鬼道探偵 九頭竜九郎編 2
九頭竜九音卿九郎が目覚めたのは見知らぬ街道だった。
舗装もされていない土の道。轍跡がくっきりと刻まれている。
立ち上がり、インバネスコートの埃を払う。
帽子、眼鏡、そして一番大事な先祖伝来の妖刀小夜啼鳥は無事だ。
他の物、符などは御蔵との対決でほとんど使い切ってしまった。
後は、自衛の役には立たないだろうが、龍笛が1管。
巾着の中には小銭が数銭。先帝の肖像が印刷された紙幣が何枚か。魔人御蔵絶円が小銭をネコババするとも思えなかったが。
主だった手持ちの荷物はこんなところだろうか。
さて、ここはいずこかと見渡す。
帝都郊外の田舎道――というわけではなさそうだ。
乾燥した空気。葡萄のような果樹の畑。植生は、乾燥地帯に特有なイネ科のような草と多肉植物が主。
星を見た。見知らぬ星だ。星読みに長けた九郎は南半球の星空すら知悉していたが、何もかもが滅茶苦茶な配置だった。
これでは鬼道を使うのに最も重要な方角も分からない。
何より違和感を覚えたのは、地脈の流れ。
地脈に流れる気が尋常の量ではない。九郎にしてみれば大震災でも起きそうなレベルだが、いたって穏やかだ。
「どこですか、ここは」
ひとりごつ。答える者はいない。
夜。街道に人気は皆無だった。
ぎょえ、と妖のような声がしたので、小夜啼鳥の柄を持って振り向く。
人面の怪鳥がそこにいた。
姑獲鳥か何かだろうか。
しかし、危害を加える風は無い。まるで普通の野生動物のようだった。
否、まさしく普通の野生動物だ。瘴気、妖気、いずれも感じ取れず、自然と同化した正常な気を発している。
異常な世界だ。
そうこうしている内に、小夜啼鳥がりいん、と鳴った。
鯉口を切り1尺ほど抜く。
そこには帝都の河川敷と思しき風景と、流線型の車が行き交う見知らぬ街が映し出されている。
そして声が聞こえた。
少女と老人――真里とゴノークだった。
異世界の少女、吉田真里は九郎の元いた世界に飛ばされてしまっていた。
自身の探偵事務所に保護することとし、道案内を開始。
真里は年齢の割には聡明な子供だった。心が折れてもおかしくない状況で、行動を起こせるだけの胆力がある。
孫ができるならこういう子がいいと、柄にもなく思ってしまった。子供どころか妻もいないのだが。
兎に角、自分も動かねばならない。
ゴノークによるとここはマギノニア。神代のエーテルが残る魔法世界。その中の“南の草国”という国だそうだ。
真里を案内しながら、ゴノークの勧めで付近の村に逗留することにした。
雷鳥「野営だと? お主がか? 集落の外で野宿など狂気の沙汰だ。軍勢やよほどの手練れ――まあ具体的に言って儂レベルの魔法使いでもない限り、魔物の餌になるのがオチだろうよ」
探偵「魔物? そうそう頻繁に出るものなのですか?」
雷鳥「頻繁も頻繁。森に山菜取りに行って妖精に拐かされるなど、この世界じゃ珍しくもない。神出鬼没で素早い人狼も剛力の霜鬼も獰悪で敵対的な魔物だ。軍も集落付の魔法使いも常に扱いに苦慮しておる」
探偵「堂々としているのですね、この世界の妖物は。第四帝都時代末期の洛中は餓鬼が所狭しと満ちるような状態だったとは聞きますが」
雷鳥「お主のエーテルに乏しい世界と一緒にするでないわ。とにかく、野営は論外だ。村を探せ。畑があるのならば村落も近いだろう」
探偵「ええ、承知しました」
歩き出す。
見知らぬ星空だが、帝都に比べると圧倒的に明るい。
元来九郎は妖狐の血を受けているため夜目が利く。星の明かりだけでも危なげは無かった。
丘を2つほど越えると、低い石垣に囲まれた草葺きの集落が見えた。
泊めてくれるといいのだが、と思い村に向かう。
