鬼道探偵 九頭竜九郎編 4
夜が明けて、九郎は再び役所に来ていた。
ヴィタは宿で眠っている。
夜討ち朝駆けとはいったもので、昨日の昼間に件の村まで馬を走らせ、火車を討つと朝にはまた馬上の人となった。
さすがに女は連れ込んでいないようだが、今日の夕刻にはどこぞの廓にしけこむことだろう。
掲示板を見る。情報は更新されていた。
『沈没事故の件について
無憂樹の月16日付けで先の沈没事故は、正式に魔物によるものと認定されました。調査に向かった魔物狩り隊は1名を残し壊滅。魔物の詳細は依然として不明。
上記の点より、この件を軽度災害級の魔物と暫定的に認定し、討伐者には賞金〔10,000,000ペタ〕を支払います。詳細は兵務局にお尋ね下さい。
なお亡くなられた魔物狩りは以下の4名
“網槍”アブソス、“赤樫”リデル、“雲盗り”―――――――』
「これは……また面倒なことになりましたね」
雷鳥「軽度災害級か。それで済めばいいがのう」
探偵「含むところがありそうですね、ご老人」
雷鳥「儂にははした金に逸って命を捨てる馬鹿共のことなんぞわからんよ。“南の草国”の役所も役所だ。“歪みの魔王”討伐に浮かれておるのやもしれんが、どう見ても後手に回っておきながらこの紙切れ1枚とは。なんたる体たらくか」
探偵「役所は役所ですからねえ。ええ、身に覚えが」
そのまた次の日の朝。
今日はヴィタも連れてきている。
「誘ってやったんは俺だが、ずいぶんと仕事熱心になったもんだなあ」
「ルドキアへ行くのが第一の目的です。気にもなりますよ」
軽口をたたきあいながら掲示板の前に来ると、魔物狩りに加え、船乗りや漁師と思しき人も増えていた。
「どうしてこれで海軍が出張らないんだ?」
「正体不明の魔物に貴重な軍船を消耗するのが嫌なんだろう。特に最近は魔王軍との戦いで消耗している」
「なんとまあ、素晴らしい国だ」
「それに、災害級以上の魔物に数の利が当てにならないことは、アラヤ湾海戦で証明されている」
「それ150年前の事件だろ? 最終的にはあの“雷鳥”が出張って解決したんだ。歴史好きめ、そんな昔のことが参考になるかい」
「150年前も今も大して変わんないさ。歴史を動かすのはいつだって魔法と剣に長けた英雄だ。ついにあの“蒼の舫”が動くらしいぞ。この事件も解決じゃないか?」
「魚将旗下十二軍頭中4頭を斃した凄腕か。奴らなら確かにやれるか」
話は昨今の軍の腐敗やどの国の兵器を導入するかにまで話が及ぶ。九郎は人込みをかき分けると、やはりピン止めで掲示板に泊まった紙切れ1枚を見やった。昨日の内容に修正が加えられている。
『この件を災害級の魔物と正式に認定し、討伐者には賞金〔20,000,000〕ペタを支払います。詳細は兵務局にお尋ね下さい』
兵務局出向所の担当は、屈強な一つ目巨人族の女だった。バイザーのような一つ目用メガネを頭に被っている。
役人用の黒い貫頭衣は、シンプルな分あらゆる種族に合わせて作ることができる。
彼女が座っているのは椅子というより丸太だ。
座っていても、こちらを見下ろすようになっている。
これでは腰が辛そうだなと九郎は思った。
「あなたがあの“牛追い”のヴィタさんですかあ?」
「今は“鬼首”で通ってる」
「残念なんですけどお、この任務はご自分の軍船を所持されている方か水棲系種族――もしくは水上戦闘が可能な魔法や道具を持った方のみに限定させていただいてるんですよねえ。生息地の『神殿岩』は海の真ん中にあるんですう」
見た目に似合わず舌足らずで間延びした声で、仕事の説明をする。
九郎と並んで立っているヴィタが尋ねた。
「お前水の上歩ける?」
「一応は」
水の上を歩くことくらいは可能だが、ヴィタを抱えて戦闘する自信はない。
「“蒼の舫”さんに随行しての偵察任務ということでしたらあ、船もお貸しできるんですけどお」
「報酬は?」
「50万ペタお支払いしますう」
「やるぞ探偵」
ヴィタは即答だった。
「見てるだけで50万ペタだろ? 楽勝楽勝」
「これが船?」
ヴィタはその船を見て唖然としている。
