第十四話:惑う心、真っ直ぐな正義
『誰が悪で、誰が正義かは……歴史が決める事だ』
その夜、一文字アキラは居間でテレビを眺めていた。画面では、役者が陳腐な台詞を口にしている。
「……ふむ」
隣の弥生は、退屈そうにあくびをかみ殺している。しかし、アキラは真剣に見入っている。何がそんなに面白いのだろうか?
「こんな始まって三秒であらすじが分かっちゃうような映画、面白いの?」
「うむ、色々と参考になる。特に今の台詞はなかなかのものだった」
面白いかの答えにはなっていないのだが……特に気にする事も無いだろう。アキラは万事、この調子だ。そもそもストーリーなどを気にするような男ではないのだ。
……それはそれで、製作者達には申し訳ないことだが。
「もう私は寝るわ。後はごゆっくり」
弥生が自室へと戻っていく。アキラはひとり、映画を食い入るように見つめるのだった。
そして、次の日の朝。
「ふわぁ……」
大きなあくびをして、アキラが遅れて食卓へとやってくる。
「あら、アキラさんが大あくびなんて、珍しいわね」
真由美が朝食を運びながら尋ねる。
「ええ、ちょっと映画を観てまして……」
「あらあら、それでお寝坊を?」
たがが映画を観る程度で、寝坊などするものだろうか?
「何でもノンストップ九時間放映とかで……」
思わず弥生は飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになった。
「なにあの映画、そんな馬鹿げたものだったの? アキラもそんなのに付き合ってないで、さっさと寝ればよかったのに」
「しかし、なかなかためになる映画だったぞ? 二千℃の熱に耐えるスペースシャトルの耐熱タイルとか、クロイツフェルト・ヤコブ病の事とか詳しく……」
「どういう映画よ……そんなの見るなんて、暇人のすることよ」
がっくりきてしまう。そんな弥生を眺めながら、フュリスはホットミルクに口をつけ。
「まぁ、馬鹿ですから……」
……と呟いた。
今日も弥生は買い物に出かける。アキラは当然荷物持ち。そろそろこの姿も、板についてきている。
それではただの情けない男なのだが、本人が気にしていないので、まぁいいのだろう。
「まだ回るのか? そろそろどこかで休憩でもしないか?」
「そうね……」
アキラの珍しくまともな意見に、弥生も賛成する。横を見れば、ちょうど喫茶店がある。
そこに、連れ立って入る。カウベルが鳴り、店員に席へと案内される。
「さーて、何を頼んじゃおっかなー」
嬉しそうにメニューを眺める弥生。そのはしゃぎっぷりに、アキラは尋ねる。
「まさか、俺に奢らせようとか考えてないよな?」
「そのまさかよ。別にいいじゃない、アキラだってお給料は貰ってるんでしょ、公務員なんだし」
確かに現地滞在用の金は貰っている。しかし、その実態はきっちりとフュリスに財布の紐を握られているのだ。迂闊に無駄遣いもできやしない。
「……あまり高いものは駄目だぞ?」
しかし、アキラはとことん他人に甘いのだった。散々悩んだ挙句に、弥生が選んだものはメニューでも飛び切り大きくプリントされたもの。
「ハイパーゴージャススペシャルデラックススペースパフェ? 食い物か、それ?」
「メニューに載ってるんだから、当たり前でしょ! 一度頼んでみたかったのよねー」
店員に注文を伝える。即座に店員は大声を張り上げる。
「HGSDSパフェ、入りまーす」
「はいよー!」
アキラはとりあえず財布の中身を確認した。昼食代……削らないと駄目か……。心の中でがっくりと肩を落とす。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
やがて、バケツ一杯分はあろうかという量のパフェが運ばれてきた。いくら甘い物は別腹だといっても、これは流石に弥生にはきついのではないだろうか。
「うーん、美味しー」
しかしまったく気にする様子も無く、彼女はパフェを征服していく。少女の食欲という者に、改めて敬意を表する。
「ところでアキラ、聞きたい事があるんだけど」
「何だ?」
パフェを口に運びながら、弥生は問いかける。
「あなた、フュリスの事はどう思ってるの?」
フュリス、アキラのサポート役。いつも空の上のハイペリオンにいて、様々な雑務をこなしている。幸い始末書の類は出した事はないが、それでも諸々の仕事は山積みだ。
あの年頃の少女には、少々ハードワークかもしれない。たまには骨休めをさせてやりたいものだが……。
素直にそう口にする。その途端、にんまりと微笑む弥生。
「だったらさ、これ、あげるわ」
差し出されたのは、二枚のチケット。
「これは……映画のチケットか?」
「そうよ。ほんとは弥生と行くはずだったんだけど、用事があるってキャンセルされちゃった。だから、あなたにあげる」
チケットを受け取る。しかし、ペアチケット……誰と行くべきだろうか。
「真由美さんでも、誘うか……」
「この馬鹿!」
ぺちんと頭を叩かれるアキラ。
「日頃の感謝を込めて、フュリスと行くのが普通でしょうが。ほんっと、唐変木よね」
弥生はアキラの態度にあきれ果てているようだ。確かに、日頃の仕事に感謝して、映画にあの少女を誘うのも悪くはない……そう思うアキラ。
「フュリスも喜ぶわよ、きっと」
「そうだろうか……?」
だが、あの何事にも無関心な少女が、こういう俗っぽい事に興味を示すとは、とても思えないのだが……。
