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3/5

その3

絵里子が指定してきたのは、大石田駅からほど近くにあるごく普通のチェーンの居酒屋だった。この辺りで女子会ができるような店の選択肢はそれほどない。

アイヴィーが店に入っていくと、奥の方にあるボックス席には既に3人が揃っていた。

「キャー!佑だ~!」

「すごーい!早く、こっちこっち!」

優夏と沙耶は興奮を隠せないようにアイヴィーに手を振った。アイヴィーはゆっくりと近づいていった。

「ごぶさた。」

「佑~、元気だった?有名人になっちゃったね!」

「何か格好、すごいね~オシャレ!ロックの人って普段そんな感じなの?」

トップコートを脱いだアイヴィーは、いつものパッチでカスタムした黒いパーカーに青いタータンチェックのパンツ(ボンデージではない)、Dr.マーチンを合わせていた。

髪は珍しく後ろで束ねている(そういう方が目立たないと思った)。ラフな格好だし、アクセサリーも付けていない。化粧も控えめにしてきた。

それでも恐らく3人には東京の香り、ロックな香りがプンプンと匂うのだろう。アイヴィーは沙耶の質問をやんわりと無視した。

「もう、何か注文した?」

「ううん、まだ。アタシたちもさっき来たばかりだから。」

アイヴィーは絵里子の隣に座り、優夏と沙耶と向き合う形になった。

昔からこのポジションは変わらない。高円寺のスープカレー屋で「ズギューン!」のメンバーが決まった席に座るのと、同じといえば同じ。

ただし同じ4人組でも、今夜はどうにも気が乗ってこないな。

「佑、なに飲むの?」

「アタシ、ビール。中生でいいや。」

「カッコいい~!さすがだね~!」

何が“さすが”なんだか。他の3人はカシス何とかとかカクテルとか、そんな物を注文していた。

はしゃぐのは優夏と沙耶の仕事。

「佑と飲みに行くなんて初めてだもんね~、当たり前だけど。嬉しいな~!」

「3人でよく飲んだりするの?」

「最近はね。みんな忙しいから、そんなには会えないけど。」

絵里子は一歩引いているけど、場を仕切るのは彼女。その辺も3年前と変わらない。

優夏は高校時代からぽっちゃり体型だったが、成人を迎えて明らかに太り始めていた。沙耶はそんなに変わらない、ショートカットで色白の山形美人だ。

3人とも地方の若者らしい服装で、それなりにオシャレでそれなりに控えめで、それなりに疲れているようだった。

飲み物が到着した。

「じゃあ、佑おかえり~!」

「乾杯~、お疲れ~!」

「ありがと。」

せめての楽しみ。アイヴィーはシャワーを浴びてから今まで一滴も水分を口にしていなかった。

乾いた身体にビールが染み渡っていく。

「佑、すごいね~ロックだね~。」

優夏が何を言っているのか分からなかった。

3人の視線は、半分空いたアイヴィーのジョッキに注がれている。彼女は苦笑してジョッキを置いた。

こりゃ、飲まなきゃ…やってられないかも。

「タバコ、吸わないの?」

「…一応、歌い手だからさ。喉に良くないから。」

「へえ~。アタシ、吸ってもいい?」

「どうぞ。」

優夏はメンソールのタバコに火をつけた。

「佑、タバコすごく似合いそうなイメージだけど。」

「だって、高校の時も吸ってなかったでしょ。」

「そうだけどさ。」

「あ、嫌だったら消すよ?」

優夏が気を遣う。

「別にいいよ。ライヴハウスってタバコ臭いんだよ。アタシがいたバンドのギタリストも、タバコがないと死ぬ男だったし。あそこにいれば、ほぼタバコ吸ってるのと同じだから。」

