鬼道探偵 九頭竜九郎編 3
ゼブカンドは、九郎にして久しぶりの都会だった。
城壁に囲まれた市中は人でごった返しており、そこら中に市も立っている。
20年前、“西の水国”との戦争ではこの街も砲撃にさらされたということだったが、今ではその面影も無い。
街を行き交う人々は多岐にわたる。
彫の深い褐色のヒトが主だが、成人でも90cm程の小人や3mもある巨人、耳の長いのや一つ目、天狗鼻。
獣顔も豊富だ。獅子頭、犬頭、鰐頭―――人が多い分異人種も多い。
第八帝都時代の皇国では、このような人種は半妖などと扱われ、隠形の術を施した隠れ里や山の合間に潜むことが多い。第七帝都時代に比べれば数は激減したが、一応程度には健在だった。
とはいえ日陰者でしかないので、化けたり隠形を用いないままに堂々と街を闊歩することは無い。
かくいう九郎も半妖の1人で、本性の半分は狐である。満月の晩などにうとうとと気を抜くと獣に変じていたりするので、そういう日は物忌みをして自室で過ごす。
ゼブカンドの市には不可思議な気が込められた道具や、見たことも無いような野菜が並んでいた。
“南の草国”は、その名の通り豊富な植生を持つ。ジャングルや草原、高山地帯まで、様々な自然の宝庫は、マギノニア野菜の原産地の6割とも言われている。
カペプの実、3ペタ25キップ。
ゴンズー南瓜、6ペタ50キップ。
ムカ米、1トブンあたり70キップ(量り売り)。
見知らぬ貨幣、見知らぬ単位。ちょっとした果実さえ、九郎には買うことができない。村で少し食事をもらって道中はそれで凌いでいたが、もうそれもない。
ひもじい。腹が減った。
貧するにつれ、理性的な九郎が本能に侵食されていく。
このままでは立ち行かないので、とりあえず護符を売ることにした。
自己清澄や快眠用の軽微な効果だが、この世界でも符術は一般的だったようで、辻に立って符を売るとそれなりに金が入った。
1日で700ペタ分の銅貨と銀貨が手に入った。
相部屋の安宿が100ペタくらいなので、野宿はしないで済みそうだ。
王都に近い“西の水国”の港町、アルポーナまでの船代が10000ペタなので、それだけ稼ぐにはしばらくかかる。
下手をすれば生活だけで手いっぱいかもしれない。
まり「九郎さんがお金に困ってるってあぜみさんに言ったら『九音卿殿が金欠? ええなあ、養いたいわえ。ヒモの九音卿殿ええなあ』なんて言ってました」
探偵「僕が戻ったら彼女はお仕置きです」
まり「やぶめさんに言ったら『女衒でもやれば儲かるんじゃないのか。知らんけど……』なんて言ってました」
探偵「主人を女衒呼ばわりとはお仕置きが必要です。覚悟するように伝えておいてください」
そうこうしている内にゼブカンド滞在3日目、見知った顔に会った。
“鬼首”のヴィタだ。
その鱗鎧は、エボミズリュウという水魔の鱗を加工したものだということをこの街で知った。
軽量かつ頑丈で他の革鎧と違って水にも強い。
木賃宿に泊まっていると、“鬼首”あるいは“牛追い”のヴィタの名を旅人から聞くことがあった。やはり、彼は“南の草国”ではそこそこ名の知れた魔物狩りだったようだ。
「お、探偵じゃねえか! 生きてたか!」
正直会いたくなかったので逃げようとしたが、捕まってしまった。
「まあ待てよ。救助費? いいってことよ。お前の斃したマンバの首、35000ペタ分でチャラだ」
かなり一方的な取引で、しかも35000ペタもあれば王都への路銀を賄えていたとあれば、あの場は逃げずにヴィタとやりあっていればよかったかと少し後悔した。
「俺もこの街で遊び歩いてたらほとんど使っちまったけどな。また新しい魔物見つけねえと」
「いったい何をすれば70000ペタも使うんですか」
「女だよ! 金ってのはいいぜ。最高の媚薬だ。持ってりゃ持ってるだけ何でもできるしな」
英雄色を好む――というには放蕩に過ぎる男だ。
「探偵はほっといても女の方から来そうな顔だから分かんねえか」
余計なお世話だ。
「まあまあ。お前魔法使いのくせに領主の下で魔道具作ってるわけでもねえし、軍で術兵やってるわけでもねえんだろ? ちょうどいいや、俺と魔物狩りやらねえか。あんた魔法使いとしちゃほどほどの腕前だが、いれば大助かりだ」
