9話 水を司る守護精霊
自分でも無意識に言葉を発していて、しどろもどろになりながら、なんとか言い訳の言葉を絞り出す。
「ああ、いや、特に深い意味はなくて、その。ふと……そう思った、から」
唐突な発言に、無表情でコップと見つめ合っていたコンさんも呆気にとられたらしい。怪訝な表情をこちらへと向けた。
銀色の髪が綺麗だと思ったのは本当だけど、言葉にするつもりなんて全くなかったのに。
この口、この口が悪いんだ!
いままで銀の髪だなんて実際に見たことなんてないし、本当にきれい、だと。そう思って。
言い淀む僕を見て、コンさんの顔に浮かんでいた怪訝な表情は、ため息と共に能面のような感情の分からない表情に変わっていった。
心なしか周りの温度が下がったようにさえ感じる。周囲の気温を下げる魔法かな? す、すっごーい。
「貴方は、思ったことを何でも口にするのですか。常識のない子どものようですね」
「う……」
感情の見えないグレーの瞳が、冷たく僕を見据える。その視線に耐えられずテーブルに目線を落とした。
刺々しい声。口調は敬語だったけど、声に嘲罵が含まれていることは明らかだった。
反論は出来なかった。どうやらコンさんにとって指摘されたくないらしいことを無神経に言ってしまったらしい。
だけど、きれいなものをきれいだと口にするのはいけないことなのか?
顔を上げるに上げられず、テーブルの木目をさも興味深そうに凝視していたら、前方で立ちあがる気配を感じた。
怖いもの見たさでそっと目線を上げると、こちらを見下ろすコンさんとばっちり目が合ってしまった。
驚いた様子の彼はさっと目を逸し、そのまま銀の髪を揺らして食堂を出ていく。
僕はそれをただ見送り、姿が見えなくなってから深く息を吐いた。
怖い怖いとは思っていたけど、今回は特別怖かった。
もう、コンさんの髪色には絶対触れないぞ。謝らなければとも思うけど、また髪の話題を持ち出して、あんな威圧感を出されては堪らない。様子を見て、大丈夫そうだったら謝ろう。
それじゃあ部屋に戻るか、と立ち上がり、そこではたと気付く。部屋までの道のりが分からないということに。
来る時はメイドさんに連れてきて貰ったのだった。このややこしい内装の城内を一人で戻るのはおそらく無理だ。
よく見れば違いがわかるらしいが、まだ違いが全く分からない。
だけど頭を冷やすためにも、とりあえずは一人で部屋まで目指してみようかな。廊下を歩いていれば誰かしらとすれ違うだろうし。
よし! と気合を入れると、食堂を出て、同じような景色の続く廊下の攻略に取り掛かった。
***
「はー、すっげえなあ」
永遠とループしているように感じる廊下を、独り言を漏らしながら、ひたすら歩いていた。
内装は場所によって微妙に違うところもあるのだけれど、それでも迷路のように入り組んでいることに変わりはない。
いい加減頭も冷えたし部屋に戻りたいのだけれど、道を尋ねようにもさっきから誰にも遭遇しない。
ブーツのかかとを鳴らしながらダラダラと歩き続けていると、適当に曲がった先の方に開けた明るい場所が見えた。
行き止まりだとはパッと見て分かっていたが、今までと違う景色に興味を惹かれて、そちらへ行ってみることにした。
食堂のそれよりも華美な装飾が施されたアーチ状の入り口を通り抜け、周囲を見回しながらゆっくりと進む。
四方を囲む壁にはびっしりと蔦が這っていて、室内とは思えないほど緑で囲まれていた。
床には白い砂地が広がっており、天井は植物園の温室のように、ガラス張りのドーム状になっている。
そして正面には、漣一つない穏やかな──泉があった。
そう、城の中だというのに何故か泉があったのだ。天井から差し込む光が水面に反射して、眩しい程キラキラと輝いていた。
そうっと近付いて泉を覗き込んでみると、鏡のような水面に僕の姿が映し出された。何度見ても、カツラと服装が似合っていなくてため息が出る。
泉はとても浅く、容易に水底まで見えた。なにか模様のようなものが砂の隙間から見えるものの、大部分を砂が覆い隠してしまっていてよくは見えない。
なんだろう? なんか気になる。
水際に軽く膝をついて、泉に手を入れる。
冷たすぎることもなく心地よい温度だなと思いながら、水底の砂をかき分けようとしたその時。
『こんなところに外部のニンゲンが来るなんて珍しいネ』
声が、頭の中に直接響いた。
こ、これは、もしかして、所謂テレパシーというやつなのでは!?
