3刀
作者 oga
「あっちゃ~、傘、忘れちゃったよ」
駅に向かう途中、急に雨が降り出して来た為、上野と夏男はデパートの屋根の下に避難していた。
「すぐ止む雨ならいいんだけど……」
上野がひび割れたメガネの隙間から空の様子を伺っていると、胸にでかでかと「うえの」と書かれたピチピチの体操着を着た夏男が、こんな質問を投げかけてきた。
「ところで上野殿、何故拙者を助けてくれたのでござるか?」
「それは、貴方が侍だから……」
「何故分かるのだ? 拙者、一言もそんなことは申しておらんぞ」
ちょんまげに袴姿、刀を腰の辺りにぶら下げた男を見れば、侍か不審者と思うのが普通だろうが、それ以前に上野は夏男がそこにやって来るのを予期して、待ち構えていたようにも思えた。
上野は、手の甲に貼られたシップを押さえながら、知ってたんだ、と続けた。
「僕、いつも痛み止めをもらいにあの病院に通ってるんだけど、多賀先生が興奮した様子で話してたんだ。 ハロウィーンまでに本物の侍を蘇らせることが出来るかも知れない、って。 看護婦には、絶対ナイショだからね! って言ってたんだけど」
「体格に違わぬ太ましい声で丸聞こえ、か。 して、何故侍である拙者に用がある?」
ゴクリ、と喉仏を上下させると、上野は夏男に向かってこう言った。
「僕に、剣術を教えてくれませんか?」
「剣術?」
「はい、僕、剣道部なんです。 でも……」
そう言って視線を落とすと、はあ、とため息を一つついた。
「弱すぎて、いっつも負けてばかりなんです。 もし貴方が本物の侍なら、強いハズでしょ?」
上野は察した。
手の甲に白い紙を貼り付けているのは、恐らく、試合の際に出来たアザを隠すためである。
しこたまコテを打ち込まれたのであろう。
上野にも、体操着を貸して貰った恩があったが、やらなければならないことがあった。
「拙者、将軍家に仕える侍であるが故、済まぬがその様な時間はないのだ。 とは言え、拙者の主君は恐らく先日の戦で敗北したのだろう。 上野殿、やはり今の世は徳川家の者が納めておるのか?」
上野はその質問を受けて、一瞬表情が固まったが、ぷっ、と口から息を吐き出した。
それを見た夏男は懐の刀の柄を手にする。
「拙者、何かおかしなことを申したか?」
「ご、ごめんなさい! 時代が違うんだよ、夏男さん。 もう、将軍家とかそういうのはないんだ…… 侍っていう職業もない。 今の日本のトップは首相で、あー、何て説明すればいいのかな」
「侍がない、と申すか。 上野殿は嘘が下手でござるなぁ。 あれは何でござるか?」
夏男が指差したのは、向かいのスクリーンに映っている映像であった。
そこに映し出されていたのは、侍の格好をした俳優が、何人もの敵をバッサバッサと斬っている絵であった。
「あれは映画って言って、要するに芝居みたいなものだよ」
途中で映像が途切れると、夏男は目を見開いた。
(突然消えおった…… またしても妖術の類いか?)
しかし、夏男もこの上野少年が嘘をついているようには思えなかった。
将軍家が存在しない、という言葉が本当なら、侍である自分の存在意義はもはや無いのではないか?
降りしきる雨が顔に当たる。
まるで夏男が泣いているように、上野には思えた。
「夏男さん、一旦ウチに来なよ」