第参話 『それでも、やっぱり、どうしても』
「そういえば、其方は何をしにここまでやってきたのだ?」
「おいらはかっ飛ばすのが好きなんすよ」
「ほう? ずっとそうして飛んでいるのか?」
「そうっすね。それがおいらのポリシーなんで」
道中、暇つぶしがてら、運び屋と話をしてみた。
どうやら、こうして飛ぶのが好きらしい。
なかなか変わった奴だ。少しばかり興味が湧いたので、質問を続ける。
「其方は災いを運ぶと人間共が噂していたが、それは真か?」
「とんでもない。おいらはただ飛んでるだけっす」
「左様か。噂では、地球の空気を吸い取ってしまうなどと言われていたが、そんな能力はないのだな?」
「当たり前っすよ! こんなにちっぽけなおいらに、そんな大層な真似が出来るわけないっす!」
それを聞いて、なんだかおかしくなる。
此奴が上空を飛んでいる間、人間共はパニックに陥っていた。
通過する際に空気を持っていかれると噂が流れ、それを信じた者が自転車のチューブを大量に買っていた。
そんなものを何に使うのかと思えば、その中の空気を吸って生き延びるなどと馬鹿なことを言っていた。
此奴にそのような能力がないことがわかった今、その浅ましさが滑稽でちゃんちゃらおかしい。
自然から逸脱した人間は、その生死すらも自らでコントロールしようと試みている。
とはいえ、奴らの寿命は短く、あっという間に死んでしまう。無駄な足掻きにしか思えない。
しかし、だからこそ、短い生に執着するのかも知れない。その浅ましさこそが、強さとも言えた。
サラはそんな彼らを、明日に向かって生きていると評した。
こうして旅に出て、ようやくその意味が吾輩にもわかった。
このまま飛んでいけば、いずれあの光り輝く太陽へと辿り着ける。
それが楽しみで、そして待ち遠しくて、吾輩は明日に向かって生きていると実感する。
それは後妻の言葉を借りるならば、進化と言えよう。吾輩は、進歩し、進化することが出来た。
蒼い卵に捨てられたからこそ、この新たな境地に辿り着けたのである。
そう思えば、幾分か沈んでいた気持ちも紛らわすことができた。ものは考えようということだ。
上機嫌の吾輩は、運び屋の上で寝そべりながら、気の向くままに様々な話をした。
これまでのことや、これからのこと。そして、自分自身のことや、相手のこと。
思えば、そのような話を蒼い卵とはしたことがなかった。
だから捨てられたのかもしれないと自嘲すると、運び屋は吾輩を慰めてくれた。
「いろいろあったんすね~! でも、くよくよすることないっすよ!」
「其方は前向きなのだな」
「当然っす! なにせ前にしか進めないっすからね!」
「はははっ! たしかに、これは一本取られたな」
そんな上手いことを言われて、思わず高笑い。
非常に気分が良かった。だから吾輩は、運び屋に告げる。
「そなたは人間共から、彗星と呼ばれておった」
「彗星? なんだか照れ臭いっすね」
「他には帚星だとか、ハレーとも呼ばれていたな」
「ハレーなんて立派な名前、おいらには勿体ないっすよ」
「それなら吾輩は、其方を箒と呼ぼう」
「ホウキっすか? さっきも思ったんすけど、どうして箒なんすか?」
「なんでも、其方の立派な尻尾が、箒のように見えるからそう名付けたらしいぞ」
「へぇ~! 人間って奴は、なかなか面白いことを考えるんっすね。ちなみにお客さんの名前はなんて言うんすか?」
「吾輩は月。ムーンとでも呼んでくれ」
「わかりやした。ムーンさん、改めて、よろしくっす」
「ああ、こちらこそよろしく、箒」
箒は感心した様子で、その名を受け入れた。
それから暫く、取り留めのない話を交わしていると。
箒が前方を指差して、何かを見つけた。
「ムーンさん、あれを見るっす?」
「むっ? あれは卵か?」
「どうやら地球さんと同類みたいっすね」
「あいつと同類ならば、これも惑星のようだな」
「惑星?」
「そうだ。ある程度の大きさの卵を、人間は惑星と呼んでいた」
「なら、この子にも名前があるんすかね?」
「そう言えば、小耳に挟んだ覚えがある。地球よりも太陽に近い惑星の名前は、たしか……」
小考して、思い出した。
「そうだ、金星だ」
「金星?」
「ああ、ヴィーナスとも呼ばれておった」
明け方や夕暮れ時に、太陽に反射するその卵はとても美しく、人間共は明星と称した。
しかしながら、こうして近くまで来てみると、その表面は乾いた荒れ地であり。
「あらまあ、そこの綺麗な竜さん、寄っていかない?」
しなを作って、うふんあはんとやられても、全然魅力を感じない。
「寄っていかなくていいんすか?」
「ああ、あれは吾輩の好みではない」
「それじゃあ、次に行くっすよ~」
素通りすると、ヴィーナスはクネクネしながら流し目を送り、別れを惜しんだ。
「いやーん。いけず~」
いやはや、なんとも気色の悪い卵だった。
とはいえ、あれでも地球では美しいとされている。
吾輩も少しはそうした色気を学んだほうがいいのだろうか?
