その3
絵里子が指定してきたのは、大石田駅からほど近くにあるごく普通のチェーンの居酒屋だった。この辺りで女子会ができるような店の選択肢はそれほどない。
アイヴィーが店に入っていくと、奥の方にあるボックス席には既に3人が揃っていた。
「キャー!佑だ~!」
「すごーい!早く、こっちこっち!」
優夏と沙耶は興奮を隠せないようにアイヴィーに手を振った。アイヴィーはゆっくりと近づいていった。
「ごぶさた。」
「佑~、元気だった?有名人になっちゃったね!」
「何か格好、すごいね~オシャレ!ロックの人って普段そんな感じなの?」
トップコートを脱いだアイヴィーは、いつものパッチでカスタムした黒いパーカーに青いタータンチェックのパンツ(ボンデージではない)、Dr.マーチンを合わせていた。
髪は珍しく後ろで束ねている(そういう方が目立たないと思った)。ラフな格好だし、アクセサリーも付けていない。化粧も控えめにしてきた。
それでも恐らく3人には東京の香り、ロックな香りがプンプンと匂うのだろう。アイヴィーは沙耶の質問をやんわりと無視した。
「もう、何か注文した?」
「ううん、まだ。アタシたちもさっき来たばかりだから。」
アイヴィーは絵里子の隣に座り、優夏と沙耶と向き合う形になった。
昔からこのポジションは変わらない。高円寺のスープカレー屋で「ズギューン!」のメンバーが決まった席に座るのと、同じといえば同じ。
ただし同じ4人組でも、今夜はどうにも気が乗ってこないな。
「佑、なに飲むの?」
「アタシ、ビール。中生でいいや。」
「カッコいい~!さすがだね~!」
何が“さすが”なんだか。他の3人はカシス何とかとかカクテルとか、そんな物を注文していた。
はしゃぐのは優夏と沙耶の仕事。
「佑と飲みに行くなんて初めてだもんね~、当たり前だけど。嬉しいな~!」
「3人でよく飲んだりするの?」
「最近はね。みんな忙しいから、そんなには会えないけど。」
絵里子は一歩引いているけど、場を仕切るのは彼女。その辺も3年前と変わらない。
優夏は高校時代からぽっちゃり体型だったが、成人を迎えて明らかに太り始めていた。沙耶はそんなに変わらない、ショートカットで色白の山形美人だ。
3人とも地方の若者らしい服装で、それなりにオシャレでそれなりに控えめで、それなりに疲れているようだった。
飲み物が到着した。
「じゃあ、佑おかえり~!」
「乾杯~、お疲れ~!」
「ありがと。」
せめての楽しみ。アイヴィーはシャワーを浴びてから今まで一滴も水分を口にしていなかった。
乾いた身体にビールが染み渡っていく。
「佑、すごいね~ロックだね~。」
優夏が何を言っているのか分からなかった。
3人の視線は、半分空いたアイヴィーのジョッキに注がれている。彼女は苦笑してジョッキを置いた。
こりゃ、飲まなきゃ…やってられないかも。
「タバコ、吸わないの?」
「…一応、歌い手だからさ。喉に良くないから。」
「へえ~。アタシ、吸ってもいい?」
「どうぞ。」
優夏はメンソールのタバコに火をつけた。
「佑、タバコすごく似合いそうなイメージだけど。」
「だって、高校の時も吸ってなかったでしょ。」
「そうだけどさ。」
「あ、嫌だったら消すよ?」
優夏が気を遣う。
「別にいいよ。ライヴハウスってタバコ臭いんだよ。アタシがいたバンドのギタリストも、タバコがないと死ぬ男だったし。あそこにいれば、ほぼタバコ吸ってるのと同じだから。」
ゴン、今ごろどうしてるかな。彼女と、いいクリスマスを過ごしたかな。
「そうなんだ~。じゃあ佑、デビューする前はバンドやってたの?」
「アタシ、知ってるよ。『ズギューン!』。」
横から沙耶が口をはさんだ。
「へえ、よく知ってるね。」
「雑誌で佑のインタビュー読んだら、『前のバンド』って紹介されてたでしょ。アタシ、それでアルバム買ったんだよ。」
「そりゃ、どうもありがと。」
「何だかすごく激しい曲だったからビックリ!ハード系だね。でも佑の声だ~!って、アタシ感動しちゃった。」
「そりゃ、どうも。」
アイヴィーはビールを飲み干して、お代わりを注文した。他の3人のグラスはほとんど減っていない。
さっきから佑、佑と呼ばれるのがむず痒くなってきた。
それでも、3人に「アイヴィー」とも呼ばれたくはないし。
どうにも居心地が悪い。
「みんなは、どうしてたの?」
自分の話を避けるため、アイヴィーは話題をそらした。幸いにも3人はすぐに自分語りに夢中になってくれた。