途中、真里が低級な鬼に襲われたようだが、やぶめがなんとかしてくれた。
彼女が付いていればひとまずは問題ないだろう。安心する――と、気配を感じた。
清澄な地脈が乱れ、剣呑な敵意に満ちる。
「これは……!」
雷鳥「マンバだ! 巨大な毒蛇の魔物だぞ! 今のお主には荷が勝つ。逃げろ!」
探偵「もう遅いようです」
地面の下、乾いた砂を巻き上げてそれは出現した。
マンバ――同名の毒蛇は九郎の世界にもいる。暗黒大陸に生息しており、ホルマリン漬けの状態で見たことがあった。
だがこれは全くの別物だとはっきり分かる。
ガラガラヘビの様にのたくった巨体は10mを優に超え、その胴は成人男性程も太い。
顔面は爬虫類特有の可愛げなどなく、ただただ凶悪だ。
短刀のような牙から滴る毒気も凶暴な顔も、やぶめの本性の方が余程可愛げがある。
むしろ第四帝都時代以前の伝説的な妖怪どもに近い。
絵巻物に謳われた武者たちが、その生涯に1度2度打ち倒すことで誉とするような、そういう程度のものだ。
「これは……確かに荷が勝つやも……」
走ったところで、二足歩行の九郎では追いつかれてしまう。
天狗の様に空を飛べれば――あるいは山姥伝説よろしく強力な仙術符が3枚もあれば逃げ切れようが、準備不足と言わざるを得ない。
第一、集落にあれを案内するのは九郎の矜持が許さない。
ここで戦い、仕留める。
小夜啼鳥を抜刀した。
ごう、と一陣の風が吹き、インバネスコートが揺れる。
ぴりぴりとした殺気を身に受けながら、九郎は天狗の様に天高く跳んだ。
マンバの大口が頭上の九郎に対して開かれる。
九郎は符を投げた。最後の1枚だ。
符はマンバの口内に吸い込まれ、炎の呪により粘膜を焼いた。
蒸発した毒気を吸い込まぬようにし、刀を振るう。
脳天を突くか――それでは抜けなくなったときに困る。
蛇の妖とは総じてしぶといものだ。
安全策として、首に狙いを付け横薙ぎに振った。
刃が入る。
しかし浅い。
鱗もそうだが、肉も固い。
九郎も一角の達人だ。刃こぼれさせるなどのヘマはしなかったが、なけなしの符を使って仕留めそこなった。
空を蹴り、黄色い石垣に降り立つ。
蛇はその身を怒りに捩ると、砂を巻き上げ地面に潜っていった。
逃げたとは思わない。攻撃準備だ。
下からくる。気の乱れを察知し、横跳びに避けた。
勢いよく巻き上げられた砂が、九郎の視界を奪う。
「ぐ……!」
蛇の突進。符に焼かれてなお鼻が曲がるような毒気を放つ牙を、小夜啼鳥が受けた。
腰を落とし、大蛇の質量と張り合う。
マンバは尾を振り、九郎を弾き飛ばした。
受け身は取ったが、無傷という訳ではない。
再び、蛇が地面に潜る。
雷鳥「心の臓を狙え!」
探偵「場所は?」
雷鳥「自分で見極めい!」
不親切な賢者もあったものだ。
九郎は敵の攻撃に対処するため、印を結び術式を練る。
「急急如律令!」
そして、攻撃のため地上に出た蛇は九郎を見失った。
不機嫌そうに周囲を回る。
その隙を、九郎は見逃さなかった。
鬼道探偵が地中から音もなく出現する。
「土遁術!」
土の中に潜み、気配を殺す術だ。
魔物の感覚をもってしても気配のない九郎は捉えきれなかったらしい。
小夜啼鳥がマンバの首下から腹を裂く。
毒の血を浴びながら心臓を引きずり出し、握りつぶした。
断末魔も何もなく大蛇が斃れる。
九郎は勝利の中で吐血した。
血液毒という奴だ。内出血をしている。
だが、牙の毒ほど強力なものではない。しばらく気を練り物忌みをしていれば治るだろう。
探偵「なんとかなりましたか」
雷鳥「未熟者が! 周囲に耳を澄ませよ!」
まだ、終わっていなかった。
