その5
スッキリした気分ではあった。
同時に後ろめたさもあった。
我ながらひどいことを言ったもんだ。せっかくの再会の場をぶち壊してしまった。
絵里子はそんなつもりで誘ったんじゃないはず。アイヴィーがぶっちゃけ始めたあたりから、彼女は一切言葉を発していない。
怒らせちゃったかな。
「でも、まあ。」
本当の仲間とはどういうものかを知った今、それ以外の関係などアイヴィーにとっては無意味だった。
久しぶりに会ったクラスメート。うわべだけの賛辞。周囲への安易な優越感。テレビの話。事務所の話。○○のサイン、クソくらえ。
○○のサインのところで、アイヴィーは一人ほくそ笑む。その○○が、どこの誰だかも知らなかった。
もし再び彼女たちと会うことがあるなら、本当の友人として会いたい。そう思ったから爆弾を落とした。
もし不発弾だったのなら、3人のことは懐かしい思い出にすればいい。腹はくくっている。
アイヴィーが化粧室から戻ってくると、3人はそのままの形で座っていた。みんな硬い表情をしている。
どうしようか。このままお開きになるかな?
アイヴィーはみんなの顔を眺めながら、またビールを飲んだ。今夜は本当によく飲んだけど、それでも全く酔っていない。
「アタシ、実はバツイチなんだ。」
絵里子の口から出てきたのは思いがけない言葉。
みんな、いっせいに絵里子の方を向いた。
「え…どういうこと?」
「冗談でしょ?」
優夏と沙耶も驚いている。
「高校出て福島に行ったでしょ、アタシ。そこで知り合った人と結婚したの。親の反対を押し切って…まだ18歳だった。でもホントに最悪な男でさ。アタシがバカだった。」
「そういうことか。」
アイヴィーはつぶやいて、絵里子の肩をポンポンと叩いた。絵里子はさめざめと泣いていた。
「親に叱られて、会社を辞めてこっち戻ってきて。『その年でバツイチなんて、もう嫁のもらい手がない』とか、さんざん言われて。惨めでさ、誰にも言えなくて…。」
「その気持ちは分かる、とは言わないよ。でも人生そんなことで終わるわけじゃないからね。」
「駅で佑に会った時、ものすごくまぶしかったの。家出して自分の好きなことで成功して、みんなに祝福されて…アタシが持ってないもの、みんな持ってるって思った。」
「分かってたよ。」
「だからアタシたちが下らない話をして、佑が気分悪くしてるのも分かってた。もう住む世界が違うって、佑にハッキリ言われて終わるって思ってた。でも…。」
「あいにく、酒がまずくなる話は嫌いなタチでね。」
「佑が本音で話してくれたから…アタシもやっと言えた…。」
そう言って、絵里子はアイヴィーの胸に顔をうずめた。
しばしの沈黙。
「アタシ、『うつ』なんだ。」
今度は優夏が話し始めた。
「うつ病ってこと?」
「アタシ、前より太ったでしょ。これ、薬の副作用なんだ。」
優夏は目を合わせようとはしなかったが、それでも前を向いて喋っていた。
「もう、長いの?」
沙耶がたずねる。
「専門学校とアルバイトの掛け持ちをして、最初の歯科医の院長と合わなくてさ。でも自分で決めた道だからがんばれがんばれって、周りにも言われて無理して無理して…ある日の朝、起き上がれなくなって。」
「病院には行ってる?」
「うん、薬をもらって『風邪と同じだから、長くかかっても必ず治るから』って言われて。たぶん、良くなってきてる。でも、人に話せなくて。どういう風に思われるか、恐くて。」
「そうなんだ…。」
「佑、どう思う?」
アイヴィーは思ったことをそのまま言った。
「んー、分かんない。でも優夏が本音で話してくれてるのは分かった。アタシにはそれで十分。」
「…ありがとう。」
優夏は救われたような顔でアイヴィーと視線を合わせた。
「まさか、沙耶まで何かあるんじゃないでしょうね。」
「アタシ…流産したんだ。」
アイヴィーは天をあおいだ。まったく、今日はこの格好を何度したんだろ?
