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第壱話 『出会いと蜜月』

 吾輩は竜である。

 名前はまだない。

 実を言えば、自分が何者かもわからない。

 とはいえ、それは大変困難なことである。


 想像してみて欲しい。

 もしも自分が一人きりだった場合、如何にして自己を確立すればよいだろう。

 水面に映る自らの姿を見ても、それが自分であると認識出来るものは少ない。

 自分の発する声ですら、それが自らの肉声であるとわかる筈もない。

 要するに、周囲に認識されてこそ、自分が何者かを知ることが出来るのだ。


 そう結論付けることによって、矛盾が生じる。

 吾輩は自らを竜と紹介した。それが何故わかるのか。

 それを説明する前に、少しばかり吾輩の経歴について話そう。


 ずっとずっと遠い昔、吾輩は意識もなく、虚空を漂っていた。

 恐らく、眠っていたのだろう。どこで産まれたのかすら、定かではない。

 よりわかりやすく言い換えるならば、まだ孵化する前だったのだ。

 卵の中で、眠ったまま、真っ暗な虚空を彷徨っていた。


 どこから来て、どこに向かうのかもわからない。

 ともすれば、永遠に深淵に向かって飛行を続けていたのかも知れない。

 しかし、そうはならなかった。


 卵の中で眠っていた吾輩のすぐ傍に、別の卵が漂っていた。

 無論、そんなことなど露知らず、寝返りでも打ったその瞬間。

 ガツン!と殻と殻がぶつかって、大きな衝撃が伝わった。

 それに伴い、お互いの殻が割れて、外へと飛び出し、覚醒した。

 吾輩の記憶は、そこから始まる。


 どうやらぶつかった卵に比べて、吾輩の卵は幾分小さかったらしく。

 殻から飛び出た吾輩は、接触した相手の殻の上に転がった。

 無論、相手方も無事では済まず、表面はひび割れて、めちゃくちゃだった。

 卵を満たしていた養分が染み出て、あちらこちらから噴出する有様。

 そのような状態で、吾輩は絶叫していた。なにせ痛かった。


 産まれた直後に始めて痛みを知り、叫ぶことしか出来なかった。

 相手方の殻の上を転げ回り、咆哮を上げて、そして泣いた。

 あとにも先にも、吾輩が泣いたのはあれっきりだ。滅多に取り乱したりすることはない。

 しかし、あれは痛かった。本当に泣くしかなかった。

 