船は船だが、
「小舟ですねえ。川渡しにでも使うような」
「手漕ぎ式じゃねえか。ふざけんなよ」
ヴィタの言う通りのものがそこにあった。
木造の粗末な小舟だ。
船底にはフジツボが付いており、手入れをされているかどうかすら怪しい。
「動力は僕が何とかしましょう」
九郎は符を2枚取り出し、海へと向ける。
「急急如律令!」
符が命中したのは、ハジロザメという低級水魔だ。
3m級のそこそこ大きい魔物だが、戦闘力は高くなく、海に落ちた人間しか狙わない。
つまるところ九郎の世界のホオジロザメとさほど変わりない生物だ。
2尾のハジロザメがこちらに寄ってきた。
「一時的に式として下しました。彼らに舟を引かせましょう」
縄をハジロザメに引っかけ、小舟を出港させる。
地上が遠ざかっていく。
星読みは基本中の基本なので、太陽の位置から海図を読むなど造作もなかった。
魔物が潜むという『神殿岩』に向かう。
海の真ん中に水面からの高さ50m級の柱状の岩が円形に並んでいる。
円は直径800m。柱と柱の間はおよそ15mの間隔だ。この奇岩を、近場の漁師は『神殿岩』と名付けた。
『神殿岩』には先客がいた。
“蒼の舫”のペルスエイトだ。
筋骨隆々とした半袖セイラーコートの半魚種の男が、中型の帆走式軍船の上で腕を組んでいる。
「海だ!」
“蒼の舫”はおもむろに叫んだ。
「海は広い! 心も広い! 当然俺の心もすごく広い! だが限度がある! 特にお前はなんだ“鬼首”!」
「あ? 俺か?」
ヴィタは“蒼の舫”を睨んだ。敵対的な雰囲気を感じ取ったからだった。
「“鬼首”のヴィタはかなりがめついチンピラと聞いている! 部族抗争に介入して小銭を稼ぐ最底辺の傭兵上がりの下種野郎だとな! お前は海の男ではない! 偵察だか何だか知らないが、お前のような男が大いなる海に抱かれているのが気にくわない!」
「ははは、あいつ俺のことがめついチンピラだってよ。ウケるよな」
ヴィタはあからさまに罵倒されてもあっけらかんとしている。慣れているようだった。
「俺は海の男だ! 俺の部下も全員海の男だ! 海を愛し! 海で死ぬ! 故に海を荒らす魔物を許さず、これまで十二軍頭すらも狩ってきた! お前たちのような金目当てとは違うのだ! 俺の目を見ろ! 海が映っている!」
「はははははは、探偵、あいつ面白えぞ!」
小舟の上を転がりまわるヴィタ。舟が揺れて転覆しそうになった。
「とにかく、お前たちはそこで海の男の活躍を指を咥えて見ているがいい! 荒々しく雄々しい、海の男の活躍をな!」
海の男海の男と連呼するが、操舵手の魔法使いは女だった。
「マストを畳め! アンカー上げろ!」
「アイサー!」
セイラーコートの部下たちが、命じられた作業を行う。よく訓練されており、一瞬ともいえる時間で完了した。
「ウビト、エンジン点火だ!」
「アイサー、キャプテン!」
ウビトと呼ばれたヒト族の魔法使いが、舵輪に魔力を込めた。
木造の船尾に、謎の構造物がせり上がる。
船の横にはウイング上の構造が突き出し、シルエットが随分と変わった。
「“てんか”」
魔法使いが力あることばを唱えた。
謎の構造物に、白い火が点る。
「“きゅうき”“ねんしょう”“はいき”“ちつじょを”“ゆだねよ”」
一呼吸、魔法使いが吸い込む。
「“ふんしん”!」
轟音とともに“蒼の舫”の船は超加速をし、『神殿岩』の隙間を抜けていく。ウイング構造はダウンフォースを発生させ、船首が起き上がるのを防ぐための仕掛けだった。
「“西の水国”海軍が秘密裏に開発していた最新の魔法式噴進エンジンだ! なんでそんなものを俺が持っているのかって? それは俺が海の男だからだ!」
水蒸気を噴き出しながら進む船。神殿岩の内周をぐるぐると高速で回りながら、“蒼の舫”はその手に武装を握る。
ドヴェルグ製の巨大な銛。
銛の柄尻には謎の筒が覆いかぶさっていた。
「海底に眠ろうが、海の男の目は誤魔化せないぞ!」
ペルスエイトはその武装を放った。特殊火薬で大銛を射出し、水中の魔物に突き刺す自慢の武装だ。