「魔物狩り、ですか」
むしろ九頭竜の本分だ。ヴィタ程の武者ならば協働するのに不足はない。性格はかなり度し難い輩だが。
「いいでしょう。ルドキアまでの路銀を稼いだら僕は抜けますが、それでも構わないのならば」
「決まりだな! 今夜は廓で奢ってやるぜ!」
「それは遠慮します」
その晩はヴィタの奢りで少しまともな宿に泊まることになった。
部屋の下にある酒場で酒を飲む。
九郎はマンバの毒で肝臓をやられていたため、久しぶりの酒となった。
ガーガー黍を発酵させて作った酒は野性的などぶろくのような味だった。
ブドウ(驚いたことにこれはそのまま九郎の世界にもあるブドウだ)の酒は気候のおかげで甘味が凝縮されるためか、かなり出来が良かった。
蒸したガーガー黍にカペプの実とヤバネ鳥のスープをかけた料理は、“南の草国”北部の名物だという。
九郎が“南の草国”に来たばかりだと告げると、熱い視線でこちらをじっと見ていた店の看板娘は一も二もなくこれを勧めてきた。
美味である。
ヴィタはバリエビの唐揚げを1匹食べると、ガーガー黍の混ざったヴ麦パンを手で千切って口に運ぶ。
世界が違っても、主食の地位は炭水化物が占めるらしい。
平時の喧しさが嘘のように黙々と食べている。
意外と育ちはいいのかもしれない。
相方との会話がないので、他の客の会話ばかり聞こえてくる。
虎頭の客とヒト族だった。
虎の顔には思い出がある。大陸渡りの人虎だったが、人食いの癖があったので心臓を小夜啼鳥で突き刺し退治した。
食事中に悪いものを思い出した。客の会話に耳を澄ます。
「“歪みの魔王”が斃されたってのは、やっぱ確定情報か?」
「ああ、役所に水晶電信で知らせが届いたらしい。一昨日のことだと。崩壊した魔王城跡には瘴気の一つも残っていないそうだ」
「この1年、四将すら1人も斃せなかったのにか? なんだって急に」
「“雷鳥”が動いたらしい」
「あの伝説の……?」
「あの方は四将を矢継ぎ早に皆殺しにすると、即座に魔王城を攻め落としたそうだ。それもお1人でな」
「嘘だろ……。四将だけで4大国と張り合ってたような連中だぜ」
「でもあの“雷鳥”だ。真実味は十分ある」
「“雷鳥”なら……か。水晶電信の報告なら真実だろうな」
雷鳥「どやさ」
探偵「本当に偉い方だったんですね。驚きです。心底驚いています。本当に信じられません。吃驚です」
雷鳥「実は信じとらんだろ貴様ー!」
探偵「ところで、水晶電信とはなんです?」
雷鳥「儂の発明した通信装置だ。水晶に込められた術式で、特定の振動を発信。増幅した信号を離れた場所にある水晶に振動として伝える。これによって使い魔だの狼煙だのを利用していたマギノニア通信技術は劇的に変わった――だがな」
探偵「それは、電波通信という奴ですね。僕のいた世界では民間にも普及しつつあります」
雷鳥「そうだ。儂がいくら便利な魔法を発明したとて、皆『魔法』の『先』にその技術を進めようとせなんだ。儂の今いる世界では、単なる音声、文字だけではなく、映像や通信網の中にしか存在しない金まで、あらゆる情報が似たような技術をベースに行き交っておる。それも、あらゆる階級の住人が、同じように高度な技術で作られた端末を所持してだ」
探偵「真里さんの言う『スマホ』や『インターネット』という奴ですね」
雷鳥「儂は魔法しかできん。故に、『魔法』で得られた『理論』のその『先』に『技術』を到達させるのは、儂以外の役目だと思っておった。今でもそう思っとる。1000年後、2000年後には、儂の発明なんぞ忘れ去られて当然。“雷鳥”の名なぞ生活に何ら関わりない偉人の1人になればいいとな。―――長話が過ぎた。儂はもう寝る」
インバネスコートの下、こっそり抜いた小夜啼鳥から声が消えた。
金打音が出ないよう、静かに鞘にしまう。
酒は飲んだものの、正体が怪しくなるほど酔っているわけではない。九郎は酒に強かった。
ヴィタがエビとパンを完食し、酒を空にする。
「足りたか?」
「ええ、ありがとうございました」
「払っといてくれ。俺はそこら辺で街娼引っかけてくる。食事中ムズムズしてたまらんかった。酒はやはりいいな」
真顔で金を置いて店から出ていった。
