うぉ→映貴妃の秘密
黎明と映貴妃に見つめられ、愛紗は正座で立ち向かった。
蝋燭の火がゆらゆらと揺れる。
映貴妃はいまだ笑顔のままだが、その顔が苛立ちを意味していることはわかっていた。映貴妃の腕の中に捕えられたときは死を覚悟したのだが、黎明が助けてくれた。
そして、三人は寝台の横で綺麗な三角を作って座っている。
「ごめんなさい。夜伽の邪魔して」
「なぜあのような所に隠れていた?」
「……か、かくれんぼ」
「いつからあの中にいた?」
「夕餉の前くらい」
愛紗は黎明の質問に簡潔に答えた。言い訳がましく言葉を重ねれば、ぼろが出る。何でも見通すような黎明を前にして、誤魔化すことはできない。ならば、端的に答えたほうが傷は浅いと考えたのだ。
「あれは人の入るものではない。書物などをしまっておく木箱だ。もう、二度と入ってはならない」
「あい……」
いつも、二人きりの黎明は愛紗に優しい。しかし、今日の彼は厳しく冷徹帝の片鱗を見ているかのようだ。
すると、今まで黙っていた映貴妃が突然口を挟む。と、同時に手も出した。座してうなだれる愛紗を抱き上げ、膝の上に置いたのだ。
「黎明、あまり怒ってやるな。この子だって寂しかったんだろ? 遊びであんなところに隠れるわけがない」
映貴妃が愛紗の乱れた髪を撫でる。
「ごめんなさい。もう寝所では遊びません」
こういうときは素直に謝るのが一番。愛紗は深々と頭を下げた。しかし、黎明の表情はいまだ硬いまま。幸い、眉のあいだに皺は寄っていなかったが、それも時間の問題のように思えた。
愛紗は十然の忠告を思い出した。「皇帝の命令により刺殺」。それくらいしそうだと思うくらい、彼の顔は険しかった。
今日、このまま侍衛に引き渡され、刺殺を命令する可能性もある。
思わず、映貴妃の襦裙にすがりつく。やっぱり胸はない。どちらかと言えば、鍛えられた筋肉のように見える。
「黎明はわかりにくすぎる。寝所で遊んだことを怒っているのではなくて、間違いがあれば怪我のもとにもなりかねなかったことに怒っているんだ。愛紗様を心配しているんだから、そんなに怖がらなくていい。このままじゃ、今夜の仕事ができなくなる」
カラカラと笑う映貴妃の顔を見上げる。
「仕事? 夜伽のこと?」
「今、この状況が夜伽に見えるか? 夜伽っていうのは男とおん――」
「おい、愛紗はまだ五歳だ」
映貴妃の言葉に重ねるように黎明が声を上げる。その言葉に怒りを感じ、愛紗は肩を振るわせた。映貴妃は目を細めて笑うと、愛紗の脇を持ち、そのまま黎明の膝へと移す。
黎明の手が優しく愛紗の頭を撫でる。その手つきに怒りは感じない。猫を撫でるような手つきについ目を細めた。
映貴妃が言うとおり、怖がる必要はないのかもしれない。
「愛紗、気がついていると思うが、映貴妃は男だ」
「男。男の人もお父さまと結婚できるの?」
「いや、本来ならばできない。色々と事情があって、彼には女性のふりをして後宮に入ってもらった」
「いろいろ……」
愛紗は映貴妃の姿をまじまじと見た。ほとんど下着と変わらない姿である映貴妃は、眠たそうに大きなあくびをする。白い肌ではあるが、あらわになっている胸元には女性特有の柔らかな膨らみは一切なく、腕も筋肉がついていた。
背が高いのも頷ける。男だからだ。
映貴妃はあぐらをかくと、愛紗の顔をのぞき見てニイと口角を上げた。
「夜伽と称して、ここで他ではできない仕事をしている。まだ黎明が皇位について二年だ。敵も多い。隠れてやらなくちゃいけないことが色々あるんだ。だから、今日は愛紗様との時間を奪ってしまった。すまないね」
ガシガシと頭を乱暴に撫でる手は、黎明とは違う優しさがある。
映貴妃への寵愛は見せかけのもの。夜伽のあいだ、寝所に入るものはいない。だから、ここがよい仕事場になるのは頷ける。
愛紗は納得して頷いた。そして、青ざめる。
「そんな大切なこと知ったあたしを二人は殺すのね……?」
今、黎明が命令すれば、愛紗の命の灯火はあっけなく消えてしまうだろう。「皇帝の命令により刺殺」がここでいきてこようとは。
「馬鹿なことを考えるな。愛紗を殺すわけがない。ただ、このことは誰にも言ってはいけない。雛典宮の者たちにも絶対だ」
「あい。あたし、秘密は守ります」
黎明の言葉に愛紗は大きく頷いた。命は惜しい。それに、愛紗のなすべきことは、彼を困らせることではなく、彼の命を守ることなのだ。夜伽と称してこっそり仕事をしていることを吹聴しても得にはならない。
優しい手つきで黎明は愛紗の頭を撫でる。四日経ってよくよく考えてみたのだが、彼は頭を撫でるのが好きなようだ。皇帝という立場上、誰それ構わず撫でられるわけではないと思うが、愛紗にせよ、子猫にせよ、彼はことあるごとに撫でる。
その手つきが優しく、気持ちが良いものだから、愛紗はついそれを受け入れてしまうのだ。
「いいこだ。今日は帰りなさい」
「や」
それとこれとは話が別である。愛紗は頑なに頭を横に振った。これから刺客がやってくるのだ。映貴妃の秘密を知ったくらいで満足して帰れるわけがない。
男だとわかったところで、映貴妃が鬼と関係していない証明にはならないのだから。
黎明と愛紗は「帰りなさい」と「や」を繰り返す。五回ほど繰り返している中、映貴妃は耐えられず笑いを漏らした。
「いいじゃないか、黎明。愛紗様だって黎明の手伝いをしたよな?」
「あい」
「なら、愛紗様は墨係だ」
映貴妃は愛紗の小さな手に墨を置く。黎明の許可を得るために見上げると、小さなため息を吐き出したが、「だめ」とは言わなかった。
「眠くなったら言うんだ」
「あたし、まだ眠くないです。それより……」
どうにか潜入に成功したら「きゅう」と小さく腹がなった。
「腹が減ったのか?」
「夕餉の前からここにいたから……。あ! 饅頭があるから大丈夫です」
愛紗は嬉々として入っていた木箱の中に頭から入る。その姿は猫そのもの。黎明と映貴妃が優しい笑みを向けているなどつゆ知らず、愛紗は木箱から持っていた饅頭を取り出した。
「あー、ぺしゃんこだ」
愛紗の手にもつ饅頭は、月餅よりも平たくなっていた。木箱が倒れたときか、人間に戻ったか、はたまた愛紗の寝相が悪かったかのどれかが原因だろう。
「愛紗様は用意周到だな。潜入のためにこんな物まで用意するとは」
すっかり男のような態度で愛紗の隣まで来た映貴妃は、手から平たくなった饅頭を奪う。平たくても饅頭は饅頭。腹を満たすには充分だ。しかし、こともあろうに映貴妃はその饅頭をパクリと一口食べてしまったのだ。
「あ!」
「んー。うまい。ちょうど腹が減っていたんだ」
「あたしも、ぺこぺこなのに……」
「愛紗様は、外にいる太監に『お腹すいた』って言ってくるといいさ。すぐに美味しい飯が来る」
映貴妃は言い終えると、ペロリと饅頭を食べてしまう。ただの一口分も返してはくれなかった。
 





 
