第十三話:ハイペリオンの憂鬱
大気圏の外、衛星軌道上に浮かぶ航宙巡洋艦。その名も『ハイペリオン』。
恒星間飛行を可能とし、様々な外敵に対処できるように武装を施された宇宙船。
しかし、その実態は軍の旧式を宇宙警察に払い下げられ、機動派出所として使用されているものである。
全自動化された船内に、乗員は一名のみ。
『フュリス、コンバットスーツを転送してくれ!』
時折入る無線。それに答えて、乗組員である少女はスーツを転送する。それが任務だからだ。
そのほかにも、常に地上を観察し、宇宙刑事のサポート、情報収集もこなさなくてはならない。しかし、予算削減のあおりを受け、それも満足にこなす事はできないのだ。
要約すると、暇なのである。
「……はぁ」
コンソールパネルに頬杖をつき、正面に広がる宇宙空間を眺める。美しい星の海などとは言うが、こうも見ていたのでは飽きもする。
ごそごそとデスクを漁ると、一冊の雑誌を取り出す。先日弥生が、『フュリスも読んでおいた方がいいわよー?』などと言って渡してきた女性向け雑誌だ。
とりあえず、パラパラとめくってみる。自分は英才教育を受けてきたのだ。知らない情報などはない。だから雑誌などを読まなくとも、知りたい事は……。
「……!」
とあるページに目がとまる。そこには『気になるあの人と、両思いになる方法』と強調フォントでデカデカと書かれている。
フュリスは辺りを見回す。自分以外、誰もいないことは分かっているのに、である。
深く深呼吸すると、ページをめくる。様々な事が、そこには書いてある。男に受ける、表情の作り方。好まれるスタイル。ファッション……。
彼女には欠けているものばかりだ。自分でも、可愛げが無い女だと思う。
そんな中、目を引く一文。
「時代は……妹萌え?」
アキラは町内のパトロールを終え、早乙女家へと帰ってきた。いつものように勢いよく玄関を開く。……そこには。
「……」
仁王立ちするフュリスの姿。
「す、すまん!」
思わず謝ってしまう。こういう時は、先手を取って謝るに限る。何が問題なのかはどうでもいい。とにかく、一刻も早く怒りを静めてもらわねば。
「……フュリス?」
しかし、予想に反してきつい言葉もハリセンも飛んでは来ない。ただじっと少女はアキラの事を眺めている。
その頬は心なしか赤く、もじもじと何かをためらっているような様子。
「えっと、その……お帰りなさい、お、お兄ちゃん……」
そして絞り出すような声でそう言うと、フュリスはぱっと身を翻して奥へと駆け込んでいってしまった。
「何だったんだ、一体?」
アキラにはさっぱり訳が分からなかった。
そして夕食の席。
「ご飯の前にはいただきますですよ、アキ……お兄ちゃん」
いつものように挨拶を省略して食事をしようとしたアキラに、フュリスはそうたしなめる。相変わらずその呼び名は変わらない。
「なぁ、フュリス……」
「何ですか、お兄ちゃん?」
「その呼び方、やめてくれないか? いつもみたいに呼び捨てでいい。確かに俺は年上だが、お兄ちゃんと呼ばれるような事は……」
途端にフュリスはいつもに輪をかけて無表情になる。何か自分は悪いことを言ってしまったのだろうか? そう思うアキラ。
食事を終えると、さっさとフュリスは部屋に戻り、押入れの中に入ってしまう。ハイペリオンへと戻ったのだろう。
「どうしちゃったの、フュリス?」
「俺に聞かれてもなぁ……」
「お兄ちゃん作戦は、失敗でしたか……」
フュリスはパラパラと雑誌をめくる。大抵の男は、いちころだと出ていたのだが……。どうやらアキラにそういう属性はなかったらしい。
とりあえず、次の手を捜す。……目にとまったのは、ひとつのアンケート。
「……次は、これでいってみましょうか」
ぱたんと雑誌を閉じる。そして再び、地上へと向かうのだった。
「……ふむ」
アキラは居間でテレビを見ていた。世界情勢に関心を払うことも、正義の味方の勤めであろう。たとえそれが、プロ野球中継であっても。
『トラはダメだ……ガッツが足りない、ガッツが』
真由美さんの差し入れてくれたビールをぐびりと飲む。よく冷えた液体が、喉に心地いい刺激を与える。
のんびりくつろいでいると、ガラッと戸を開け、フュリスが入ってきた。
「おう、一緒にテレビでも見るか?」
「……はい」