「番とは……」
マンバはもう1匹いた。
番を殺された恨みか、しゅうしゅうと凶暴な呻きを上げている。
小夜啼鳥には、自分の事務所が映し出されている。
ここに帰ることができるのだろうか。
廣川警部もいた。彼が新人時代からの付き合いだ。順当に出世してくれたので警察との太いパイプになってくれている。
真里がこちらに呼び掛けてきた。
まり「今の警察の人は?」
探偵「えっ!? ハァハァ……すいません。彼は廣川警部です――すいません、ちょっとこちら立て込んでいるので失礼します」
どうする。
どう切り抜ける。
悩んでいる間にも、敵はこちらに接近してくる。嬲るようにゆっくりと。
――間に、誰かが立った。
人恋しさの見せた幻かと思ったが、違うようだ。
「魔法使いかお前。今時夜中に外をうろつくなんて正気じゃねえぞ」
異国の言葉だが、言霊を操る九郎には意味がおぼろげに分かった。特にこの世界の住人は言霊も気も何もかもが強い。
短い黒髪、無精髭の若者。軽そうな鱗鎧、腰には剣を帯びている。
あの魔物を前にして、へらへらと余裕そうに笑っている。
「まあいいや、あれも賞金首だ。そこら辺の野良魔物狩るよりは金になる。“歪みの魔王”さまさまだぜ」
男は腰の剣を抜いた。恐ろしい名剣だ。鍛え抜かれた気の量が尋常ではない。神話の世、第一帝都時代の皇族が持っているような。そこらの剣士が帯びていていいような代物ではない。
「1匹殺したんはお前かい? チッ、賞金も半額だな」
剣を構えた。堂に入った構えだ。それも、人間を相手にするような剣術ではない。九郎と同様、妖物を斬ることに慣れている。
雷鳥「まさか、その男は……! そんなことが……」
探偵「お知り合いですか?」
雷鳥「いや、何でもない。聞かなかったことにせよ」
謎の男は雷光のごとき勢いで駆ける。
蛇の牙をステップ1つで避け、あの固い首をやすやすと落とした。
落ちた首が独立して男を襲う。
だが、彼は何でもないように剣に牙をひっかけ、草むらの中に投げ飛ばした。
「ハッハァー! 確・殺! あとはトドメだ!」
動きの鈍くなった胴体に潜り込む。剣を心臓に付き込み、即座にその場を離れた。
「フウー! 35000ペタいただきィ!」
男は剣に付いた血を砂で拭い、九郎のことを思い出したのかこちらに寄ってきた。
野卑だが、相当の達人だ。
「俺は魔物狩り、“鬼首”のヴィタだ。魔法使い、お前は?」
「松田豊助、探偵です」
手を差し伸べる。握手をした。
「マヅダぁ? 呼び難い名前だな。探偵ってのはなんだ、職業か? 盗賊の一種か?」
「どうとでも、好きに呼ぶといいでしょう」
「じゃあ探偵だ。よろしくな、探偵」
ヴィタは九郎の小夜啼鳥に視線を移す。
「珍しい剣だな」
「ええ、伝家の宝刀という奴で」
「でもエーテルが少ねえな。ナマクラだぜ」
「ナマクラ」
第五帝都時代の名刀、天下に5つとない至宝を馬鹿にされ、さすがの九郎も奥歯を咬んだ。
「魔物を狩る剣ってのはこういうのを言うんだ。“北の岩国”で小人族が打ったウルフバートだぜ。エーテルの量がそこらのとは違うわな」
ヴィタの剣は、やはり相当の業物だった。両刃の、装飾もない片手剣だが、鋼特有の鈍い輝きからは傷一つ見て取れない。
「やはり凄い。どこでこれを?」
「ゼブカンドの武器商だな。ちと高えが珍しいもんでもねえだろうが」
「珍しくない?」
「ああ、“北の岩国”のドヴェルグの集落なんかいきゃあ、いくらでも転がってるぜ」
このレベルの魔剣がそこら中に転がっている。驚天動地だ。
マギノニアは、あらゆるものが強すぎる。
「よう探偵、俺はお前を助けたな?」
ヴィタが馴れ馴れしく肩を組んできた。