絵里子は高校を卒業してすぐ福島で就職をしたが、この春に地元へ帰ってきて、今は駅近くの運送会社で事務をしている。
優夏は歯科衛生士の専門学校を来年卒業する。卒業後は地元の歯科医に就職がほぼ決まっている。
沙耶は高校時代からずっとショッピングセンターで販売の仕事をしている。アルバイトから就職した形だ。
「アタシ、結婚する予定なんだ。」
「へえ~!そりゃすごいね、おめでとう!」
アイヴィーは少し心を動かされた。同級生のゴールイン、素直にめでたいと思う。
「相手はどんな人?」
「同じ職場で働いてる3歳年上の人。地元の人だよ、もう付き合って2年になるかな。」
「いいじゃない。そうか、沙耶はお嫁さんか。」
「佑は、彼氏とかいないの?」
優夏のぶしつけな質問に、思いがけずシンのことが心に突き刺さった。窓の外は雪が降り続いている。
シン、寒くないかな。お腹、空いてないかな。
「…いるよ。でもまあ、いろいろあるよね。」
アイヴィーの言葉に、絵里子が黙って深くうなずいた。思うところがあるようだ。
「どんな人?どんな人?音楽関係なの?」
優夏は空気を読まずに追及してくる。アイヴィーが返事に詰まった時、タイミング良く店員が声をかけてきた。
「あの~…。」
いかにも居酒屋の店員といった、陽気な雰囲気の若い女の子。年はアイヴィーたちと同じくらいだろうか、恥ずかしそうにモジモジしている。
「はい?」
「アイヴィーさん…ですよね。」
他の3人が色めき立った。友達は有名人。
その反応がアイヴィーの心を少し苛立たせた。ビールをひと口飲んで気持ちを落ち着かせる。
「あ、はい。」
「うち、大ファンなんです。シングル、買いました。」
「あ、どうもありがとう。」
「握手してもらって、いいですか?」
「もちろん。」
そう言ってアイヴィーは店員の手を握った。彼女は興奮のあまり顔が紅潮している。
「ありがとうございます!あの~、写メとかは…。」
「あ~、ごめんなさい。写真とサインはダメなんですよ、事務所から言われてるんで。」
「そうなんですか…。」
店員の子はガッカリしたような顔をした。アイヴィーはその哀しそうな顔を見るのが辛かった。
「その代わり、ね。」
そう言ってアイヴィーは立ち上がり、彼女の身体に手を回してギュッとハグをした。
「これで許してくれるかな?」
「あ、あ、ありがとうございます~!」
店員の子はとびきりの笑顔でアイヴィーに抱きついてきた。目には涙が浮かんでいる。アイヴィーはその顔を見ながら、ポンポンと背中を叩いてあげた。
彼女が弾むような足取りで厨房に戻っていくと、絵里子が感心したように話しかけてきた。
「佑、カッコいいね。」
「そうかな?事務所からいろいろ制約かけられて、窮屈でどうしようもないだけだよ。」
「でも、大人の対応。カッコよかった、アタシ惚れちゃった。」
「ねえ、アタシたちにもサインとかダメなの?」
優夏が割り込んでくる。アイヴィーはポリポリと顔をかいた。
「あとで書いたげるよ、写真も一緒に撮ろう。その代わり、SNSとかネットに絶対出さないでね。」
「うん!やった!」
「アタシ、シングル持ってきたもんね。『ズギューン!』のアルバムも。」
沙耶の言葉を遮るように優夏がグイグイ攻め込んでくる。
「ねえ、事務所ってどこなの?」
アイヴィーが所属する事務所名を口にすると沙耶の目が輝いた。
「うそーっ!○○がいるとこでしょ?同じ事務所なんだ…会ったことある?」
「…いや、ない。同じだってことすら知らなかった。スタジオとプロモーションの場所を移動するだけで、事務所にはほとんど行かないんだ。最初に行っただけかな。そういうの、正直よく知らないんだよ。」
「そうなの~?サインとかもらえないかな?」
「分かんない。一応、覚えておく。」
「ねえ、テレビ局ってどんななの?」
今度は優夏が聞いてきた。
「どんなって…。」
「『ひるでーしょん』に出たでしょ?ゲストに△△とか出てたよね。アタシ、大ファンでさ…。」
3人の声がホワイトノイズ(テレビの放送が終了した後のザーッという音)のように無意味な音に聞こえてきた。アイヴィーはビールを一気に飲み干した。
もう何杯目だろう?アイヴィーが悪酔いすることはまずないが、このままだと今夜は…。
酒は美味しく飲みたいのだ。
彼女たちに怒りや恨みはない。ただこんな会話、こんな付き合い方は、もうまっぴら。
高円寺を経て、アイヴィーは最高の仲間を何人も得てきた。仲間とはどういうものか、ようやく分かってきたと思う。
それは単に「共通点がバンド」だというだけじゃない。
だから、絵里子たちとだって。