8話 変装して昼ご飯
大きな鐘の音ではっと我に返った。
しばしぼんやりしてしまっていたようで、直前の記憶が曖昧だ。
記憶飛んでるとか、もしかして寝てた?
鐘の音は四回くらいゴーンゴーンと鳴り響いた後、余韻を残して聞こえなくなった。
今のって何の鐘だろ。もしかして、シンデレラの話みたいに十二時を知らせる鐘なのかもしれないと思い、スマホの時刻を確認する。
ディスプレイには十九時二分という文字が表示された。なるほど分からん。
うーん、スマホの時計は向こうの世界の時間のままっぽいけど、結局こっちの世界では何時なのか分からないな。
鐘が鳴ってから少し経ち、筆記用具をカバンに詰め込んでいた時、扉がノックされた。
返事をすると、扉の外から女の人の声が聞こえてきた。
「部屋の外から失礼致します。昼食のご用意が出来ましたのでお迎えに参りました。それと、コンストラル様よりお届け物を預かっております」
「ありがとうございます。中に入ってもらっても大丈夫ですよー」
すでにパーカーのフードは装備済みだ。
対面してしまえば、多少は髪が見えてしまうかもしれないけど、影になっていて黒っぽく見えるのだとでも言い訳すればきっと誤魔化せるはず。
心の中でそんな覚悟をしたものの、女の人は部屋に入るつもりはないらしい。やんわりと遠慮されてしまった。
コンさんからの届け物を持ってきているみたいだし、彼がなにか上手いこと言っておいてくれたのかもしれない。
あまり部屋の前で待たせるのも悪いと思い、パーカーのフードを気にしながら小さく扉を開けた。
メイドさんは僕の黒髪には気付くことなく、「出歩く際はこちらを着用するようにと」と言い、大きめの包みを渡してきた。
ふむ。飯を食いたけりゃ、黒髪を隠して変装しろということですね、分かります。
コンさんは、やっぱり僕が外を歩き回れる策を考えていてくれたようだ。
僕のことを魔族かもと思っている割には、結構親切にしてくれるな。対応は冷たくて怖かったけど、結構いい人なのかもしれない。
空腹を主張してくるお腹に手を当てながら、メイドさんにへらりと笑いかけて扉を閉める。
スマホの時刻を信用するなら、今は元の世界で十九時すぎ。いつもなら夕食の時間だ。
そりゃあ腹も減るわけだ。さっき菓子を食べたけれど、それくらいで成長期の学生の腹は膨れない。
受け取った包みを手早く解いて、早速確認してみるとそれは──メイド服、だった。
は?
なにゆえメイド服?
メイド服をチョイスしたコンさんの意図がさっぱり分からない。
突然のメイド服に驚きを隠せないでいると、包みからバサリとなにかが落ちた。
亜麻色のそれを拾い上げてバサバサと汚れを払う。よく見ると、それは長髪のカツラだった。さわり心地がとても良く、まるで本物の髪の毛みたい。
カツラがこの世界にもあることに感心しつつ、壁に掛かっている鏡を見ながら被ってみることにした。まずは黒髪を隠さなければ何も始まらない。
メイド服は、ひとまず放置で。
慣れない手つきで四苦八苦しながら、なんとかズレないように装着する。
「うーん、違和感しか無い、な……」
鏡を見て、ついそんな言葉が口から出る。
見慣れない色の前髪の隙間から覗く、真っ黒い目。カラコンなどを入れているわけじゃないのに作り物みたいだなあと、鏡に映る自分を見て、他人事のように思った。
いつもはなんとも思わないその目の色が、髪の色が違うことによってやけに目立つ、気がする。
カツラに異常がないか確認していると、鏡越しに、放り出したメイド服が見えてしまった。
……メイド服、着なきゃダメかい。
確かに制服のままだと目立つかもだけど、なぜわざわざメイド服をチョイスしてしまったのか。
空腹を訴えるお腹と羞恥心を天秤に掛けること数秒。
ああ~、もうこうなったらなるようになれ、だ!
ぐずぐずしていても飯を食いっぱぐれるだけだと、仕方なく、仕方なくメイド服を着てやることに決めた。
次にコンさんに会った時は、絶対に文句を言ってやる!
胸を強調するようなデザインのため、胸部の布がかなりダルダルしてしまったが、エプロンの下にはさみ込んでなんとか見られるようにした。サイズを考えろサイズを。
白い頭飾りをつけ、紐で髪を邪魔にならないよう結う。最後に編み上げのブーツに履き替えて完了だ。
服装が違うから、さっきよりはマシになった気がする。
覚悟を決めて部屋を出ると、メイドさんが僕の姿をみて一瞬驚いたような顔をした後、さっと顔を逸して「食堂へご案内いたします」と慌てたように言った。
お、おい、なんだよその反応。
似合わないことなんて自分がいちばん分かってんだよ! 一言くらい、お似合いですねとお世辞を言ってくれてもいいんじゃなかろうか!
これでも勇者の幼馴染ぞ!? 丁重に接してよ!