ソファーの空きスペース、アキラの隣に、くっつくように座る。いつもはもっとスペースを空けて座るというのに、今日に限って距離が近い。
画面が切り替わり、映画のワンシーンが映る。俳優同士の、甘いキスシーン。どこかうっとりとした瞳で眺めながら、フュリスはもじもじと身を摺り寄せてくる。
「フュリス、お前もしかして……」
呼びかけるアキラを、潤んだ瞳で見つめる。
……。
「トイレ行きたいなら、我慢しないで行ってきた方がいいぞ?」
「馬鹿っ!」
パシーンとアキラに平手を食らわせ、フュリスは肩を怒らせ去っていく。なにがなんだか分からず、取り残されるアキラ。
「少し、デリカシーが足りなかったかな……?」
叩かれた頬をさすりながら、アキラは呟いた。
「甘え上手な女なんて、そもそも私には無理だったんです」
三度雑誌をめくる。もう少し、身の丈にあった作戦が必要だろう。無茶な自分を演じても、それで失敗したのでは意味が無い。
やがて、雑誌の中にとある一文を見つける。
「……次は、これですね」
ぱたんと雑誌を閉じ、転送装置へと向かう。自分の予想が間違っていなければ、アキラは今頃……。
『恥ずかしいけれど……やるしかないです』
転送が終了し、アキラの部屋の押入れに出る。アキラは部屋にいない。予想通りだ。
部屋を出て、風呂場へ向かう。脱衣所で服を脱ぎ、裸身にタオルを巻く。風呂場からは水の音が聞こえてくる。間違いなく、中に入っているのだ。
大きく息をつき、決心を固める。そして、ゆっくりと風呂場への戸を開いた。
もうもうと立ち込める湯気の向こう、人の姿が見える。それを確認すると、フュリスはおもむろに小さく悲鳴をあげた。
「……きゃっ! ごめんなさい、先に入っているとは、知らなかったので……」
「あら、フュリスちゃん?」
そこにいたのは、予想していた人物ではなかった。にこやかに微笑む真由美。フュリスは残念なような、安心したような気持ちになる。
「せっかくだから、一緒に入りましょう?」
真由美に勧められるまま、共に風呂に入る。当初の目的はどこへやら。一緒に広い湯船につかる真由美を見る。そして、自分の貧相な体と比べる。
「はぁ……」
思わずため息も出てしまう。今まではたいして自分の体のことなど、気にはしなかったのだが、今となっては話は別なのだ。
そんな浮かない顔をする少女に、真由美は声をかける。
「ため息をつくと、幸せが逃げちゃうわよ?」
そう言われても、フュリスの幸せは逃げっぱなしである。追いかければどこまでも逃げるし、立ち止まれば、手の届きそうな位置で手招きする。本当に、世の中ままならない。
「……アキラさんのこと、考えているんでしょ?」
その問いかけに、思わず湯に沈みそうになる。
「な、そんな事ありません!」
「アキラさんね、ありのままの自分を出せる人がタイプなんですって」
真由美は唐突にそう言う。
「ありのままの、自分……?」
こんな可愛げの無い、無愛想な自分。それでも、彼は良いと言ってくれるのだろうか。
真由美はそっと湯船の中で少女を抱きしめる。
「自分の良さを、信じてあげてね?」
今日も今日とて、アキラは怪人と戦った。ヘルメットパーツだけを瞬着し、その素手で相手を叩きのめしたのだ。
「うーむ……」
前から思っていたのだが、怪人たちの目的がさっぱり分からない。普通悪の怪人といえば、幼稚園バスを襲ったり毒をまいたり、悪の限りを尽くすものだ。
しかし、今回の怪人はタバコのポイ捨てをする若者に折檻を加えていた。考えようによっては善行である。果たして、倒す必要があったのだろうか。
悩みながらもアキラは玄関をくぐる。そこには、彼の帰りを待つ少女の姿。
『ありのままの……自分……』
フュリスはアキラに駆け寄り、そして。
スパーンッ!
強烈なハリセンの一撃を加えた。
「遅いです。夕食の準備ができないじゃないですか」
「ああ、すまん……」
そう言いながらも、どこかアキラは楽しそうだ。
「どうしたんですか、ニヤニヤして?」
「いや、やっぱりフュリスはこうでなくちゃなってさ」
ぽんぽんと彼女の頭を撫でて、廊下を去っていく。
ぼーっとその後ろ姿を眺める少女。
『少なくとも、ありのままの自分は、嫌われてはいない……』
その事が確認できただけでも、良しとしよう。いつの日か、本当の気持ちを伝える事ができるから。
……そう信じて。