「なあ、箒よ」
「なんすか?」
「吾輩がクネクネしながらうふんあはんと言ったらどうする?」
「そっこーで降ろしますね」
「そうだろうな……すまない。忘れてくれ」
自らの妄言を恥じていると、すぐに次の卵が見えてきた。
「あれは、水星だな」
「おいらと同じ名前っすね」
「字が違う」
「あ、そうなんすか」
吾輩がその卵の名を教えてやると、箒の奴はヘラヘラと笑って、納得した様子。
「ここいらはだいぶ太陽に近いんで、かなり暑そうっすね」
「そうだな。水星とは名ばかりで、水など一滴もなさそうだ」
近づいて観察すると、水星はカラカラに乾ききっていた。
どうしてこのような惑星に、水の星と名付けたのか、不思議でならない。
別名マーキュリーとも呼ばれる卵は、通過する我らに気づいたらしく、声を掛けてきた。
「こら、お嬢ちゃん。それ以上は行っちゃいけねぇよ」
「む? 何故だ? 吾輩は太陽に会いたいのだ」
「それなら俺の星の上でじっくり拝みな。悪いが、ここから先は通せねぇ」
有無も言わさず、強制的に水星に降ろされた。
吾輩を残して、運び屋の帚星が別れを告げる。
「それじゃあ、ムーンさん。お達者で~」
「あ! こら、待て! 吾輩も連れて行け!」
「駄目だって言ってんだろうが。まったく、聞き分けのねぇ嬢ちゃんだぜ」
駄々を捏ねると、水星はやれやれと首を振って、吾輩を羽交い締めにした。
「おい、離せ! どうして意地悪をするんだ!?」
「意地悪じゃねぇ。嬢ちゃんの為にこうしてるんだよ」
「なに? どういう意味だ?」
吾輩の為だと言われ、聞き返すと、水星は勿体振った物言いで確認をした。
「説明する前に、確認だ。嬢ちゃんは、サン様に会いたいんだよな?」
「サン様とは太陽のことか?」
「おっと、呼び捨てはよくねぇぜ。俺はあの方に惚れてんだからよ」
「呼び方など、どうでも良い。吾輩はそのサン様とやらに会いたいのだ」
「なら、わざわざここまで来る必要なんざねぇよ」
「どういうことだ?」
「どうもこうも、あの方は遙か遠くまで無上の愛を送り届けることが出来るからだ」
なんともメルヘンちっくな言葉に、目をパチクリさせていると、かみ砕いて説明してくれた。
「お嬢ちゃんは、サン様の光に惹かれて、お近づきになろうと思ったんだろ?」
「そうだ。とても美しかったので、吾輩の伴侶に相応しいと考えた」
「それはまた、大きく出たな。あの方の伴侶になろうとは、お嬢ちゃんは大したもんだ」
目的を口にすると、何故か豪快に笑い飛ばされた。
どうして水星が笑うのかわからず、それを尋ねてみる。
「何故笑う?」
「だってよ、あの方は沢山の子供の母親なんだぜ?」
「なんと。それでは既に夫がいるのか?」
衝撃の事実に、戦慄していると、水星はまたも呆れたように首を振って。
「夫も子供も似たようなもんだ。強いて言うなら、一番身近なこの俺が夫かな」
「そ、そうだったのか……それは失礼をした。吾輩は人の妻を取るつもりはない」
太陽の夫と名乗る水星に恐縮して、弁明する。
後妻に夫を奪われた苦い経験のある吾輩には、略奪愛などするつもりはない。
既に既婚というのなら、大人しく引き下がろうと思ったのだが。
「なんてな。今のは冗談さ」
「は?」
「サン様は皆を平等に愛している。だからお嬢ちゃんのことも、愛してるんだよ」
前言を撤回して、そう諭す水星。
それでは話が違うと思って、言い返す。
「ならば、どうして吾輩を引き留めたのだ!」
「あのまま近づけば、もう帰れなくなる」
帰れなくなると聞いて、ちょっとぞっとした。