「当たった! 船を引け! 砲撃準備! 引き上げるぞ!」
命令通りに、それを海底から引き揚げていく。
獣のような牙を持った、首だけの巨大な魚だった。
「あれは……!」
“蒼の舫”が驚愕する。見覚えがあるようだった。
「いや、そんな馬鹿なことがあるか! 気の迷いだ!」
しかし巨大魚には銛が刺さっていない。不可思議な力で、自身の眼前に引き留めているのだ。
それでも、海面に引きずり出されたことには変わりない。
卓越した眼力と狙撃センスで銛を水中の魔物に打ち込み、砲撃の一斉射で仕留めるのが“蒼の舫”の常套手段だった。
「全門開け! 斉射!」
これまた最新式の旋条砲が、一斉に火を噴いた。
だが、砲弾は魔物の前でひしゃげ、不可思議な力で止められている。
「やはり、やはりお前は――!」
“蒼の舫”が最後まで言葉を発することは無かった。
甲板に立って銛の射出機を掴んでいた“蒼の舫”はやはり不可思議な力で潰され無惨に粉砕された。血飛沫も、肉塊すらも残らない、超自然の破壊だ。
「そんな、魔力が見えなかった!」
舵を掴んでいた魔法使いが叫ぶ。
それが彼女の最期の言葉となった。
「“ゆがめ”」
血のような液状の体で己の首を海面高くせり上げた魔物の、力あることばとともに“蒼の舫”の軍船はバラバラに破壊され、海の底に沈んでいった。
九郎の横、ヴィタが恐怖に震えながら叫ぶ。
「水晶電信……駄目だ逃げるのが先だろ……。あ、あああ……あれは手配書で見たことがある……。歪みの魔法、獣牙の大水魔……魔物狩りならその名前を知らねえ奴はいねえ……」
その名は。
「“歪みの魔王”の四将、魚将ヘルデバルト!!」
探偵「強敵ですか!? どう対処します!? 逃げたほうが!?」
雷鳥「お主には強敵だ。だが戦え! 奴も文字通りの死に体、やれんことはない。そもそも、最早逃げ切れんぞ!」
探偵「承知。1度斃したのはあなたと聞き及んでいます。手管の説明を」
雷鳥「分かっておる。この“雷鳥”の教え、一言たりとも聞き逃すでないぞ!」
魚将ヘルデバルトは九郎たちの船を見た。
ぞくりと嫌な予感を覚え、瞬間的に叫ぶ。
「ヴィタ、岩に跳び移ります!」
九郎とヴィタが、別方向の『神殿岩』に跳ぶ。
次の瞬間、粗末な小舟はハジロザメごと粉微塵になっていた。
九郎は垂直の岩を走る。
「どうやるんだそれ!」
岩に掴まっていたヴィタが叫んだ。
「忍術です!」
「クソ、探偵にできて俺にできねえことがあるか!」
ヴィタも、住血吸虫由来の身体能力と天性のバランス感覚で岩を走る。
魚将は死んだ目でじっとこちらを見ていた。
「“雷鳥”が殺したって聞いてたぞ。死んでるのか、あれは。歪みの魔法ってのは死体も動かすのかよ!」
雷鳥「儂が迂闊だった。魚将ヘルデバルト、死んでなお世界に仇為すか」
探偵「歪みの魔法とは?」
雷鳥「外宇宙由来の魔力とも異なるエネルギーだ。不可視かつ純然たる力場故、察知も防御も儂はともかくお主らには不可能」
探偵「つまり気ではなく力場を感じ取ればいいのですね」
九郎は符を放つ。符は九郎とヴィタの周囲を回り、結界を形成した。
「これは!?」
「力場を検知した方向から音の出る結界です。攻撃の軌道を予測し、避けてください」
「範囲は!?」
「15m。岩から岩までの間ギリギリです!」
「分かった!」
岩を飛び移りながら、歪みの魔法を避けていく。
800mの円周を一瞬で回り、相方と交差する。
「避けるのはいいが、攻撃手段がねえぞ!」
「僕ならば水の上を走れます! 攻撃の合間を見て仕掛けてみます!」
50mの巨岩を滑り、海面に立つ。
小夜啼鳥を片手に構え、血の柱のような魚将の身体を目指した。
雷鳥「あの血の柱も歪みの魔法によるもの! 考えなしで突っ込んでも斬れぬぞ!」
探偵「では呪を投げましょうか」
九郎の投げた符が魚将に命中。
受けた怨嗟により相手を攻撃する呪符は、魚将の血を病ませた。
だが、
「“ゆがめ”」
歪みの魔法により、呪すらも雲散霧消する。
「なんでも有りですか、あれは!」
九郎は正面を抜け、再び岩に張り付いた。
