“雷鳥”のゴノーク編 1
空には白牛星が煌々と輝いている。
泥棒神モザクの有名な伝説から名付けられた星だ。
神話の代のエーテルを色濃く残すこのマギノニアでは、1つの決戦が行われていた。
巨大な石造りの塔の頂上に立つのは男2人。
片やマギノニアでその名を知らぬ者はいない伝説的アーチメイジ、大賢者――“雷鳥”のゴノーク。
片や禁断の古代魔法、歪みの魔法を蘇らせ、マギノニア全土に滅びをもたらさんとする“歪みの魔王”。
魔法の神髄を極めた2人はかつて師弟関係にあった。
「ウバルス――否、“歪みの魔王”よ」
ヨブ麻の白いローブ、長い白髪と白髭の老人、ゴノークがその名を呼ぶ。
ウバルスというのは“歪みの魔王”のかつての名前だった。
懐かしい名を呼ばれようと、白髪交じりの黒髪の男“歪みの魔王”は表情を変えない。
「これが最期の時だ。馬鹿弟子め。言い残すことがあらば儂が聞く」
「ふ、くくく……この期に及んで大した虚勢だ元師匠。余に悔いはない。なぜなら最も殺してやりたかったお前がのこのこ我が城に来てくれたのだから」
無表情だった“歪みの魔王”が笑う。凄絶な笑みだった。
「虚勢はどちらだ。お主の頼みにしていた部下は、全て儂が殺したぞ」
「ほう、四将を――お前1人でか。成程、それなら大したものだ」
いかなる勇者にも打倒すること叶わなかった最強の魔物4頭。“西の水国”、“東の火国”、“南の草国”、“北の岩国”――マギノニアに存在する4大国が総力を結集してようやく押し止めていた怪物どもだ。
“歪みの魔王”は怒るそぶりも悲しむそぶりも見せず、素直に感心しているようだった。
「如何にして殺した? 獣将ズヌーは?」
「岩に溶け死んだ」
「鳥将クランティは?」
「空に落ちて死んだ」
「竜将ボルゲルは?」
「海で焼け死んだ」
「では魚将ヘルデバルトはどうだ? 奴は最強の将だった。弟弟子トト王もアレが殺した」
「陸で溺れ死んだ。断末魔すら上げること叶わなかったわ」
その神にも近しい魔法を知ることができたのは、“雷鳥”を除けば殺された当の四将だけだったことだろう。
「お主で最後だ。物覚えの良さだけがお主の取り柄だったものを、これだけ言われねば分らぬ程に耄碌したか」
“雷鳥”は厳かに寄生木の杖を構えた。
「言われてもわからぬよ。この世界を滅ぼすまで余は死なぬ。その大口、お前のくたびれた魔法で証明して見せるがいい!」
“歪みの魔王が”その腕を振るい力を放つ。
「“ゆがめ”」
力あることばとともに放たれた不可視の魔法が“雷鳥”を取り囲む。
絶対的な破壊の力。一度触れれば魔法の内側に引きずり込まれ、粉微塵になって死ぬだろう。
しかし“雷鳥”は冷静に力あることばを唱えた。
「“ちらせ”“はなれよ”」
歪みの魔法は“雷鳥”から散り散りに離れ、あるものは塔の床を崩落させ、あるものは虚空に消えていった。
「“歪みの魔王”よ、杖も無しにこれだけの魔法を使うか―――違うな。この塔がお主の杖か」
大賢者たる“雷鳥”の深い見識は、一瞥のみで“歪みの魔王”の能力を看破。
“北の岩国”と“西の水国”の狭間にそびえ立つ山脈。その頂上にうち捨てられ、濃厚な瘴気に塗れ、数多の勇者による侵攻を阻んできた古城。それこそが、“歪みの魔王”の杖だった。
「それが分かったところでどうにかなるものでもあるまいが、“雷鳥”。お前は既に、余の杖先にそのみすぼらしい身を晒しているのだから―――“ゆがめ”」
力あることばは、再び“雷鳥”を取り囲む。
だが、“雷鳥”は速かった。
「“たちきれ”」
歪みの魔法をすり抜けた切断魔法が“歪みの魔王”を両断した。