まぁ、せっかくだから誘うだけ誘ってみるか。断られて元々。運良く誘えればしめたものだ。そんなわけで、アキラは。
「それじゃあ、頂くよ」
「うん、あの子にうんと優しくしてあげてね?」
妙に含みのある笑顔で、そう言われる。細かい事は気にせずに、アキラはチケットをポケットにしまった。
気がつけば、パフェの器は空になりかけていた。
再び荷物を持ち、ショッピングを続ける。この調子だと、まだまだ荷物は増えそうだ。
山のようになった荷物を、崩さないように歩いていると、突如前を歩いていた弥生が立ち止まった。それにぶつかり、荷物を取り落としそうになるアキラ。
「どうしたんだ、急に?」
「……前、見て?」
指し示す方を見る。そこには、ふたりの人間が立っていた。
その片方には、見覚えがある。以前公園で、写真勝負をした時の怪人の親玉だ。
「待ちくたびれたぞ、一文字アキラ、いやブレイバー!」
待たされたのは弥生がパフェを食べていたからだ。それはさて置き。
「私の名はジャスティー、今日こそ貴様を倒して、この街を征服させてもらう!」
「そんな事はさせない、瞬着!」
荷物を傷めないように置き、ポーズをつけてコンバットスーツを転送する。たちまち光と共に装着されるヘルメット。
「宇宙刑事、ブレイバー! ここに参上!」
アキラが瞬着したのを見届けると、ジャスティーは配下の怪人に命令を下す。
「行け、マリオネッタ! お前の力で、奴を思うがままにせよ!」
「御意!」
怪しげな奇術師のような格好をした怪人は、両手を前に差し出し、念を籠める。
ふよふよふよ……
怪しげな念が、アキラ達ふたりに向かって放たれる。その念を浴び、急に気分悪そうにしゃがみ込む弥生。
「どうした、弥生?」
「ちょっと、気分が……体がまるで、自分のものじゃないみたい……」
あの念の力か? しかし、アキラにはまったく被害がない。
※説明しよう。アキラの被るヘッドパーツには、有害な電波などを寄せ付けないシールドが施されているのだ!
「おい、しっかりしろ!」
「あ、う……頭が……ああっ!」
急に弥生の腕が、唸りをあげて襲い掛かってくる。間一髪でそれを避けるブレイバー。
「どうしたんだ、いきなり!」
「分からない、体が勝手に……避けて!」
今度は回し蹴り。そしてパンチへのコンボ。腕をクロスさせて、それを防ぐ。
これはどういう事なのか? 弥生が自分の意思に反して、アキラに攻撃をしているとでもいうのか?
「ふひゃはは! 我の念を受けたものは、我が操り人形と化すのだ! 行け、少女よ!その手でブレイバーを葬り去るのだ!」
弥生からの激しい攻撃をかわしながら、アキラは考える。何とかして、この少女を元に戻さねば……。しかし、どうやって?
「無駄だぞブレイバー。 この精神操作は術にかかったものが意識を失うか、極度の興奮状態に陥らない限りは解けない! 貴様は、その少女を気絶させる事ができるのか? 正義の味方が、罪の無い少女に攻撃できるのか?」
じりじりと押されていくブレイバー。弥生の攻撃は的確だ。このまま防戦一方では、負ける事は無くとも勝つ事もできない。しかし、術を解くためとはいえ、弥生に手を上げるなんてこと、できるわけが無い。
『一体どうすればいいんだ……傷つけずに気絶させる方法……そうだ、確か昨日の夜観た映画で……』
一か八か、やってみるしかあるまい。
弥生が攻撃するために踏み込んでくるところを、抱きついて身動きを封じる。そして。
「弥生ちゃん、すまない!」
唐突に、その唇を奪う。みるみる顔を赤くさせていく弥生。そして次の瞬間には、思い切りブレイバーを張り倒していた。
「何するのよっ、この変態!」
「すまん、術は解けたのか?」
慌てて少女は体を動かしてみる。問題なく、動く体。術の支配からは逃れられたようだ。
「さて、次は貴様の番だ、怪人マリオネッタ!」
「ふっ、ならばもう一度術であの少女を……」
「待て、マリオネッタ」
ジャスティーが怪人を止める。
「もうこれ以上弥生……いや、あの少女を巻き込むわけにはいかん。撤退だ」
マントを翻し、ジャスティーは去っていく。
何とか今回も撃退できたようだ。アキラはヘッドパーツの装着を解除する。
「意外に手ごわい相手だった……まさか弥生ちゃんの相手をする羽目になるとはな」
「それよりアキラ、何で私を気絶させずに、キスなんてしたの?」
アキラは荷物を抱え上げながら、答える。
「昨夜観た映画で、キスで相手を気絶させるシーンがあった。そこで俺も真似してみた」
「そんな事で気絶するわけ無いでしょ!」
「だったら何故、術が解けたんだ?」
アキラはどうやら、先ほど言われた事を忘れているらしい。術を解くには、『気絶』もしくは『極度の興奮』が必要。
『まさかアキラ相手にキスだなんて。いくら相手がアレでも、流石にドキドキだわ……』
荷物持ちのアキラを急かしながら、家路を急ぐ。
それでも、わずかばかりの感謝がある。あの時、アキラは自分を傷つけることだけは、避けてくれた。
それだけは、感謝しなければならないだろう。キスと引き換えで、チャラだが。
「ただいまー!」
大きく声を上げ、家のドアを開ける。そこには、玄関先でじっと帰りを待つ少女。
「アキラ……あなた、弥生さんに何をしたんですか? 返答次第では、折檻です……」
彼女はハイペリオンから、戦闘の様子をつぶさに観察していたのだ。
こうして、その夜の夕食には、アキラは姿を見せる事は無かった。正義の味方も、嫉妬には勝てないというお話。