りょ→真夜中の刺客
映貴妃のいうとおり、寝所の外では太監が待機している。
背に腹はかえられない。愛紗は食べ物を頼むことにした。控えている太監を見て、愛紗は目を瞬かせる。
「あ、尚心だ」
「これはこれは、愛紗様。どうしてこちらに?」
「お父さまと夜伽をするの」
「今日は映貴妃の日では……?」
「いいの。三人で夜伽するの。でも、お腹すいちゃったから、何か食べるものがほしいです。できたら饅頭を一つ……。ううん、二つ」
尚心は愛紗の言葉に眉尻を下げるばかりだった。しかし、彼は他の者たちに指示を出すと、すぐさま饅頭を二つ用意するのだ。
「さて、雛典宮までお送りします」
「や。今日はお父さまと一緒にいるの。ついてこないで」
愛紗は尚心の言葉など聞き入れず、二つの饅頭を大切に抱くと、寝所へと入っていった。夜伽の妃がいるあいだ、太監は寝所に入ることを許されていない。閉まる扉を見ること以外できないのだ。
愛紗が戻ってきたときには、二人は机を囲み、筆を持っていた。
「お父さまの分ももらってきました」
「愛紗様、私の分は?」
「映貴妃はあたしの饅頭食べたでしょ?」
黎明の手に饅頭を一つ、自分の口にもう一つ押し込むと、愛紗はふうと息をつく。夕餉を諦め寝所へ潜入までしたが、食べることが好きな愛紗にとって、一食諦めることは苦渋の決断だった。
暗殺者が今日も決行しなければ、夕餉はゆっくり部屋で食べられたはず。殺意を覚えるほど恨んだのだ。
黎明は隣で饅頭を食べながら、愛紗の頭を撫でる。饅頭を食べていても上品で、それが特別な物に見えてくる。本当にそれは愛紗と同じ物なのだろうな。まじまじと見たがやはり同じだった。
それから、愛紗は黎明と映貴妃のあいだに立ち、墨をすり続けた。大きなあくびをすると、「眠っていい」と黎明に諭されるため、あくびをかみ殺す。
眠った瞬間、映貴妃が黎明を殺すことだってあり得るからだ。
丑の刻を過ぎたころ、黎明が筆を置いた。
「そろそろ寝よう」
そのころには、愛紗の身体もとうに限界が来ていて、何度も船を漕いでいた。
「あの寝台で三人で眠るのか?」
「ああ、愛紗は小さいから大丈夫だろう」
「男二人で並んで眠るのだって嫌なのに、幼子をあいだに入れて寝るのか……」
なんと滑稽な。と映貴妃は笑う。文句の一つも言いたかったが、眠気が勝っていた。こういうとき、子どもの身体は不便だと思う。いつも突然限界を迎えるのだ。
黎明は愛紗を抱き上げると、あからさまなため息を吐いて言った。
「おまえの隣に眠らせる訳がないだろう?」
愛紗をしっかりと抱いて、寝台に横になる。愛紗が端で、黎明が真ん中だ。
「はいはい。愛する娘の隣に男を置きたくないのね。あーやだやだ」
映貴妃の言葉は耳に入っていたが、愛紗の目はもう開かない。その瞬間、黎明は映貴妃に殺されるかもしれないのに、身体は言うことをきかなかった。
今日も今日とて、殺気で目が覚める。寅の刻程度だろうか。夜は明けていない。まだ暗闇が寝所を支配していた。
愛紗はもぞもぞと身体を動かし、ゆっくり黎明の身体から抜け出た。あからさまな殺意に身を震わせながら、八方に気を配る。一日目は天井から、二日目は入り口から。毎日違う場所から現れる。
手を交差させ、霊力を練り上げるのも最近はなれてしまった。ふわりと髪が広がり自身の霊力が集まるのを感じる。
――今日はいつもとはひと味違うのよ。
いつも、攻撃されたところで黎明を守るばかりであった。そのあとすぐに子猫の姿になってしまうから、それ以上は争えない。
今回は罠を仕掛けていたのだ。
愛紗は目を閉じる。人間の目に頼っても、それは見つからない。身体は人間の幼子。しかし、うちにある魂は、確かに仙のものなのだ。
愛紗の背後に強く光る霊力を感じ、振り返った。目の前には全身黒衣の男が立っていた。その姿を捕えたと同時に、その霊力に向けて手をかざす。
「旋風ッ!」
強い風が、刃物のようにまっすぐと向かう。黒衣の男は素早く愛紗の術をよける。しかし、一つの刃が黒い衣を引き裂く。
「っ……」
声なき声を上げた男は腕を押さえたまま、寝所を抜け出した。勇み足で追いかけようとするも、制限時間が来てしまう。
愛紗の身体は、寝所を出る前に子猫の姿になってしまったのだ。
――仙術をよけた……! やっぱり相手は人間じゃなくて鬼なんだ……!
鍛錬を積んだといっても、長くてたかだか数十年。数千年、数万年、術に磨きをかけている仙に人が適うはずがない。
仙術をよけられる相手など、同じ仙か地界の鬼くらいだ。仙人がただの人を殺める理由など思いつかなかった。仙人からすれば、人間はほんの一瞬を生きるだけだ。仙界の一日が人間界の一年。自ら殺さなくても人間は仙界で数えて百日数える前には死んでいる。
仙界のよほどのことがない限り、自ら手を下すことはない。
黎明の魂は鬼を引きつけるのだと天帝は言っていたし、鬼の線で間違いなさそうだ。だが、地界から鬼はどうやって現れるのだろうか。愛紗はあまりに鬼のことを知らなさすぎる。
――天帝は何も言ってなかった。そっか、修行の一環だから何も教えてくれなかったのかも。
愛紗はうろうろと寝所の中を歩き回る。愛紗は考えごとをするとき、ジッとしているよりは動き回っているほうが頭が働くのだ。
ついでとばかりに、小さな手がかりがないか調べておく。刺客が姿を現わした場所に小さな血だまりができていた。
愛紗の放った術は、相手に命中はしないまでも、傷をつけることには成功したのだ。
人間と変わらない真っ赤な血痕。
――また失敗だった。でも、成果はあった!
子猫はゆらゆらと尻尾を揺らす。白く色が抜けた前足で頭をかいた。あとは人間に戻ってから考えようと、愛紗は当たり前のように黎明の腕の中に戻ろうとする。
しかし、違和感に気づき目を瞬かせるのだ。
いない。黎明の隣に眠っているはずの映貴妃の姿がなかった。