次の日は役所に行くことになった。
人里で悪さをした魔物は賞金が付き、野良の魔物を退治するよりも高値の報奨金が出る。
ここで言う『悪さ』とは、殺人、人食い以上の所業に対して定義付けされる。その昔強姦を行った魔物に対しても報奨金を設定しようという動きがあったが、名誉殺人の言い訳などに利用されるに至り取りやめとなった。
報奨金の他には、魔物の生体組織の希少性、利便性などで決定されていた。
ヴィタのエボミズリュウ鎧をはじめとして、魔物の素材は日用品、軍需品として必要不可欠だ。魔術の触媒や薬品にも利用される。
“歪みの魔王”は世界中に瘴気を生み出し魔物の発生を促進したが、この点だけは役に立ったともいえる。
魔物狩りに殺された魔物の死骸は公営の競売にかけられ市場に流通していく。
魔物は、お上にとっても重要な資金源だった。村邑に対する外壁の建設費や傷病者に対する保護などを考えると、割に合っているかどうかは怪しいが。
「割のいい仕事は早い者勝ちだ。ま、魔物狩りなんて命がけで装備代ばっか食う仕事するぐれえなら、人間相手に好き勝手した方がいいって連中のが多いからな。競争はあんま激しくねえんだわ。特にドヴェルグ製の武器と住血吸虫なんざ正規軍の騎士並みの装備だからな」
「住血吸虫とはなんです?」
九郎の世界にも同じ名前の生物が存在するが、よもや病原寄生虫ではあるまい。
「人間の血の中に巣くって、身体能力と再生力を飛躍的に高めてくれる寄生虫さ。良いもんだぜ、殆ど不死身に近い。精力も上がるしな。血に完全適合するよう魔法使いが調整したものしか使えねえから、ちと高価なんだが。俺は人相手の傭兵で稼いだ金全部突っ込んで施術してもらったよ」
マンバとの戦いで見せた身体能力の秘密がそれか。
「俺は当然、施術前から滅茶苦茶強かったからな。術後はそりゃ稼ぎまくってそれなりに名も売れて、女にも不自由してねえ。だが、まだまだ稼ぐぜ。金なんざ有るだけ困らねえからな」
「満身創痍の文無しから巻き上げようとした理由がそれですか」
「はっ、俺が倫理感や正義感で命賭けてるように見えんのかい?」
ヴィタは悪党の類だ。だが、これはこれで乱れた世に寄り添うように生きているのだろう。ある意味、時代に必要な英雄の素質すら持っているといえる。
「どうせ生まれも分かんねえ根無し草だ。あるもん全部利用して好きに生きるのさ」
「立ち入ったことを訊きますが、戦争孤児か何かですか?」
「そうらしい。20年前、この国の馬鹿王が“西の水国”との戦争をおっぱじめたわけだが、俺にはそれ以前の記憶がねえんだ。開戦後ほんの数日、背中に何十本って矢の刺さった女が、牛飼いの家に5歳くらいの俺を預けたそうだ。多分そいつが母親だったんだろうな。顔も憶えてねえがよ」
「そうですか」
「記憶を無くすくらいショックだったってこたあ、それなりに慕ってたのかねえ。ま、今はこんなだが」
これで1つ分かったことがある。“牛追い”ヴィタの異名の由来だ。
話は終わりだとばかりに、路上生活者をつまみ出すのが仕事の衛兵の横を抜けて役所に入る。
木製の掲示板には、魔物に関する様々な情報紙がピンで張り付けられていた。
その中の一角に気になる情報があった。
『西回り航路は魔物が原因とみられる沈没事故により、通過禁止令が布告されました。追って魔物狩りによる調査を行います。期限:無憂樹の月14日~未定』
西回り航路と言えば、“西の水国”のアルポーナ港行きの船だ。この紙がはがされない限り、九郎が王都ルドキアへ行くことは出来ない。
「追加情報が欲しいところです。明日の朝もここに来たい。少なくとも今夜中に終わる仕事などありませんか?」
「んー、近くの村とかで出てるかもな」
その夜、九郎たちは古戦場に好んで現れる火車という魔物を狙うことにした。
似たようなのを退治したことがあったので楽な仕事だった。
およそ10体の集団で出現し、1体5000ペタ。
他の魔物狩りの徒党も狙っており、九郎とヴィタ合わせて5体分25000ペタの儲けとなった。
「安っすい仕事だな! ぺーぺーのドサ回りじゃねえんだぜ!」
「古車輪なんて何の役にも立ちませんからね」
「馬代2人で1000ペタだぜ? やらねえよりゃマシ程度の稼ぎじゃねえか」