「ええ、助けられました。感謝します」
「感謝ってのはよ、気持ちだけじゃ伝わらねえよな」
「つまり」
「金だよ金」
実力に反して、かなりがめつい男だった。
「あいにくと持ち合わせがこれしかありません」
皇国の貨幣を見せるが。
「どこの銅貨だこりゃ。銅貨は計数貨幣、その国その国の造幣所できっちり作ったもんじゃねえと通用しないぜ。常識だろ? 金貨とか銀貨とかねえのかよ」
第七帝都時代ならともかく、信用通貨が発達した最近は銀貨など持たなくなった。
「第一何だこの紙切れは。どこの田舎もんだよお前。なんで魔法使いが文無しなんだ。未開の地にでも隠遁してたのかよ」
ひどい言われようだった。そして、ヴィタの目は小夜啼鳥からいまだ離れていない。
このままだと家宝小夜啼鳥をカタに取られそうだったので逃げることにした。
隠形を用い、ヴィタの鬼門の方位に姿を消す。
「あ、消えやがった。術が見えなかったぞ。どういうこった」
術式を隠すのは、呪詛返し対策としては基本中の基本だ。マギノニアの手練れ戦士にも通じて助かった。
血まみれの九郎が、近くの村落の扉を叩いたのは真夜中だった。
疲弊した九郎がマンバを殺したと説明すると、村の女たちは『魔物狩りさん』と彼を労い、快く世話をしてくれた。
女の多い村だ。男は出稼ぎにでも言っているのだろうか。
数日、肉食を控え結界を張り気を整えると、毒は消え、九郎の身体は元通りになった。
探偵「真里さん、そちらはどうですか?」
まり「こっちは何の問題もありません! あぜみさんもやぶめさんも元気です。……元気すぎて……1日最低1回殺し合いを……」
探偵「それは申し訳ない。お見苦しいものを」
まり「いえ、大丈夫です。それより、お客さんが警部さんくらいしか来ないんだけど、お金は大丈夫なんですか? 服や食べ物も貰っておいてあれですけど」
探偵「ええ、うちは昔からそういうものなので。当の僕は現状文無しで困っていますがね」
雷鳥「働けガキ」
探偵「そもそもご老体が術式をしくじったのが原因なんですから、この世界の金策はあなたにどうにかしていただかないと困るんですけどね」
雷鳥「残念だったな。儂の隠遁小屋は“南の草国”の東部沖合にある小島だ。そっからだと舟でも1月はかかるわい。しかも儂の生活費なんぞは出世した弟子どもが工面してくれてるし、研究成果もあらかた世に出してしまった故、小屋に行っても金なんぞ無いわ」
探偵「自信満々に言うことですかこの不労ジジイ」
雷鳥「だから働け言うとろうがこのガキ」
働こうにも、星の周期も分からないのでは占い師すらできない。
探偵をするには信頼が足りないし、そもそも九郎は移動しなければならない。
雷鳥「まずは“西の水国”の王都、ルドキアに向かうのだ。先王トトは儂の弟子で、“歪みの魔王”討伐の支援も“西の水国”が行っておった。儂の印を見せれば何の問題もなく信頼される。筆跡の真似くらいはできような?」
探偵「当然です。探偵には必須のスキルですから」
雷鳥「ふん、ルドキアにはその街道を少し行った港町ゼブカンドから船で向かえ。路銀があればだがな」
旅をするには金が要るが、金を稼いでいては旅ができない。
あまり時間をかける気もない。特に真里は彼女を心配する親や友人がいる。
まり「ゴノークさん、わたしの家族はどうですか?」
雷鳥「リリーがお主のふりをしてやり過ごしておる。『リリーはいったん国に帰った』と儂が暗示をかけてな。一番辛いのは恩人を騙しながらお主を待つリリーだ。早く帰ってやるがよい。儂も今全力で手掛かりを当たっておる」
まり「……はい」
九郎はその日、村を発った。
ゼブカンドに向かう。