なんだか気まずい空気が流れる中、メイドさんはさっさと歩き始めてしまった。ぐぬぬ。
城内の廊下を淡々と進んで行く。
さっき部屋に案内された時は誰ともすれ違うことはなかったのだけど、今回は白ローブや使用人たちと幾度かすれ違った。しかし、さほど不審に思われることはなく、あっさりと食堂へたどり着くことが出来た。
扉のないアーチ型の出入り口の前まで連れてきてくれたメイドさんは、自分の役目は終わったとばかりに定型文を述べて、さっさと去っていく。
僕のメイド服姿がよほど耐え難かったに違いない。くそ、こんな格好を強要したコンさんの罪は重くなるばかりなんだからな!
一つため息を吐いて、食堂の中に入った。
中は、いくつかの長方形の木のテーブルと木の椅子、それと壁沿いに細長い木のテーブルが置かれているだけの、王城とは思えない質素な空間だった。
壁なんかは石壁になっており、無骨な感じさえする。
使用人の利用する食堂って感じか。それなら僕がメイド服を着せられたのも理解出来る。納得は出来ないがな。
食堂の中をぐるりと一周してみるが、厨房らしきものは見当たらず、当然ご飯もどこにも無い。そして人も見当たらない。
なんだろう、新手の嫌がらせかな?
「ここで何をしているんです」
とても冷たい声が背後からかけられた。
この声は、と思い振り向くと、そこには思った通りコンさんがいた。美味しそうな食事をふよふよと宙に浮かばせて、出入口のアーチのところに立っている。
鋭い視線でこちらを睨みつける顔は、ぶっちゃけ怖い。
そんな思いを顔に出さないように、へらりと笑って見せる。コンさんの眉間の皺が更に深くなったようだった。
「ちゅ、昼食だって連れてこられたんだけど、どこにも無くて困ってたんだよ」
慌ててそう答える。これ以上彼の顔を般若のようにさせるわけにはいかない。
「昼食? メイドの昼食の時間にはまだ早いはずですが……」
カツカツと靴音を響かせてコチラに近付いてくる。僕のそばまで来ると、不躾に頭のてっぺんからブーツの先までを眺めて、何故か首を傾げた。
まるで何かを思い出そうとするように宙に漂わせた視線を追うと、かすかに目を見開いた後、視線はもう一度僕を捉える。
何がしたいのか分からない。
訝しげにコンさんを眺めていると、突然形容しがたい変な音を出し、勢いよく顔を逸らされた。
な、なんだよ!
ふよふよと浮かぶ料理がコンさんの動きに倣ってふわりと動き、美味しそうな匂いが鼻を刺激する。
ぐうぐうとお腹の虫が空腹を訴えるが、ひとまず無視だ。……ムシだけに。
空腹の音を無視して、耳を澄ませてみるとクックッと喉の奥を鳴らすように笑っている声が聞こえてきた。
こ、この男! 僕にメイド服を着るように強要した挙句、笑いやがった! 信じられない!
「コンさん、いったい、何のつもりだよ」
思いのほか低い声が出てきて自分でも驚いた。
声と〝コンさん〟というワードを聞いて、彼はついに体ごとそっぽを向いて肩を震わせ出した。笑ってる! 絶対笑ってるよこれ!
必死で笑いを押し殺そうとしているようだけど、全く殺しきれていない。
「貴方……でしたか」
「笑ってんじゃねえよ、ド畜生! こんな服を着せやがって! 絶対に許さない! 呪ってやる。禿げろコンさん、残念な感じに禿げ散らかせ」
こちらから表情は見えないけど、声がどう考えても笑いを噛み殺している。馬鹿にされてるのに気付かないほど鈍感ではないぞ!
高校の制服で出歩いたら悪目立ちしてしまうだろうし、変装しなければいけないのかと思って恥を忍んで着替えたってのに、なんだよこの仕打ち。あんまりだよ。
どうせなら男の使用人の服を用意してほしかった。なんなら白ローブでもいい。
この服をチョイスしたのはお前だろうが、笑ってんじゃねえよコノヤロウ。
「そこまで身長が高くないですし、入れ替わりの激しいメイドの方が紛れるかと思ったのですが……フッ」
「オイ、最後なんで鼻で笑ったよ? 自分より身長が低いからって馬鹿にしてんのか? お?」
日本人はな、世界的に見たら小柄な方なんだよ。決して僕だけが小さい訳ではない。これでも同級生の中では背の高い方だったんだぞ!
忍び笑いを続けるコンさんに軽く苛立ってきて、キレーな銀髪を禿げ散らかすまで毟ってやりたい衝動に駆られ始める。
三年後と言わず今すぐ禿げろ、この総若白髪!
再び禿げの呪詛を唱えていると、アーチのところにメイドさんが驚いた様子で立っているのに気づいた。
僕とコンさんの顔を見比べて「あのコンストラル様が……? メイドと二人っきりで……!?」などとブツブツ呟いているのがかろうじて聞き取れる。
ん、ん、ん。これはマズイやつでは?