ゴン、今ごろどうしてるかな。彼女と、いいクリスマスを過ごしたかな。

「そうなんだ~。じゃあ佑、デビューする前はバンドやってたの?」

「アタシ、知ってるよ。『ズギューン!』。」

横から沙耶が口をはさんだ。

「へえ、よく知ってるね。」

「雑誌で佑のインタビュー読んだら、『前のバンド』って紹介されてたでしょ。アタシ、それでアルバム買ったんだよ。」

「そりゃ、どうもありがと。」

「何だかすごく激しい曲だったからビックリ!ハード系だね。でも佑の声だ~!って、アタシ感動しちゃった。」

「そりゃ、どうも。」

アイヴィーはビールを飲み干して、お代わりを注文した。他の3人のグラスはほとんど減っていない。

さっきから佑、佑と呼ばれるのがむず痒くなってきた。

それでも、3人に「アイヴィー」とも呼ばれたくはないし。

どうにも居心地が悪い。

「みんなは、どうしてたの?」

自分の話を避けるため、アイヴィーは話題をそらした。幸いにも3人はすぐに自分語りに夢中になってくれた。

絵里子は高校を卒業してすぐ福島で就職をしたが、この春に地元へ帰ってきて、今は駅近くの運送会社で事務をしている。

優夏は歯科衛生士の専門学校を来年卒業する。卒業後は地元の歯科医に就職がほぼ決まっている。

沙耶は高校時代からずっとショッピングセンターで販売の仕事をしている。アルバイトから就職した形だ。

「アタシ、結婚する予定なんだ。」

「へえ~!そりゃすごいね、おめでとう!」

アイヴィーは少し心を動かされた。同級生のゴールイン、素直にめでたいと思う。

「相手はどんな人?」

「同じ職場で働いてる3歳年上の人。地元の人だよ、もう付き合って2年になるかな。」

「いいじゃない。そうか、沙耶はお嫁さんか。」

「佑は、彼氏とかいないの?」

優夏のぶしつけな質問に、思いがけずシンのことが心に突き刺さった。窓の外は雪が降り続いている。

シン、寒くないかな。お腹、空いてないかな。

「…いるよ。でもまあ、いろいろあるよね。」

アイヴィーの言葉に、絵里子が黙って深くうなずいた。思うところがあるようだ。

「どんな人?どんな人?音楽関係なの?」

優夏は空気を読まずに追及してくる。アイヴィーが返事に詰まった時、タイミング良く店員が声をかけてきた。


「あの~…。」

いかにも居酒屋の店員といった、陽気な雰囲気の若い女の子。年はアイヴィーたちと同じくらいだろうか、恥ずかしそうにモジモジしている。

「はい?」

「アイヴィーさん…ですよね。」

他の3人が色めき立った。友達は有名人。

その反応がアイヴィーの心を少し苛立たせた。ビールをひと口飲んで気持ちを落ち着かせる。

「あ、はい。」

「うち、大ファンなんです。シングル、買いました。」

「あ、どうもありがとう。」

「握手してもらって、いいですか?」

「もちろん。」

そう言ってアイヴィーは店員の手を握った。彼女は興奮のあまり顔が紅潮している。

「ありがとうございます!あの~、写メとかは…。」

「あ~、ごめんなさい。写真とサインはダメなんですよ、事務所から言われてるんで。」

「そうなんですか…。」

店員の子はガッカリしたような顔をした。アイヴィーはその哀しそうな顔を見るのが辛かった。

「その代わり、ね。」

そう言ってアイヴィーは立ち上がり、彼女の身体に手を回してギュッとハグをした。

「これで許してくれるかな?」

「あ、あ、ありがとうございます~!」

店員の子はとびきりの笑顔でアイヴィーに抱きついてきた。目には涙が浮かんでいる。アイヴィーはその顔を見ながら、ポンポンと背中を叩いてあげた。

彼女が弾むような足取りで厨房に戻っていくと、絵里子が感心したように話しかけてきた。

「佑、カッコいいね。」

「そうかな?事務所からいろいろ制約かけられて、窮屈でどうしようもないだけだよ。」

「でも、大人の対応。カッコよかった、アタシ惚れちゃった。」

「ねえ、アタシたちにもサインとかダメなの?」

優夏が割り込んでくる。アイヴィーはポリポリと顔をかいた。

「あとで書いたげるよ、写真も一緒に撮ろう。その代わり、SNSとかネットに絶対出さないでね。」

「うん!やった!」

「アタシ、シングル持ってきたもんね。『ズギューン!』のアルバムも。」

沙耶の言葉を遮るように優夏がグイグイ攻め込んでくる。

「ねえ、事務所ってどこなの?」

アイヴィーが所属する事務所名を口にすると沙耶の目が輝いた。

「うそーっ!○○がいるとこでしょ?同じ事務所なんだ…会ったことある?」

「…いや、ない。同じだってことすら知らなかった。スタジオとプロモーションの場所を移動するだけで、事務所にはほとんど行かないんだ。最初に行っただけかな。そういうの、正直よく知らないんだよ。」

「そうなの~?サインとかもらえないかな?」

「分かんない。一応、覚えておく。」

「ねえ、テレビ局ってどんななの?」

今度は優夏が聞いてきた。

「どんなって…。」

「『ひるでーしょん』に出たでしょ?ゲストに△△とか出てたよね。アタシ、大ファンでさ…。」

3人の声がホワイトノイズ(テレビの放送が終了した後のザーッという音)のように無意味な音に聞こえてきた。アイヴィーはビールを一気に飲み干した。

もう何杯目だろう?アイヴィーが悪酔いすることはまずないが、このままだと今夜は…。

酒は美味しく飲みたいのだ。

彼女たちに怒りや恨みはない。ただこんな会話、こんな付き合い方は、もうまっぴら。

高円寺を経て、アイヴィーは最高の仲間を何人も得てきた。仲間とはどういうものか、ようやく分かってきたと思う。

それは単に「共通点がバンド」だというだけじゃない。

だから、絵里子たちとだって。


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