僕がテレパシーにちょっと興奮しているあいだに、目の前で異変が起きた。
透明な泉の水がムクムクと盛り上がり、どんどん人のような姿を形成していくではないか。
透明だったそれが、徐々に色付いていくさまを僕は呆然と眺めていた。
数秒もしないうちに、透明な水だったものは、艶やかな蒼色の髪に大きな空色の瞳をもった少年のような〝なにか〟になっていた。
驚きでその少年の顔をガン見していたら、空色の瞳とバッチリと目が合ってしまった。
エルフのように長い耳をフルッと一度上下させ、まだあどけなさの残る顔に驚きの表情を浮かべてこちらを見る。
『モ、もしかしテ、キミはボクが見えるノ?』
空色の瞳をこぼれんばかりに見開く少年。彼の口の動きに合わせてさっきと同じ声が頭の中に響いてきた。
口パクで歌ってるみたいな違和感を覚えるな、これ。
ちゃぽんと音を立てて少年は泉から出ると、座り込む僕のすぐ傍まで近づいてきた。
そして、近づいてくるなりかなりの至近距離でじいっと顔を覗き込まれる。近い! 近すぎるよ!
思わず仰け反った僕の行動に、目の前の少年はさらに驚いたようだった。顔全体で驚きを表現していて、愛らしい。
『ワァ! ホントに見えてル! ナンデ!?』
「な、なんでと言われても困るんだけど。あと顔が近い!」
『声も聞こえてるノ!?』
少年は僕の返答を聞いてさらに興奮し始めた。ふっくらと柔らかそうな頬をほんのりと紅潮させて、長い耳はピンと上向きになる。
バシャっと液体が落ちたような音がして下を見ると、何故か少年の下半身が消え失せていた。
怖い怖い怖い、ナニコレ。どうなってんだよ!
テケテケのような状態になってしまった謎の少年に恐怖を覚えていると、ゴーンゴーンと鐘の音が聞こえてきた。
部屋で聞いたのと同じ音だけど、その時とは違って回数は五回。一回増えているということは、一時間経ったと言う事?
よほど僕が不思議そうにしていたのか、「時の鐘、知らないノ?」と言って、少年は愛らしく首を傾げる。
そんな暴力的な可愛さも、テケテケ状態では怖さに相殺されているけれど。早くその下半身をどうにかして下さい、頼むから。
テケテケと化した下半身を視界に入れないようにして頷けば、少年は不思議そうにしながらも時間と鐘の音の説明をしてくれた。
どうやらこの世界では、面倒なことに時間の数え方が違うみたいだ。
少年の説明曰く、この世界では〝日の出から日の入りまで〟を昼。〝日の入りから日の出まで〟を夜とし、それぞれ六分割になっているらしい。そしてその都度、時を知らせる鐘が鳴る。
さっきのは明るい時間に五回鐘が鳴ったから、昼五の鐘といい、昼の十二時を知らせる鐘だということだ。
僕らの世界での二時間でこちらの世界の一刻分にあたる。なんだか昔の時間の考え方と似ているなと思った。丑三つ時とか、そういうの。
一通り説明を受けて理解したところで、その間もずっと気になっていたことを口にする。
「と、ところで、その下半身は大丈夫なの、か?」
『アッ! 驚いてつい水になっちゃってたヨ。すぐ戻すネー!』
そう言うと、再び下半身のあったところへうねうねと水が集まってきて、すぐに元通りになった。わりとホラーです。
水から出てきた時点で薄々思っていたけど、この子は人間ではないな? いや、まあ、体を水と同化させるスキルか能力を持った人間という可能性もなくはないか。
ニコニコ笑いながら、少年は次々と話しかけてくる。よっぽど誰かと話せるのが嬉しいみたいだ。
『そういえバ、まだ名乗って無かったネ。ボクはこの国の守護精霊ノ、ウンディーネ。水の精霊だヨ!』
「ウンディーネ!?」
人間ではなさそうだとはちょうど考えていたけど、まさか国の名にもなってる精霊そのひとだとは。こりゃあ、いよいよファンタジーっぽくなってきたな。
地球では、ウンディーネといえばスタイルの良い美しい女性の姿をしているとされていたけれど、この世界では少年の姿をしているのか。
イメージと違うからいまいちピンとこない。
僕の持っていたイメージとは違うが、本人がそうだと言うならそうなんだろう。じゃなきゃ子どもがこんな所にひとりでいるのはおかしいし。
そこまで考えた時、目の前のウンディーネがちょっとムッとした表情をとった。
『ボクがウンディーネだって信じてなイ? マァ、そうだよネ。石像とかでモ、ウンディーネは女の人の姿をしているかラ……』
「いや、信じてない訳じゃないよ。ただ、イメージと違ったから驚いて」
『驚くのも無理はないヨー。ボクはイレギュラーなウンディーネだから、ネ』
イレギュラーなウンディーネ。そう言って彼は自嘲気味に笑い、目を伏せた。
この子がイレギュラーってことは、少なくとも他のウンディーネはこの姿ではないということ。
自分だけが今までのウンディーネたちと違うというのは、やっぱり複雑なものがあるんだろうか。
なんて声をかけたら良いのか分からないでいるうちに、彼はぱっと顔を上げた。
その顔にはさっきの表情なんて微塵も感じさせないような、愛らしく無邪気な笑みを浮かべていて、驚いた。
『それはそうト、キミってもしかして異世界から召喚された勇者? この国のニンゲンではないよネ』
「勇者でもないよ。でも、異世界からきたのはあってる」
『フゥン? そうなんダ。ボクが見えるかラ、てっきり勇者かと思ったヨー』
違ったんだネーと言って、また笑う。
さっきまでの雰囲気が完全に消え去っていて、なんだか拍子抜けした。
今までの反応から考えても、精霊を見られる人はごく限られているんだと思う。そして、勇者はほぼ確実に精霊を見ることが出来る。
それなら、僕なんかが精霊を見ることが出来るのは、勇者と一緒に召喚されてしまったから、なのかな。
オマケで能力を付属してもらえてないと、一般人の僕は精霊を見ることなんて出来ないはずだし。
これはもしかして精霊の力を借りて、勇者をサポートしろっていう神託なのでは!?