しかし、そんなあからさまな脅しになど、屈しない。
「ほ、箒の奴は平気そうだったぞ!」
「あいつは帰り道を知っているからな」
「だったら問題ないではないか!」
「どうせ近くを通過する時に、サン様に降りるつもりだったんだろ?」
「ぐっ……べ、別にちょっとくらい良いではないか!」
「駄目だね。降りたら最後。もう帰れない」
今回は脅しではないらしく、目がマジだ。
計画していた悪戯がバレて、狼狽しつつ、吾輩は我儘を貫こうとした。
「か、帰れなくてもいいのだ! 吾輩にはもう、帰るところなどないのだから!!」
「それは嘘だな」
「う、嘘ではない! それが吾輩の本心だ!」
「いや、俺の見立てによると、お嬢ちゃんの心は帰りたがっているようだぜ?」
突然そんなことを言われて、困惑して、しどろもどろ。
「こ、心だと? なんのことだ? 話を誤魔化すな!」
「誤魔化しているのは、お嬢ちゃんの方だろ?」
水星はこちらの胸のうちを見透かすような澄んだ目をして、吾輩に説く。
「身体を置き去りにしておいて、伴侶捜しなんざするもんじゃねぇよ」
「な、なんのことやら……」
「とぼけんな。まったく、本当は昔の男が気になって仕方ねぇんだろ?」
ズバリと行動の矛盾を指摘されて、吾輩は黙り込むしかなかった。
「ほら、お帰りはあちらだぜ」
指差された方向を見ると、地球に向かう彗星が見て取れた。
どうやら運び屋は箒だけではなかったらしい。
渋々それに乗って、吾輩は帰路につく。
「じゃあな、嬢ちゃん。気をつけてな」
「……吾輩は帰りたくない」
「大丈夫だ。サン様の近くで、少しは温まっただろ?」
別れ際、未練がましく再び駄々を捏ねると、水星はまたも心中を見透かしたようなことを言う。
とはいえ、それは事実であり、冷え切った吾輩の心は、いくらかマシになったと言える。
ポカポカして、元気が湧く。なるほど。これが太陽の愛らしい。
「……わかった。帰る」
「ああ、そうしとけ」
「水星」
「なんだ?」
「お前はただ単に、厄介払いをしたかっただけではないのか?」
「ちぇっ……バレたか」
こいつ……やっぱりそうか。
「お、覚えていろよ! 何が吾輩の為だ! この嘘つきめ!」
「嘘なんかじゃねぇよ。たぶん、そろそろ……おっと、来やがったぜ」
彗星に乗って飛び去る間際、突然太陽が輝いたかと思ったら、ものすごい熱が押し寄せてきた。
「くぅ~! この熱さ、たまんねぇ! こうしたプレイは、お嬢ちゃんにはまだ早いってこった!」
どうやら水星は変態だったらしく、太陽の灼熱の息吹に焼かれて、喜んでいた。
吾輩はそれっきり、後ろを振り向かず、大人しく帰ることとする。
背中に聞こえるマーキュリーの愉悦を含む嬌声が、酷く不快で、耳障りで。
いつしか吾輩は、早く地球の元へと帰りたいと願っていた。
「弱ったな……家出したことを、あいつは咎めるだろうか」
帰りの道すがら、ただただ前の男のことを思っていた吾輩ではあったが、いざ帰ってみると不安になる。
勝手に留守にしたことを怒られるのではと思って、こっそり月の影から地球を覗くと。
「ほらほら、熱い? ねぇねぇ、熱いの?」
「あ、熱いよ! もうやめてよ!?」
「ふふっ……気持ちいい癖に。もっと焼いたげる」
「やだやだ! もう壊れちゃうよぉ!?」
……なんだこれは。
まるで太陽に焼かれる水星の如く悶える、前の男。
焼いているのはエリーが育てた、人間。
どうやら人間共はついに、小さな太陽を作り出すことに成功したらしい。
効率的な殺し合いの方法の果てに、それを実現する兵器を生み出した。
