りょ→映貴妃vs先帝の妃嬪
愛紗は黎明の腕の中で身を小さくする。できるだけ存在感を消し、こちらに火の粉が飛ばないようにしなければならない。
これは、まさしく『妖怪大戦争』!
後宮の奥に先帝の妃嬪が集められている宮がある。そこに訪れた皇帝一行は、妃嬪たちに出迎えられたのだ。多分全員いる。愛紗が聞き込みに行ったときとは大違いだ。慌てて身支度を整えた者も多いのだろう。少し髪が乱れている。
が。
それで話は終わりではない。
飛び交うのは静かなる雷。目から火花が見えてくるようだ。黎明よりも前に出た映貴妃がどんな顔をしているのかはわからない。だが、どうしてだろう。背中から威圧感が溢れて見える。
ただの挨拶を交わしただけなのだが、両者一歩も引かない。黎明に声をかけようとする妃嬪たちと、それを威圧感で阻止する映貴妃。
これは女の戦い……だと思うのだが、片方――……映貴妃は男だ。やはり、女性たちの中で頭一つ分は違う。
迫力のある美人に見下ろされるほうはたまったものではない。それでも、先帝の妃は頬を引きつらせながらも笑顔を見せていた。
「陛下は愛紗様を探しにいらしただけ。皆様の出迎えは不要よ」
「いえ、この宮を任せられている者として、一緒にお探しする義務があります。それに、人捜しなら、人の手がたくさんあったほうがよろしいでしょう」
「あら? 勝手に探されるのが嫌だなんて、何か隠し事でもあるのかしら?」
どちらも一歩も譲らない。これは長くかかりそうだとため息を小さく吐き出したとき、黎明のため息が聞こえ、小さな猫の耳をピクリとさせた。
「ここにはいないようだな」
「みゃ?」
「皆、身支度が整っていない。私をこの宮に呼ぶために愛紗を拐かしたのなら、一番良く見える装いで出迎えるだろう?」
なるほど。愛紗は思わず頷いた。“愛紗”がここにいるわけはないのだが、それを探さずに断定するとは思わなかった。
黎明は腕の中の紗紗の頭を優しく撫でる。
「安心しなさい。おまえの主をすぐに見つけてやるから」
「みゃ~」
必要ない。必要ないのだが、そんな愛紗の事情を黎明が知るよしもない。愛紗はただ、紗紗として鳴くばかりだ。
――昼になる前に抜け出して、愛紗として戻れば大丈夫よね。
何食わぬ顔でひょこっと顔を出す。そのとき紗紗はいなくなってしまうのだが、適当に誤魔化そう。例えば――……お腹がすいたと駄々をこねれば、黎明の気もそちらにいくだろう。
人間と違って猫は自由だ。そこから愛紗を抱いて、猫探しをすることはないに違いない。
黎明は、ここに見切りをつけたのか、すぐにこの宮に背を向けた。
「まぁ! 陛下、お待ちになってください!」
妃嬪の一人が声を上げる。その声に黎明はいつもの倍は冷たい視線を投げた。声すら出すことをしない黎明に、妃嬪たちは身体を凍りつかせるのだ。
彼は興味のないものには冷酷でいられるようで、先帝の妃嬪に向かってにこりともしない。
「わたくしたちも、愛紗様を探すお手伝いをさせてください……! きっと、お役に立ってみせます」
「ならば、この宮の中を徹底的に探しなさい」
この宮にはいないと断定したばかりの口で、彼女たちに指示を出す。つまり、「手伝いは不要。出てくるな」と言いたいわけだ。
「か、かしこまりました」
妃嬪たちは皆うなだれる。捜索のお手伝いと称して陛下の側に侍ることなど許されないわけだ。
「尚心、ここで皆の手伝いを。もし愛紗がここに来た場合は、保護を」
「私がですか?」
尚心は素っ頓狂な声を上げた。ここに残るということは、この魑魅魍魎たちが悪さをしないか監視しろということだ。皇帝の命である「この宮を徹底的に探す」を徹底させろという命でもある。
他の太監や女官たちなど、明らかに安心しきった顔をしているではないか。それが黎明の側で愛紗を探すよりも面倒な役割であることはすぐにわかった。
「ああ、愛紗はここにも顔を出していたみたいだし、おまえは愛紗と何度も顔を合わせている。愛紗も安心するだろう」
「……かしこまりました」
尚心はいつもの笑顔をなくし、うなだれた。愛紗は黎明の腕から抜けだし、彼の肩を踏み台にして尚心に飛び乗る。
「みゃあ~!」
「わかりました。紗紗様のためにも愛紗様をここでお待ちします」
面倒な役割を背負うきっかけを作ってしまったのは愛紗だ。詫びと激励を兼ねたつもりだったが、更に傷をえぐってしまったようで尚心はくしゃりと顔を歪めた。
「あら、ここの探索はもういいの? 部屋の一つも確認していないけど」
妃嬪たちと熱い死闘を繰り広げていた映貴妃が難色を示す。
――やっぱり、鬼だからお部屋を荒らして回りたいの……?
殺戮と争いを好む地界の鬼は、人間の嫌味の応酬くらいでは満足できないのであろう。愛紗は尚心の腕の中でふるりと身体を震わせた。
「ここに残りたいのか? ならば、尚心の代わりにここに残ってもいい」
黎明の言葉に、映貴妃だけではなく、先帝の妃嬪たちも目を丸くする。そんな中、尚心はどこか嬉しそうだ。
映貴妃は黎明と妃嬪たちを交互にみる。そして、にっと口角を上げ、黎明のもとに歩み寄った。
「まさか! 私はこんな陰険なところよりも、あなたの隣がいいに決まっているじゃない」
黎明に向かって手を伸ばす。そのとき、愛紗はわずかに殺気のようなものを感じた。
――危ないっ!
尚心を踏み台に、愛紗は高く飛ぶ。
「いっ!」
尚心の声にならない叫びを耳にしながらも、映貴妃の顔に飛び乗った。
「っ……!」
くぐもった声が腹から愛紗に伝わる。感じた殺気は消えていた。ほっとしたのもつかの間、愛紗は両脇を強く掴まれ抱き上げられる。
抱き上げられるなんて、可愛いものではない。捕獲されたのだ。
「一度ならず二度も……」
映貴妃の地響きのような声を間近に聞き、恐怖を感じた。伸びた身体を左右に揺らし逃げようにも映貴妃は愛紗をしっかりと掴み離さない。
「みゃあ~」
「どんなに可愛い声を上げても許さないわよ。一度ならず二度も」
「映貴妃、落ち着け。紗紗は構ってほしかっただけだ」
「だったら、たっくさん構ってあげるわ」
笑みとは言えない笑みを浮かべ、映貴妃は紗紗を腕の中と収めた。小さな手で作り物の胸を叩いたがびくともしない。
「映貴妃は一度、蓮華宮に戻ってほしい。愛紗がこれから訪ねてくるかもしれない」
「わかったわ。紗紗様と一緒にね」
「みゃ、みゃあ~!」