 どれほどの間、そうしていたのかはわからない。

 気がつくと、吾輩の激情で真っ赤に燃えていた空が暗雲で覆われて、涙が空から降ってきた。

 衝突の際に巻き上げられた粉塵や、殻の破片なども一緒に降っていたが、そんなことはどうでも良かった。

 とにかく痛かったので、ひたすら泣いていると、噴出していた養分が冷え固まって、地面が出来た。

 ひび割れに沿って涙が流れて、衝突地点の大きなへこみにどんどん溜まっていく。

 最初は明るかった殻の表面は、今や真っ暗。未だに噴出している相手方の養分のみが、赤々と燃えていた。

 その熱によって、涙が蒸発して、そしてまた地面に向かって降っていく。その繰り返し。

 蒸気が立ち籠め、酷く暑い環境ではあったが、その温もりが吾輩を癒やしてくれた。

 次第に持ち前の冷静さを取り戻して、ようやく涙も収まり、吾輩は自分以外の声を聞いた。


 それは啜り泣く声。

 絶叫してのたうち回っていた吾輩に比べて、随分と控えめに、何者かが泣いていた。

 どうやら、痛かったのは吾輩だけではなかったらしい。

 それは当然だろう。ぶつかった相手側とて、痛いに決まっている。


 そう、そこでようやく、相手がいることに気づいた。

 自分以外の存在を、初めて認識したのである。

 だから吾輩は、声を掛けてみることにした。


「これ、いつまで泣いておる。いい加減に泣き止むがよい」


 自分の声と思しき思念が、殻へと伝わる。

 すると、返事らしき思念が返ってきた。


「だ、誰……?」

「それは困った質問だ。吾輩の方が教えて欲しいぞ」


 質問に対する答えなど、持ち合わせている筈もなく、苦言を呈すると。


「そ、それもそうだね……えっと、君が僕にぶつかってきたの?」

「貴様が吾輩にぶつかってきた可能性もある」

「えぇっ!? そんなことはないと思うけど……たしかに否定は出来ないね。ごめんなさい」


 ふっ。他愛もない。

 初めての会話で相手を言い負かした吾輩は勝ち誇り、気分良く会話は進めた。


「過ぎたことだ。気にするな」

「あ、ありがとうございます」

「よい。それよりも、痛みは収まったのか?」

「ん……まだ、ちょっと痛いけど、へーき」

「ならば結構。殻の傷もだいぶ良くなった」

「本当? 跡、残らないかな……?」

「残るだろうな。くっきりと」

「えぇっ!? うぅ……やだなぁ……」

「よいではないか。出会った記念だ」


 我ながら自分勝手な物言いだったと思う。

 しかし、殻に傷ついたくらい、吾輩の損失に比べれば微々たるものと言えた。なにせ吾輩には殻すらない。

 ぶつかった相手が落ち着いて、殻の修復がほほ終わったこともあり、吾輩は自分の殻を探すことにした。

 だが、どれだけ探しても見つからない。これは困った。由々しき事態である。

 何度も殻の表面を確認して、ふと気づく。相手の殻に吾輩のそれが混じっていることに。


「おい、貴様。吾輩の殻を取り込むとはどういう了見だ?」

「そう言われても、僕にも何がなんだか……」

「とにかく返せ。今すぐに」

「そ、そんな無茶な……あ! ねぇねぇ、あれ見てよ!」

「どこを?」

「頭の上!」


 人の殻を取り込んでしまった相手に文句を言うと、なにやら頭上を見ろと促されたので仰ぎ見ると。


「なんと……あんなところに吾輩の殻が」


 空を覆っていた暗雲が晴れて、そこに吾輩の殻が浮かんでいた。

 真っ白でまんまるなその卵は、紛れもなく吾輩が乗ってきたものだった。

 無論、確証はないが、状況証拠がそれを示している。

 それを裏付けるように、よくよく目を凝らして見ると。


「あー! 僕の殻も混じってるじゃん!!」

「む……そのようだな」


 ちっ。バレたか。

 渋々その事実を認めると、ギャーギャー喚かれた。


「か、返してよ! 勝手に持っていかないで!」

「うるさい! 貴様も吾輩の殻を取り込んだのだから、これでおあいこだ!!」

「むぅ……それなら、仕方ないか」


 なんとか納得させて、事なきを得た。ふぅ……やれやれだぜ。

 その後、自分の卵を見に行ってみたのだが、そこは酷く殺風景だった。


「何にもないな、ここは……」


 相手の卵の周りには空気が存在して、空があったのに、吾輩の卵にはそれがない。

 もしかしたら元々はあったのかもしれないが、衝突の衝撃で吹き飛んでしまったのかも知れない。

 ともかく、こんなところに居ても意味がないと思い、帰ろうとして、気づく。


「おい、貴様」

「えっ? なに?」

「貴様の卵は蒼く、とても美しい」


 自分の卵から見る相手の卵は、とても美しかった。

 これが吾輩にとって初めて他者を客観視した経験であり、ただただ、素直に感動を覚えた。

 殻の表面ではわからない相手の卵の全貌の第一印象は、とにかく蒼かった。

 それは吾輩の涙が溜まった水溜まりと、表面を覆う空気による色彩であり。

 思わず見惚れてしまってから、不意に羞恥心が沸き上がる。なんか、恥ずかしかった。

 それは自分の涙が相手を飾っていることや、思わず口に出してしまった褒め言葉に対する恥ずかしさ。


 もっとも、それは言われた本人も同様だったらしく。


「い、いきなり褒めないでよ! 恥ずかしいなぁ……もう」


 盛大に照れている相手に救われて、吾輩はいつもの調子を取り戻して、からかう。


「なにを照れておるのだ。ちょっと世辞を言っただけだろうに」

「なんだよその言い草! それならこっちにも考えがあるんだからね!」

「ほう? 面白い。その考えとやらを言ってみよ」


 気恥ずかしさを誤魔化す為に、そう煽ってやると、思わぬ反撃を受けた。


「君の卵も真っ白で、とっても綺麗だよ」

「なっ!?」


 びっくりして絶句していると、蒼い卵の持ち主は笑って、締めくくる。


「これでおあいこだね」


 こうして互いに綺麗と言い合って、我々は仲良くなった。

 吾輩の卵は、こやつのすぐ傍から離れない。だから吾輩も、傍に居ることにする。

 何もない自分の白い卵に居ても退屈なので、ほとんどを蒼い卵の殻の上で過ごした。

 こやつの卵は、色々と興味深かった。なにせ景色がコロコロ変わる。

 空が白くなり、青くなり、赤くなり、そして暗くなる。すると、吾輩の白い卵がよく見えた。

 我々はそうして空を眺めて、取り留めのない話ばかりしていた。

 内容は覚えていない。くだらない睦言である。そうしていると、自然に子が出来た。


 子と言っても、最初は苔のようなものだった。

 雨風に晒されて、卵の表面が苔生す。それが、命の始まりだった。

 とはいえ、目に見えるものがそれだっただけで、涙が溜まった水溜まりの変化の方が先である。

 どうやら、吾輩の白い卵がこの水溜まりに影響を及ぼしているらしく、水面が上がったり、下がったり。

 それに伴って、上手い具合に撹拌されて、色々な生き物が生まれた。

 それがやがて地上へと進出して、元は苔だったものが成長した森の中で、暮らすようになる。


「あの子たちは、君の血を色濃く受け継いだみたいだね」

「なぜそう言い切れる?」

「だって、君の姿によく似ているもの」


 要するに、吾輩はトカゲのような姿に見えるらしい。


「それは褒め言葉なのか?」

「もちろん! とっても格好いいよ!」

「なら、いい」


 格好いいと言われて、嬉しくなる。

 周囲からの評価によって、自らの容姿の評価が決まる。

 それを初めて実感した。とはいえ。


「しかし、あの子らには其方の血も含まれている筈だ」

「僕の血なんて、微々たるものだよ」

「そんなことはないと思うが、たとえそうだったとしても、だからこそ愛おしい」

「ぶっふぉっ!? また君ってやつは、いきなりそんなこと言って……」


 思ったまま口にすると、蒼い卵の持ち主は盛大に照れつつ、吾輩の言葉に頷いた。


「でも、そうだね。本当に、可愛い子供たちだ」


 優しげにそう言って貰えて、幸せを感じた。これもまた、初めての感情である。

 ずっと、こうしていたいと思えた。穏やかに、子供達の成長を見守って、いけると、信じていた。

 しかし、そんなささやかな願いは、突然の来訪者によって粉々に打ち砕かれることとなった。


「今日からこの惑星はアタシのもんだから!!」


 ちゅどーん!と、空から新たな卵が降って来て、穏やかな日常は終わりを告げた。

読んで下さり、ありがとうございます。

短い物語ですが、どうぞ最後までご覧下さい。

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