もはや、絵里子も優夏も言葉が出ない。
「そうか。最近?」
「…半年前。妊娠したから結婚するつもりだったけど…正直、いま迷っている。彼が本当に楽しみにしてくれて、それに応えられなかったから…自分に自信がなくなっちゃって。」
「身体の方は大丈夫なの?また赤ちゃん産めるの?」
「一応、大丈夫らしいんだけど…。」
「じゃあ、あとは沙耶次第だね。アタシは今のところ子供が欲しいとは思わないけど、セックスは好きだから。沙耶もそういう気持ちになれば、続きは野となれ山となれ、じゃない?」
アイヴィーの言葉に沙耶はプーッと吹き出した。優夏も、アイヴィーの胸ですすり泣いていた絵里子も思わず笑っている。沙耶はバカ負けしたように息を吐いた。
「佑、アンタすごいね。そんな人だったっけ?」
「知らなかっただろ。これがアタシの本性なんだよ。」
アイヴィーはニヤリと笑って、またジョッキに口をつけた。
「アタシは何も解決できないよ。アタシ自身の問題だって解決できないんだから。でも、ま、これで皆さん本音が出そろいました。」
そう言ってアイヴィーはテーブルの中央に、手のひらを上に向けて両手をつき出した。他の3人はしばらく意味を図りかねたが、ややあって絵里子が自分の両手をアイヴィーの両手に重ねた。優夏も、沙耶もそれに続く。
「みんなそれぞれ、二十歳なりに一生懸命もがきながら、悩みながら生きてるのはよく分かった。アタシたち、長いこと共通点もなくて友達の雰囲気だけだったけど、これで共通点できたんじゃない?一生懸命に生きてる、二十歳の女。」
アイヴィーの言葉に絵里子、優夏、沙耶がうなずく。今日は何回もうなずいてきたが、これは正真正銘のシンパシー。
「ということで、今日からアタシたちは仲間。今日からアタシたちは友達。ってことで、いいかな?」
「よろしく。」
「よろしくお願いします。」
「初めまして。」
最後の絵里子の言葉に、みんなが笑った。その笑顔は本物の笑顔で、今までの空気を吹き飛ばす明るさをもたらした。
「よしっ!じゃ、乾杯しよう!みんな今日は飲むぞ!」
「飲むぞって佑、アンタ今までにいったい何杯飲んだの?」
「いいの、いいの!じゃあ今日という日に乾杯!」
それから4人は大いに飲み、笑い、議論し、本音をぶつけ合った。「あの頃」とは違う、本当の仲間として。
時間が経つにつれ、方言も自然に飛び出し始めた。もう気持ちを飾る必要はなくなった。
山形の夜は早い。店の閉店時間はあっという間で、それからアイヴィーたちは酒とつまみを買って絵里子のアパートに上がり込み、夜中まで盛り上がった。
優夏が寝落ちした。沙耶がそれに続いた。最後に絵里子とアイヴィーが残った。
「アタシ、そろそろホテルに戻るわ。」
そう言って、アイヴィーは帰りじたくを始めた。
「明け方になっちゃったね。」
「あの宿、0時が門限だったからさ。ちょうどいいんだよ。」
ブーツのヒモを結びながら、アイヴィーはニヤッと笑った。
二人はアパートの外に出てきた。
山形の朝の空気は身を切るように冷たく、アイヴィーはブルッと身体を震わせる。忘れていた感覚。絵里子のアパートから宿までは歩いてもすぐだ。
「絵里子、会えて良かったよ。」
そう言ってアイヴィーは絵里子を抱きしめた。絵里子もアイヴィーの背中に手を回し、二人は固く抱き合った。
「佑、ありがと。ごめんね。」
「『ありがとう』は、もらっとく。『ごめんね』は、いらない。」
絵里子の身体を離して、アイヴィーは笑った。
「また、帰ってくるよね?」
「アンタたちも東京に来なよ、高円寺に連れて行ってあげるよ。好きになるか嫌いになるかは知らないけどね。」
「うん、絶対に行くからね。できたら佑のデビュー・ライヴも行きたいけど…。」
「お陰さまでチケットはソールド・アウトでね。でも、また機会はいくらでもあるよ。凱旋ライヴでもやりに来るかな。」
そう言ってアイヴィーは絵里子の手を握った。今度の握手には真心がこもっていた。
「絵里子、またね。」
「うん。佑、またね。」
雪はいつの間にか止んでいる。フワフワとした新雪の中をアイヴィーは歩き出した。この感触、やっと思い出したよ。
「ねえ、明日…じゃなくて、今日はどうするの?」
思いついたように後ろから絵里子が声をかけた。
アイヴィーは振り返ってニヤッと笑った。
「とりあえず寝て、シャワーを浴びてから朝ご飯。それから二度寝して…起きたら、お父さんの顔でも見に行くかね。」
絵里子、優夏、沙耶がアイヴィーの背中を押してくれた。少なくとも、アイヴィーはそう感じていた。