その途轍もない熱量と、同時に毒を撒かれて、悶える地球。
それでも、水星の一件があるので、そういうプレイにしか見えなかった。
「……不潔」
あまりの熱さと痛みに本気で泣き喚いてる地球を見ても、私は冷めていた。
せっかくポカポカになったというのに、台無しだ。
もう勝手にしろと、ふて寝をすることにする。
そして次に起きた時、何かが月へとやってきた。
「なんだあれは……人間共のオモチャか?」
それは円筒状の物体で、こちらに向かって飛んでくる。
月の周囲をグルグル回り、そして蜘蛛のようなものが、吾輩の卵の上に降り立った。
身を潜めて、その奇妙な物体を見つめていると、備え付けられた扉が開き、人間が中から現れた。
どうやら奴らは、吾輩の暮らす月までも侵略するつもりらしい。
もう我慢ならんと思いつつも、一応話だけは聞いてやろうと考え直し。
闇討ちはやめて、月の上で跳ねて遊ぶ人間のひとりに、声を掛けてみた。
「おい、そこの人間」
「へっ? うわっ!? きょ、恐竜!?」
吾輩の姿を見て、恐竜と呼んだ人間。
恐竜とは、吾輩の子供の遺骨を見た人間共が名付けた通称だ。
もっとも、それは吾輩に当て嵌まらないので、訂正を促す。
「吾輩は竜だ。言うなれば、恐竜の真祖である」
我ながら、わかりやすい説明だと思う。
それを聞いた人間は、平伏して、命乞いを始めた。
「ど、どうか命だけはお助けを……!」
「誤解するな。吾輩は貴様を食うつもりはない」
「ほ、本当ですか……?」
「本当だとも。だから怖がるのはもうやめろ」
そう言ってやると、人間は少しは安心したらしいが、まだおっかなびっくり。
そんな有様に失笑して、聞いてみる。
「そんなに吾輩が怖いか?」
「そ、それはもう……その大きな顎で噛まれたらと思うと、心臓が止まりそうですよ」
ふむ……吾輩の子供に恐竜と名付けただけあって、その恐怖心は根深いらしい。
とはいえ、こちらが危害を加える素振りを見せないことで、徐々に人間は落ち着いてきた。
もともと好奇心が強い種族なので、色々と質問をされた。
「あなたは、ずっと月で暮らしていたのですか?」
「そうだ。お前達の母親に追い出されてから、ずっとな」
「俺たちの母親?」
「エリーという女に心当たりはないか?」
「えっと……スペルは?」
「E.L.E……だった筈だ」
「それはたぶん、Extinction-Level Eventの略だと思われます」
「どういう意味だ?」
「種の絶滅級の事象。つまり、恐竜が絶滅した時のことを指しているのでしょう」
あの女め……回りくどい自己紹介などしおって。
「とにかく、その女が、貴様らの母親だ」
ぷんすか怒りながらそう結論づけると、人間は首を振って、言い返してきた。
「いいえ。それは違います」
「なに? 全てを見知ってきた吾輩の言葉に、異を唱えるつもりか?」
むっとして、鋭い牙を見せつけて威嚇しても、人間は狼狽えることなく主張をぶつけた。
「この月こそが、我々の本当の母親なのです」
「な、なにを言っておるのだ……?」
「エリーはたしかに恐竜を絶滅させて、人間が発展するきっかけを作ってくれました」
「だから、そう言っておるだろう! あいつが貴様らの母親だと!」
「しかし、その前に生命の誕生を促したものこそが、月であり、我々の母親なのです」
きっぱりとそう言い切られて、反論することが出来なくなった。
言われてみると、たしかに筋が通っている。吾輩が、生命を誕生させた。
その子供達が恐竜であり、エリーの衝突がきっかけで、絶滅した。
それでも、人間の元となる猿などの生き物は残り、進化していった。