コンさんもそのメイドさんに気付いたようで、ピタッと笑うのをやめた。
そのメイドの方を向くと、冷たいオーラを垂れ流す。
こちら側からはどんな表情をしているのかは見えないが、おそらく般若のような顔で睨みつけているに違いない。
メイドさんはたちまち涙目になり、謝罪の言葉を述べながらパタパタと走り去っていってしまった。
可哀想に……。なーむー。
「気を取り直して、食事にしましょう」
「へ、へい、オヤビン!」
「なんですか、それ」
ノリで返事をしたら、全力で呆れたような表情で見下ろされた。ふざけました、サーセン。
コンさんは第一印象が冷たい感じだったから、あまり表情の無い人なのかと思ってたけど、そうでもないみたいだ。
なんて思ったそばから無表情になった彼は、気を取り直すようにさっさと近くの席に座った。浮かんでいた料理たちも静かにテーブルの上に着地する。
さっき僕の格好を笑ったのを無かったことにしたコンさんに腹を立てながらも、空気を読んで向かいの席に腰かけてやる。
いい加減お腹がすいたんだよ。早くその美味しそうな食事を僕に渡すのです。
「……どうぞ」
よだれを垂らさんばかりに料理を見ていた僕を見かねて、ため息混じりに食事を勧めてくれた。
わーい。まずはどれを食べようかなあ。
改めて机の上の料理を見ると、一人分にしてはやけに多い事に気が付いた。もしかしてコンさんも一緒に食べる気なんだろうか? まあ、僕は構わないけど。
豆の入ったスープが湯気を立てている。さっきから美味しそうな匂いを漂わせているのはこれだったらしい。
様子を見てくるコンさんなんて気にせずに「いただきます」と手を合わせてから食事を始めた。
どうせ「こいつメイド服似合わねー」的なこと考えてるんだろ。今すぐ禿げろ。
まずはスープをひと口。何か白身の魚と豆を一緒に煮込んであるらしく、魚介の旨味がホクホクした食感の豆に染み込んでいて、とても美味しい。魚の身も具材として入ってて、具だくさんな食べるスープって感じ。
主食と思わしき白いパンはもちもちしていて、ほのかに甘い。バターやジャムも用意されているけど、何もつけなくても充分美味しい。
他には、きれいに焼き色のついたミートパイ、ピリ辛なタレをかけて焼いた謎の魚、見たこと無い色とりどりな野菜のサラダなどが並んでおり、全て少しずつ食べた。
当然、全部美味しかったです。
いつの間にかコンさんも食事を始めていて、無表情で淡々と料理を口に運んでいた。ここにある料理はあんまり好きじゃないのかな?
その割にはたくさん食べているけど。って、オイ、ミートパイの最後の一切れはやらんぞ!
慌ててフォークでミートパイを確保すると、じとりと恨みがましげな目を向けられた。
「食い意地が張っているのですね」
「それはそっちだろうが! ていうか、僕を魔族だと思っている割によく一緒に飯食えますね」
「まだ、その可能性があるというだけで、貴方が魔族だと確定したわけではありません。それに、食事は食べられる時に食べておくべきですから」
案外ハングリー精神が強いらしい。もしかしたら、ご飯にありつけないような生活をしたことがあるのかもしれないな。
さっきは「魔族かもしれない貴方と親しくしてなんの得が?」とか言ってたくせに、何なんだ。
コンさんの考えていることが全くわからないぞ。
食べ終わると、コンさんは器を下げて代わりに水を持ってきてくれた。
お礼を述べて、コップを受け取る。中の水を一気に飲み干した。今まで水なんてどれも同じ味だと思っていたけれど、この水がダントツで美味しい気がした。
やっぱり国の名にウンディーネという水の精霊の名が入ってるだけあって、水が綺麗な国なのかもしれんな。
僕がコップを置くのとほとんど同じタイミングで「……随分と、美味しそうに食べていましたね」と、コンさんが独り言のように呟いた。
「美味しいものを食べてんだから、自然とそういう顔になるもんだろ?」
素直な気持ちを口にするが、まるで聞こえていないかのような無反応を返された。
感情の分かりにくいグレーの瞳は、自身の手元にあるコップの水をただ眺めている。無視ですか、そうですか。
またもやだんまりを決め込まれて気まずくなってしまった。ご飯食べてるときはそれなりに打ち解けられたと思っていたんだけど、それは僕だけだったらしい。辛い。
桜ならきっとすぐに仲良くなれるに違いない。今はそんな桜が羨ましく思う。
コンさんの整った顔面をぼんやり眺めていたら、部屋の高い位置にある小窓から光が差し込んできて、スポットライトのように彼を照らす。
銀色の髪の毛一本一本に光が反射してきらきらと輝く。地毛の銀髪ってこんなにきれいなものなのか。
「銀色の髪って、綺麗だなぁ」
「………………は?」
髪を眺めていたら、思わず考えていたことが口に出てしまっていたようです。