魚将も少し堪えたのか、海の底へ潜っていった。
「穴熊決め込もうってか!」
ヴィタが恨み節を上げる。
歪みの精度は落ちたが、数が増えた。
「ヤベ対処が――!!」
処理しきれずに、ヴィタに歪みの魔法が迫る。
ヴィタはウルフバートを振るが、歪みの魔法を斬ることなどできないだろう。
ウルフバートごと砕けて終わり――そう思えたが、
「手ごたえ―――有りかよ!? 斬れちまったぞ、歪みの魔法」
雷鳥「なんだと!!」
探偵「あなたが驚いてどうするんですか」
ヴィタは岩の一つに陣取り、結界に迫りくる歪みを次々と斬っていく。
魚将もそれを察してか、ヴィタの方を集中的に狙うようになってきた。
「魚将ヘルデバルト! この臆病者が! 海ン中引きこもったままで俺は殺せねえぞ! 将を名乗るなら勝負しやがれ!!」
ヴィタが気炎を放つ。それを受け、魚将が再び海面上に現れた。
ヴィタの瞳は、いつの間にやら淡い光を放つ青に染まっている。
「“ゆがめ”」
力あることばにより、より多くの歪みの魔法がヴィタと九郎に降りかかる。
『神殿岩』までも巻き込み始め、もうお構いなしだ。
雷鳥「海底で己が流されんように固定していたものであろうに、余程あれが恐ろしいか」
「クソ、俺は海の上なんざ走れねえからよ、あいつをこの剣で斬ろうにも斬れねえ! 探偵、どうすりゃいい!」
「あなたの身体を一直線に飛ばすことならばできます。ですが、結界術だけでは反応が間に合わない。なんとかあの歪みの魔法を視認しなければ」
まり「参考になるかわからないけれど」
真里だ。
口をはさむこともできず、固唾を飲んでこの成り行きを見守っていた。
まり「コンサートホールで戦ったベルゼビーストは音を使って攻撃してきたんだけど、見えない音の攻撃に苦戦させられて」
探偵「それで?」
まり「コンサートに使われるスモークって――煙を発生させる装置なんだけど、それで煙を撒いて音の攻撃を見えるようにしたの」
探偵「成程」
まり「ごめんなさい、忙しいときに」
探偵「いえ、おかげで整いました!」
糸口は見つかった。
九郎はヴィタの陰に隠れ、攻撃を防がせる。
「言霊を唱え終わるまで守ってください!」
「できるんだな!」
首肯し、唱える。
「汝現世に未練残せし霊魂よ。未だ静まらぬ御霊よ。彼の悪鬼に恨みあらば晴らすべし。我、九頭竜九音卿九郎が汝に誓う―――急急如律令!!」
空中に五芒星を描き、術式を張る。
その術は口寄せ。呼び出す御霊は付喪神。
“蒼の舫”の愛船の――エンジンの。
海中から最新式の噴進エンジンが上昇してきた。
傍らに浮遊するのはエンジンを操作していた魔法使い――ウビトの霊だ。
「“ふんしん”」
霊が力あることばを唱えた。
船という重しの無くなったエンジンは、音速超過で『神殿岩』の内周を飛翔する。
海水を巻き上げ、粉微塵に粉砕し、霧を作っていく。
生前見えずになすすべもなく殺された攻撃は、今はっきりと分かる。
そのことを喜ぶかのように、ウビトの霊は歪みの魔法を避けながら高速の凱歌を唄う。
「見えるぞ! 探偵!」
ヴィタと九郎の乗った最後の岩柱が砕けた。
同時に、ヴィタが九郎の術で飛ぶ。
見える。見えている。
歪みの魔法を斬り刻み、ヴィタは魚将の首に到達した。
「これで本当に最期だ! 死に損ない!!」
斬る。
魚将を保護していた歪みの魔法ごと、首を両断した。
力を失い、身体を形作っていた血がほどけていく。
頭の横にヒレのような器官を持った美しい女の首が、真っ二つになって海に落ちる。
それが、魚将ヘルデバルトの本性だった。
全てが終わって、『神殿岩』の残骸の上。
舟と一緒に沈んだと思われた水晶電信は、九郎が隠し持っていた。
救助を待つ。
「すげえな探偵。大した魔力じゃねえと思っていたが」
「魚将を殺したのは、彼女が殺戮の果てに集めていた怨恨そのものです。因果応報、僕はその仲介をしたに過ぎない。これが鬼道師というものです」
「はあ……決めた、1025万ペタも手に入ったんだ。俺も“西の水国”に行くぜ」
碧い、碧い海上に、男2人だけが何時間も座っていた。