エリーに煽られて、吾輩はそのことを見落としていた。
詰まるところ、結局。
「お前達は、吾輩の子供でもあったということか……」
そう呟くと、人間は首を傾げてわけがわからない様子。
それはそうだろう。月から竜が生まれたと言っても、理解は出来まい。
なので、その説明は省いて、聞くべき事だけを尋ねた。
「ひとつだけ、聞かせてくれ」
「なんなりと、お聞きください」
「初めて月に降り立った人間よ……名は、なんと申す?」
名前を尋ねると、人間は照れ臭そうに宇宙服のヘルメットのバイザーをあげて。
「名乗るほどの者ではございません」
謙虚な彼は、地球に帰還したあと、英雄となった。
彼の遺した、『地球は蒼かった』という言葉は、後世まで語り継がれることとなる。
いろいろと吹っ切れた吾輩は、明日を生きるために、気持ちを整理しようと、再び旅に出ることにした。
「おいっす! 久しぶりっすね、ムーンさん!」
「ああ、76年ぶりだな……会いたかったぞ、箒」
「おいらも会いたかったっすよ! 乗っていきますか?」
「無論だ。今回も頼む」
「任せるっす! しっかり捉まってるっすよ~!」
太陽から帰ってきた箒に跨がり、吾輩は今度は反対方面へと旅立った。
「ムーンさん、なんか良いことでもあったんすか?」
「どうしてわかる?」
「なんか嬉しそうなんで、すぐわかったっすよ」
どうやら、バレバレらしい。
実は子沢山であることが発覚してから、吾輩の中で考え方が大きく変わった。
もはや自分が前の女だろうと何だろうと、どうでもいい。
後妻に対して気後れする必要など、もうないのだ。
そうした余裕もあって、惑星見物を純粋に楽しむことが出来た。
まずは火星。
マーズとも呼ばれていて、その悪役じみた名前とは裏腹に、わりと絶景であった。
赤褐色の肌は色っぽく、少なくとも、金星よりは美人だろう。
次に木星。
ジュピターとも呼ばれるこの卵は、非常にデカかった。
大層モテるらしく、周囲には8人の妻が居て、そしてその他にも妾が59人。
ここまでくると、不快感よりも賞賛の気持ちが沸いてきて、どんな顔をしているのか気になった。
しかし、ずいぶんとシャイな様子で、潜っても潜っても液体金属の濁流が邪魔をして会えず終い。
恐らく、このように素顔を見せないからこそ、妻たちは引き寄せられたのだろう。
そして土星。
サターンと呼ばれる悪魔。
しかし、わりと穏やかな卵であり、木星と同じく素顔は見せない。
特徴的なのは大きな輪っかだ。アクセサリーか何かだと思われる。
吾輩も同じように着飾ればモテるだろうかと思い、箒に尋ねると。
「ムーンさんはそのままでもお綺麗っすよ」
なんてお世辞を言われて浮かれた吾輩は気分上々で次の惑星へ向かった。
天王星はへそ曲がり。
ウラヌスと呼ばれている老婆だった。
寝たきりで、先述した通り気むずかしい性格。
表面は凍っていて、ツルツルのスベスベ。
降りようと思ったのだが、だめじゃと言われて、やむなく通過。
機会があれば、その肌つやの秘訣を是非とも聞いてみたいものだ。
その後、海王星へと行き着いた。
ネプチューンとも呼ばれるこの卵は、天王星同様にカチコチに凍っている。
これは両名とも太陽から離れすぎている為で、愛が足りないご様子。
すっかり拗ねていて、吾輩のことなど知らんぷり。
分厚い大気の層に阻まれて、面会すら謝絶されてしまった。
そしてここまで来て、箒が何故か方向転換。
「おい箒、勝手に戻るな。もっと向こうがみたい」
「そうは言っても、この先にはもう惑星はないっすよ」
