていらっしゃい。準備に時間がかかるわ」

「待ちます」

 

 愛紗の元気な言葉に、映貴妃は大きなため息を吐き出した。影が長い髪をかきあげる。

 

「いいわ、準備をするから別室でお待ちなさい。誰か!」

 

 映貴妃の呼ぶ声に応じ、すぐさま女官が現れる。映貴妃は女官に愛紗を別室で待たせるよう指示を出した。

 

 愛紗は女官の後ろを着いて歩く。蓮華宮れんかきゅうの中を興味深く見て回った。愛紗の住む雛典宮すうてんきゅうとは全く作りも装飾も違うからだ。


 広くて迷路のように部屋数が多い。一人で使うには贅沢過ぎると感じた。

 

 ひらひらと舞う華やかなうすぎぬが仕切りになっている。どれも精巧な刺繍が施されていた。寝所の装飾から見ても、映貴妃とは華やかな人なのだろう。

 

 建物の柱にははすの絵が掘られ、天井は蓮池を思わせる澄んだ青が塗られていた。

 

 ついつい天井の鯉を数えてしまう。歩を止めた女官に気づかず、愛紗は彼女の足に体当たりした。

 

「あたっ」

「申し訳ございません。こちらでお待ちいただけますでしょうか?」

 

 女官は装飾の施された椅子を指し示す。愛紗は元気よく返事をすると、大人用に作られた椅子によじ登る。

 

 この身体は少しばかり厄介で、何もかも小さすぎる。早く成長しないものかと、愛紗は小さな紅葉のような手を広げた。

 

「ね、映貴妃の寝所ははいっちゃだめなの?」

 

 佇む女官に声をかければ、慌てたように頭をさげる。

 

「はい。お呼びされるまでは入ってはいけないと言いつけられております」

「それだと、朝のしたくが大変でしょ?」

「貴妃はご自身である程度のことはやりたい方でして……」

「そーなの」

 

 準備は一人で。怪しい。愛紗は寝所の方角を睨む。妃嬪の中でも最上級の位を持つ者が自身で支度をするだろうか。あの紗の向こうには何か秘密が隠されているのでは?


 実は鬼が女の皮を被っているとか。

 

 思い立った瞬間に、愛紗は椅子から飛び降りた。しかし、映貴妃の寝所へ向かうことはかなわなかった。部屋を出た瞬間に、人にぶつかったからだ。

 

「あたっ」

「どうしたの? 慌てて」

 

 ゆっくりと顔をあげる。波打つ髪を追いかければ、顔が近づいてくる。

 

「映貴妃?」

「そうよ。あなたが挨拶したかった人よ」

 

 映貴妃はにこりと笑うと、愛紗の視線に合わせて膝を折った。手入れの行き届いた白い肌。切れ長の目は愛らしさこそないが、聡明さを感じさせる。

 

 長くて綺麗な手で、愛紗の頭を撫でた。その手があまりにも優しくて愛紗は目を細める。

 

「陛下の愛娘がご挨拶に来てくださるなんて光栄だわ」

「眠っていたのにごめんなさい」

「いいわ。今回は許してあげる」

 

 映貴妃は愛紗を抱き上げると、まっすぐ椅子へと向かった。宮に引きこもってばかりの割に、どうやら力はあるようだ。

 

 十然に抱き上げられるよりは低いが、そう変わらない目線の高さに思わずあたりを見回した。女官たちよりも頭一つ分くらいは背が高い。

 

 ――お父さまはこういう女性が好きなのね。

 

 華やかな美人だ。黎明と並べば、さぞかし迫力のあることだろう。今朝会ったばかりの黎明を思い出す。花も霞むような眉目秀麗な男だった。

 

 胸は大きく、首まで覆う衣を押し上げている。豊満で迫力のある美人が好みとは、想像もしていなかった。

 

「いつも、この時間までおねむなの?」

「そうよ、毎晩陛下が離してくれないの」

 

 含んだ笑みを見せた。毎晩、夜伽に忙しいというわけか。愛紗はふんふんと頷く。

 

「今日はどうしたのかしら? こんなことするのは初めてでしょう?」

「実は今夜の夜伽はあたしがするの。お父さまと仲良くなる秘訣を教えてください」

「あなたが? 陛下と?」

「あい」

「あの黎明が良いと言ったの?」

「あい。お父さまは約束してくれました」

「そう……」

「もしかして、怒ってる?」

 

 本来ならば、映貴妃が呼ばれるはずだったのだ。普通の妃嬪なら鬼となってもおかしくはない。しかし、彼女はにこりと笑うと頭を横に振った。

 

「いいえ、久しぶりに夜にゆっくり眠れるなんて良い話よ。ありがとう」

 

 見栄でもなく、本心かのように彼女は愛紗の頭を優しく撫でた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