「んなわけないか」
「おい! そこで何をしている!」
小さく否定の言葉を呟いた、突如、後方から鋭く声をかけられた。
いきなりのことにビックリしつつも、嫌な予感を覚えて後ろを振り返る。
そこにいたのは、こちらを半ば睨みつけるように見てくる藍色の髪の少年と、明るい茶髪をツインテールにしたよく見慣れた少女、だった。
な、んで、ここに桜がいるんだよ。
嫌な予感は見事に的中してしまった。
そういえば桜は、王子様に城内を案内してもらうと言っていたではないか。何故鉢合わせることを考えていなかったんだろう。
今、僕は、メイド服を着ているんだぞ!?
こんな格好で知り合いに会うなんて、気まずいし何より恥ずかしい。
秒で二人に背を向けた。これ以上顔を見られると、桜に僕だと気付かれてしまう気がしたからだ。
いつの間にかウンディーネはいなくなっていて、目の前には漣一つない泉が残されているだけだった。彼に協力してもらおうと考えていた訳では無いが、途端に心細くなる。
文字通り背水の陣なんだけど! どうしよう、どうしたらいい!?
「そこのメイド、この〝覚醒の泉〟は使用人の立入禁止区域だ。速やかに立ち去れ」
「ねえ、レイくん。きっとこのメイドさんは迷い込んでしまったんだと思うの。お城の中は複雑だもの、あまり怒らないであげて?」
「サクラ、しかし……」
勝手に盛り上がる二人をよそに、僕はダラダラと冷や汗を流していた。ど、どうしよう、どうやって切り抜けよう。
ええい、もうなるようにしかならんだろ!
こうなったらメイドになりきって、桜と王子様の横を素通りして逃げるしかない!
そうと決めたら、善は急げだ。すばやく立ち上がり、大げさなまでに頭を下げる。
「もっ、申し訳ありません、立入禁止区域とは知らず、ぼ、私……すぐに立ち去りますのでっ」
いつもより高めの声をだすよう意識して、前傾姿勢のまま小走りで王子様の脇を通り抜ける。そのまま、振り返ることなくアーチをくぐり、廊下へと出た。幸いにも追ってくるようなことはなかった。
すれ違いざまに桜が「あれ?」とかとぼけた声を出していたのは気がかりだが、僕だと気付いたわけではないと思いたい。
勢いのまま最初の角を曲がって、廊下を走り抜ける。
一刻も早く自分の服に着替えたい思いのままに突き進んでいると、二つ目の角を曲がったところで誰かとぶつかってしまった。
転ぶまいと足に力を入れるも、解けたブーツの紐を踏んずけて余計体勢を崩してしまう。
これはさすがに転ぶ、と覚悟した僕の手を誰かが掴み、強い力で転ばぬように支えてくれた。
一連の動作でふわりと舞う銀の髪が目を惹いたものだから、ぶつかったのはコンさんかと思った、が。
「っ……ソウヤ」
「わぶっ!」
支える流れのまま掴まれていた手をさらに引かれ、あっという間に抱き寄せられた。抵抗しても強い力で抑え込まれて、なかなか振り解けない。
な、に、ご、と!?
この人、絶対コンさんじゃない! なんかヤバい! と思ったそばから、頭の中に靄がかかって意識がどんどん薄れていく。
魔法か薬かなんかでも使われたんだろうか。なんにせよ、僕には抗う術なんてないわけで。
何者とも分からない奴の腕の中で、そのまま僕は意識を失った。