「冥王星があるではないか」
「あれはもう惑星ではないって道中に言ってたじゃないっすか」
たしかに、冥王星はもはや惑星ではない。
人間の定める惑星の定義よりも大きさが小さいことがわかり、除外されてしまった。
そのことを偉そうに説明したのが、失敗だった。よもや、ここでUターンをされるとは。
とはいえ、このままおめおめと帰るわけにはいかない。吾輩の目的は、冥王星にあるのだ。
「それなら吾輩独りで行ってくる」
「どうしてそこまで冥王星に行きたいんすか?」
「そこに、吾輩の求めるものがある気がするのだ」
「それなら止めないっすけど……帰って来れる保証はないっすからね?」
吾輩を心配して、引き留めてくれる箒。
ここから先は、運び屋ですら通らない、最果て。
それを重々承知した上で、吾輩は気丈に振る舞う。
「水星のような脅しはやめろ。吾輩はきっと、帰って来るさ」
「そうっすか……それじゃあ、ムーンさん。お達者で」
「ああ、ここまで乗せてくれて、ありがとう」
彗星と別れて、吾輩は自分の翼で冥王星を目指した。
飛ばし屋の箒とは違い、吾輩の飛ぶ速度は遅く、なかなか辿り着けない。
必死に前に進みながら、吾輩をこれまでのことを思い返す。
互いにぶつかり合って目覚めた、吾輩と蒼い卵。
蜜月の日々と、破局。
塞ぎ込んでいた過去の自分と、吹っ切れた現在の自分。
長く飛んでいると、時間の感覚が曖昧になり、今がいつなのかわからなくなる。
それでも明日を目指した吾輩が辿り着いたのは、遠い昔だった。
「ここが……冥王星」
吾輩はついに、最果ての星へと、辿り着いた。
プルートとも呼ばれるその卵は白くて、どこか吾輩の月を彷彿とさせる。
大きさは、冥王星の方が若干大きいが、大差ない。本当に良く似ていた。
遠く離れたこの星は、つい最近までは惑星のひとつと数えられていたのだが、今は違う。
より新しい技術を用いて観測し直した結果、想定よりも小さいことがわかったのだ。
なので、この星はもう惑星ではないのだが、ここには吾輩の望むものがあった。
「ああ……ようやく会えたな、我が子たちよ」
そこには死んだ筈の子供達が居て、吾輩を迎えてくれた。
冥王星にはその名の通り、冥界を司る王が居た。
その王は、快く吾輩を歓迎した。
「ワタシの星にようこそ、白き竜よ」
高貴な王は、吾輩を白き竜と呼び、そして尋ねた。
「問おう。貴公はワタシの星で永遠を過ごすと誓うか?」
もちろんと答えようとして、ふと気づく。
我が子らが、悲しそうな顔で首を振っていた。
てっきり喜んでくれるかと思ったのに、どうしてそんな顔をするのか。
困惑していると、冥王が死者の声を代弁した。
「この者達は、貴公がここに留まることを望んでいないようだ」
「ど、どうして……?」
「母親としての責任を、果たし終えていないからだ」
母親の責任。
言われて、痛感する。
吾輩はたしかに、子供を置き去りにしてきた。
地球で暮らす人間が本当に自分自身の子供であるならば、やはり放ってはおけない。
「……ならば、帰ろう」
私の決断を聞いた冥王は優しく微笑んで、手招きをした。
「それが懸命だろうね。帰るなら、こちらにおいで」
「其方が吾輩を帰してくれるのか?」
「貴公は魂だけでここまで来た。そして魂をあるべき場所に還すのは、ワタシの仕事というわけさ」
その説明に納得して、冥王の元へと歩み寄る。
すると、優しく抱きしめられて、耳元でこんなことを囁いてきた。
「わざわざここまで来てくれて、ありがとうね。全てが終わったら、また会おう」