断面となり果てた脳を、心臓を、肺を晒し、“歪みの魔王”が苦悶する。
「おお……おお……」
“雷鳥”は歪みの魔法の包囲からゆっくりと歩いて抜け出し、杖先を“歪みの魔王”に向ける。
“歪みの魔王”は何事もなかったかのように再生を果たしていた。
「見たか“雷鳥”のゴノークよ! 歪みの魔法を極めた余は不滅だ!」
「田分けが! 不滅のものなどこの世に無いわ!」
「口先を如何に弄そうが、余を殺さぬ限り証明にはならぬ。あるいはかの胡乱なる予言の通りにすれば、どうか分らぬがな」
予言とは『“西の水国”の王子が魔王を討ち滅ぼすだろう』というものだ。
だが、“雷鳥”の弟子にして“西の水国”の王たるトト王は既に死に、その子には男児がいない。
かつてはいたが、“南の草国”に人質に出されていた折、不可侵協定を反故にした“南の草国”によって帰らぬ人となった。
長い戦争の後“南の草国”の第二王子が王を幽閉、徹底抗戦を掲げる他の王子と重臣を全て暗殺することで一応の和平に至った。
「この“雷鳥”のゴノークを些末な予言で測ると言うか! その愚、己の命で贖うがいい!」
「ほざけ!」
“雷鳥”が杖を、“歪みの魔王”が両腕を頭上に掲げた。
「“ゆがめ”!」
今こそ最高の力で歪みの魔法が放たれる。
塔全体が鳴動し、大気に満ちたエーテルが歪んだ。
逃げ場も何もない極大魔法。魔王の名にふさわしい破壊が“雷鳥”を捕捉する。
しかし、“雷鳥”は依然として冷静だった。
「ウバルス・グ・マウリノ・ヘルリアス!」
「ぬ!?」
それは“歪みの魔王”の秘された真名だった。
真名を知られるということはその心身を魔法による支配の前に晒すということ。
「それがどうした! この期に及んで余の真名など唱えたところで、お前に逃げ場など無いぞ! お前には余の身も、余の魔法も破壊などできないのだから!」
「ならば永久に封じるまでよ!」
ウバルスの身を支配したゴノークはその力を歪みの魔法に注ぎ始める。
確かにこの魔法の規模では“歪みの魔王”を下したところで逃げ場は無いだろう。
故に、ウバルスを通して歪みの魔法に改造を施すことにした。
「“とじよ”“ひらけ”“はじまれ”“おわれ”」
力あることばが歪みの魔法を変質させていく。
虚空に散った歪みまでもが再び集まり始め、その大術式を形作る。
「時空の狭間に消えるがいいウバルス。決して出られぬ永久の闇に!」
歪みの魔法の性質を応用し、時空の狭間に対象を閉じ込める究極の封印魔法。
外から開くことはできるものの、中から開こうとすれば新たな狭間に抜けるだけの入れ子構造。
“雷鳥”が禁忌たる歪みの魔法に明るいわけではない。
しかし、敵手として相対した四将や“歪みの魔王”からその性質を見抜き、改変の手口を考察していた。
これこそ大賢者たる“雷鳥”のゴノークである。
「馬鹿な! “雷鳥”! “雷鳥”!」
“歪みの魔王”は初めてあからさまな動揺を見せた。
それが“歪みの魔王”の最期―――かと思われた。
「む、塔が……!」
“歪みの魔王”の杖たる塔が揺れる。
時空を操る魔法が暴走し、塔全体にまで及んでしまったのだ。
この事態は“雷鳥”の見識をもってしても予測不可能だった。
現実的にあり得ぬ事態だ。
「よもや、別世界からの干渉か!」
異世界で行われた同様の魔法が、時空を操る魔法と影響し合い、暴走。
天文学的な確率だ。自分の他にもこのように大掛かりな時空干渉が可能なものがいるとは予想外だった。
この驕慢さこそが過去数度、己の足元を掬ってきたのだと思い返した時には、既に手遅れ。
その夜、大賢者“雷鳥”――ゴノーク・ル・ブレニウス・マルキウスはこの世界から消えた。