い→この父娘、頑固につき
【すっかり忘れてしまった人のためのざっくりあらすじ】
・仙界の猫族である愛紗は、上仙(仙界でいうところの昇進すること)になるために人間界へと転生した。
・修行の内容は、地界の鬼から狙われ二十五才までしか生きられない黎明を老いるまで丸というもの。
・黎明は養父であり、この国の皇帝だった。
・仙術は使えるものの、一度使うと三刻(約六時間)子猫の姿になってしまう!
・鬼に狙われた黎明を助けた愛紗だったが、まだ鬼の襲撃は続きそうで!?
この数ヶ月で、書き下ろし書籍の発売や、今はやりのものに感染し体調を崩すなどしていた関係で二章の執筆が延びに延びてしまいました。
ある程度書けたので、最後まで投稿するぞという前向きな気持ちで投稿を始めます。
マシュマロに感想やコメントくださった方、ありがとうございます!あのコメントのおかげで、二章を投稿するまでに至りました~。
今後とも陛下と愛紗をよろしくお願いします。
愛紗は小さな口を開け、大きな欠伸をした。釣られた太監の何人かが、欠伸をかみ殺す。最近、秀聖殿でよく見る光景だった。
皇帝の黎明は玉座へと座っている。しかし、その膝の上には幼い子――愛紗がちょこんと座るのだ。
その状況はもう三月も続き、太監の如余は頭を抱えている。皆もう慣れた様子で何も言わない。しかし、これでは冷徹帝としての威厳が保てないではないか。と、如余は思うのだ。
「して、陛下。その……お膝の方は……?」
静かな朝儀の場で声をあげたのは、昨日まで病のために伏せっていた兵部の尚書である。遠慮がちに長い髭をさすった。
「娘の愛紗だ」
黎明の端的な答えに、尚書は呆然とする。その反応が普通なのであろう。齢にして五つ。新しい妃だと言われてもにわかには信じがたい。
彼女はおとなしい猫のように、膝の上に座っているだけだ。だが、その光景は異質。黎明は冷徹帝と呼ばれるだけあって、他の者は愛紗に関して一切口を噤んでいる。
聞けなかったことを尚書が聞けたのは、彼が皇帝と祖父ほど年が離れているからだろうか。
「朝儀に不要ではございませんか?」
「発言させるわけでも遊ぶわけでもない。気にするな」
「そうは言われましても、神聖なる朝儀の場に子を同伴するのはいかがなものかと」
つい口を出してしまうのは今に始まったことではない。先帝のころから変わらないのだ。周りは「ああ、また始まったか」と思い、沈黙を貫くのが常。
先帝は彼が口を出し始めると苛立ちを露わにし、眉をひそめ態度で抗議していた。その弟である黎明はというと、眉一つ動かさず耳を傾けている。
本当に聞いているかは定かではないが。
黎明は思慮深い顔をして、全て右から左へと流すときがある。聞き入れる必要のないと判断したことは、耳にすら入れていない可能性があるのだ。今日の尚書の発言は、それに近いと言ってもよいだろう。
血筋だろうか。黎明も少しばかり頑ななところがある。でなければ、この広い地を治める皇帝という座についていられるわけもない。
黎明は小さく息を吐き出すと、愛紗の頭を二度ほど撫でる。優しい手つきゆえか、愛紗は猫のように目を細めた。
「騒ぐこともない。文鎮だとでも思っておけばよい」
娘に対し文鎮とはいかがなものか。と、思うのだが、言い得て妙である。確かに愛紗がいないだけで、黎明はそわそわと後宮内をうろつく。彼女が膝の上にいれば、黎明という名の紙はひらひらとどこかへ飛んで行くこともなかった。
ただ、文鎮のほうが猫のように気まぐれではあるのだが。
尚書は眉根を寄せる。この反応は予想の範疇であろう。しかし、こちらからすると気が気ではなかった。いまだ黎明の地盤は固まっていない。そんなときに尚書と喧嘩などされては困る。
「陛下、そのように可愛らしい文鎮がこの世にございますか?」
「ここにあるではないか」
黎明は愛紗の頭を愛おしそうに撫でる。挑発しているわけではなく、無意識の行動なのだろう。しかし、このままでは尚書の頭の血管が一つ、二つ切れてもおかしくはない。
「あたし、文鎮じゃないし……」
愛紗は小さく呟いたのだが、その声は黎明と側に控えていた如余にしか聞こえていないだろう。ぷうと膨らませた頬を、己の小さな手で押し縮めている。
「陛下、幼い子に聞かせたくない話でもあるのでしょう。愛紗様は私がお預かりしておきます」
愛紗はときどき大人びた物言いをする。周りに大人しかいないせいだと侍女は言っていた。金の話ならまだいいが、多感な時期である彼女に血生臭い話は聞かせたくないだろう。黎明は一考したのち、愛紗を支えていた腕を離した。
如余は即座に愛紗の脇腹を抱え、持ち上げる。尚書のため息は広い部屋に充満するのではないかと思うほど大きい。
「愛紗様、向こうでお待ちしましょう」
「如余と?」
「ええ」
にこりと笑顔を見せると、愛紗は目を細め如余を見た。養女とは言うが、愛紗は黎明の従兄弟の娘だ。皇族の血筋を引いた彼女の目は、何でも見通しそうな目をしている。
「……あい。暇なら遊んであげる」
「それはありがとうございます」
抱き上げれば借りてきた猫のようにおとなしい。昨夜も黎明とともに夜更かしをしていたと聞いている。幼い子はまだ寝足りないのだろう。
「雛典宮までお送りしますか?」
「や。まだ帰らない」
「眠いのでしょう?」
「や。ここにいる。あたしは忙しいのよ」
愛紗はぐっと如余の袖を掴むと、しがみついた。ここ、とは秀聖殿のことだろう。朝儀の場から出た扉の前。いつもなら頭を抱えたいところだが、手には愛紗がいる。
こういうときの彼女は一つ言ったら頑なで、絶対に曲げようとしない。そんなところは、黎明とそっくりである。
厄介払いはできないようだ。
「最近、みんな忙しそうね」
愛紗は「あたしもだけど」と付け加えた。
「ええ、南に派遣していた軍が凱旋してきたのですよ」
「がいせん?」
「はい。南の部族は辺境の地を荒らし、民の生活を脅かしておりました。それを憂いた先帝が出兵し、陛下が引き継いだのでございます。難航しておりましたが、無事勝利し戻られたのですよ」
「だから忙しいの?」
「ええ、国を守るために戦った者たちを労わねばなりません」
「へぇ……」
愛紗は興味なさそうに相槌を打つと、大きなあくびをした。
「やはり、雛典宮までお連れしましょう」
「や。ここにいる」
「陛下と朝儀のあと、何かお約束がございましたか?」
「……なくてもここにいるのよ。今日はお客さんがくるでしょ?」
「客……?」
如余が首を傾げると、愛紗はニッと笑った。
嫌な予感がする。
こういうときの予感は、大抵当たるのだ。