優しく吾輩の後頭部を撫でて、その心地よさに目を閉じると、気配が消えた。
不思議に思って目を開くと、そこは見慣れた月の景色。
どうやら、一瞬で帰ってきたらしい。放心状態で、へたり込む。
結局、再びここに戻ってきた。
それは母親の責任と言えば聞こえはいいが、実のところは全く違う。
吾輩は単純に、前の男が忘れられないだけだった。
「あら、帰ってきたの?」
心底情けない気分でぼんやりと地球を眺めていると、久しぶりにエリーが声を掛けてきた。
「うむ……恥ずかしながら、な」
仕方なく、認めると、エリーはケラケラと情けない吾輩を嘲笑った。
「かっこわる! まあ、あんたらしいっちゃらしいけど」
「うるさい。それよりも、地球が随分と静かなようだが、何かあったのか?」
「ああ、ちょっとオイタが過ぎちゃったみたいでね、環境の悪化でもう人間は住めなくなったの」
そんな衝撃的な事件をさらっと口にするエリー。
吾輩は驚いて、とにかく、人間の安否を確認する。
「こ、子供達は無事なのか!?」
「なんとかね。ほら、そこにも居るでしょ?」
「は?」
何のことかわからず、周囲に視線を巡らすと、テントのようなものを発見。
どうやら、人間は月に避難してきたらしい。
「そっちに行った子の面倒は、あんたが見なさいよ」
「吾輩が?」
「なんかあんたのことをティア様とか呼んで信奉してるから、あたしの手に負えないの」
「ティア?」
「そ。なんでも、あんたがアースにぶつかる前は、そんな名前だったらしいわ」
蒼い卵にぶつかる前の、吾輩の呼び名か。
そう言われると、なんだかくすぐったい。
その時の吾輩は生娘であり、ティアという呼び名は大変可愛らしくて、相応しいと言えた。
「ふむ……その呼び名、気に入ったぞ」
「それなら、そいつらの面倒見なさいね。これからはあんたの子供だから」
「お、お前という奴は……本当に勝手な女だな」
「あんただって今まで旅行してたじゃないの。おあいこよ」
「それもそうだな……わかった。この子たちの面倒は、吾輩が見よう」
こうして、人間を押しつけられたわけだが、嫌な気はしない。
むしろ、こうして面倒を見ることが出来て、嬉しかった。
それに今回の宇宙旅行では得難い収穫を得られた。
冥王星で死んだ子供たちが待っていてくれる。捨てられた吾輩にようやく、帰る場所が出来たのだ。
ならば、今は母親としての責任を果たすべきだろう。
その後の補足によると、人間は月以外の惑星にも移住したとのこと。あとで様子を見に行ってみよう。
「やっと2人っきりになれたわね、あなた」
「もう、勘弁しれくらはい……」
「これで完全にアタシのものね。愛してるわよ、アース」
子供が巣立ったあと、ボロボロの地球に、エリーは寄り添っている。
性悪で、我儘で、自分勝手な奴だが、そのぶん愛情は豊富な様子。
最後の最後でこのような良妻ぶりを見せつけられて、げんなりだ。
吾輩は、竜である。
冥王曰く、白いらしい。
人間に付けられた名前は月。
ムーンとも呼ばれ、最近はティアとも呼ばれる。
観測してくれる相手がいるからこそ、認識され、こうして存在している、竜である、
色々あって、他の女に夫を奪われ、挙句の果てに子供の面倒まで見ろと言われる始末。
それでも、やっぱり、どうしても……前の男を忘れられない、愚かな竜だ。
そんな吾輩は今日も人間が『静かの海』と名付けた窪地に座り込み。
頭上で繰り広げられるエリーとアースのいちゃつきを見上げながら。
リア充爆発しろと、心より願うのだった。
これにて完結となります。
お読み頂き、ありがとうございました!




