2話 幼馴染みは勇者でした1
「おお、おお、勇者様がお目覚めになられたぞ!!」
「ああ、勇者様!」
「なんと美しいお姿か……」
「どうか我々の世界を救われたもう!」
頬に感じる冷たさと若干の鉄臭さで目を覚ますと、いつの間にか白い集団に取り囲まれていた。
裾や袖に上品な金色のラインが入った白いローブのようなものを着て、フードを目深に被ったいかにも怪しい連中だった。
普通ならば誘拐を真っ先に疑うところだけれど、僕はそうではないことを知っている。いや、まあ、誘拐と形容してもあながち間違いではないか。
寝転がったまま薄目を開けて周囲の様子を伺っていると、スカートが際どい事になっている桜が不思議そうに周りを見回しながら起き上がったのが見えた。途中でさらりと自然な動きでスカートの乱れを直すあたりは流石だ。
ダテに十五年間美少女やってない。
白ローブの集団は起き上がった桜に一層目を奪われたようで、僕もいることに気付いていないんじゃないかとすら思う。
一心に桜を見つめて、うわ言の様に「勇者様」と呟き、じりじりと詰め寄って来たかと思えば、僕は邪魔だとばかりにぺいっと無造作に輪の中から弾き出されてしまった。
オイ、何すんだコノヤロウ。
しかし白ローブ集団の外に出られたおかげで、この部屋がどんな場所なのかをちゃんと見ることが出来たのは僥倖だった。
桜の方の様も気になるけれど、勇者と思われているようだし、おかしな事はされないだろう。
誰ひとりとして僕に注目する奴はいないところを見るに、本当にどうでもいいと思われてるんだなあ。まあ、こういう時は目立つ桜がいてくれるおかげで比較的自由に動けるから都合がいい。
周囲を見渡すと、ここが広い円柱状の部屋だということが分かった。
どこにも窓はなく、出入りできそうな場所は扉が一つあるだけ。
床も壁もやや青みがかった白い石造りになっていて、石に触れている尻や足へと制服のズボン越しにひやりとした冷たさが伝わってくる。
外に続くと思われる扉の隙間から流れ込んでくる冷気のせいもあって、夏服の僕には結構肌寒く感じられた。
石に光が乱反射しているからなのか、まるで空間全体が発光している様に思えて、不自然に白すぎるこの部屋は居心地が非常に悪い。
できれば早急にこの部屋を出たい気分だ。
そして、床には不可思議な文字や幾何学模様のような文様が円形になるように朱殷の色で描かれていた。朱殷色というのは、時間が経った血のような色の事。今日学校で読んだミステリー小説に書いてあったからよく覚えている。
そこまで考えて、先程から微かに漂う鉄臭さの正体に合点がいった。合点がいってしまった。
広い床いっぱいに広がるコレは、誰かの〝血〟で描かれているんだ。
――この、召喚魔法陣は。
ゾッとした。一体コレを描くのにどれくらいの血が使われたのだろうと想像してしまったから。
これが人間の血ではない可能性だってあるし、人間の血であっても献血のように本人の同意の元で数人から集められた血なのかもしれない。
でも、どうしようもなく薄気味悪い。こんな大きな召喚魔法陣で血を使うなんてロクなもんじゃない、と思う。
白ローブ集団に怪しまれないよう、そっとそれを踏まずに済みそうな位置に移動する。乾ききっているとはいえ、血跡の上に座り込むのは気分がいいものではないし。
そんなことをしていると、ふと視線を感じて何気なくそちらを見た。
扉の脇に立つ綺麗な銀の髪の青年が驚いたように僕の方をジッと見ていた。
や、やばい、怪しまれたか。
焦った僕はギギギギ、と壊れたロボットのように首を回してその青年を見なかったことにした。
自分に都合の悪い事は、早急にないないしような~。
さて、僕が不自然に視線をそらした先では、裾や袖に金ラインが入った白いローブを着てフードを被った集団が、今や一人の可憐な少女を取り囲むように跪き、まるで神にするように両手を合わせて祈りを捧げていた。
な、なにこの新興宗教、こわいです。
「え、あ、あの……?」
誰にでも好かれまくるリア充で鈍感なテンプレ主人公体質の桜が白ローブ集団に囲まれて、愛らしい困り顔を披露しておられる。
桜は美少女であるから、何かしらの集団に囲まれる事には慣れているはずだけど、流石に集団で祈られた経験は無いらしい。当然だ。日本で生活していてそんな経験があったらそれこそ驚くぞ。
たぶん桜と僕では、こう、湧き出るオーラみたいなものが違うんだろう。現に僕はこうして誰にも気に留められること無く隅っこの方でポツンと座り込んでいられるわけで。
いや、さっきの銀髪の人は違う、違うよ。あれは別に気に留められたわけじゃないから。気のせいだから、うん。
いまだにこちらへ向けられ続けている視線を気にしないために、僕はどうしてこんなことになってしまったのかを思い出すことにした。
べ、別に現実逃避なんかではないよ!
******
キーンコーンカーンコーンと定番のチャイムが鳴る。
放課後だ! 今日は掃除当番もないし、さっさと帰るのが吉とみた。
昼休みに何故か制服がびしょ濡れになってしまったから、保健室で予備の制服を貸してもらって着替えたのにまた汚されるのは嫌だしな。
部活に向かうらしい青春真っ盛りの生徒達が視界の隅に入るが、僕はそれを横目に校門を出た。
部活もバイトもしてない僕は、真っ直ぐ帰宅系の学生なのである。さっさと家に帰ってアニメを見るんだ。
これが僕の青春なのさと音楽プレイヤーにイヤホンを差し込みながら考えていたら、後ろの方から聞き慣れた声が追いかけてきた。
「奏夜ー! 待ってよー!」
「……」
「奏夜ってば! もうっ!」
名を呼ぶ声を無視して、そのままグラウンドの横を通り過ぎていこうとしたら、目の前をものすごいスピードの何かが横切った。
驚いて思わず足を止める。
その何かは近隣の民家の塀にぶつかってバウンドし、コロコロと僕の足元へ転がってきた。
何かの正体は、野球のボールだった。硬式の。
って、いやいやいや、グラウンドを囲むフェンスがあるのにこんな勢いでボールが飛んでくるとかおかしいだろ。野球部の練習の度に近所迷惑すぎるでしょうよ!
心拍数が上がったままグラウンドの方を見れば、今日に限ってフェンスの取り替え作業をしていた。なんてタイミングの悪い。
軟式ならまだしも硬式のボールなんかが頭に当たったら怪我じゃすまないだろ。日常生活ってこんなサバイバルだったっけ?
「は~、やっと追いついたっ。わたしの声が聞こえてたなら止まってよ!」
「デケェ声で僕を呼ぶんじゃねーって何度言わせんだよ。お前のせいで硬式ボールが飛んできただろうが」
「ええっ、わたしのせいなの!? それは、ごめんね?」
思わぬハプニングのせいでトラブルメーカーな桜に追い付かれてしまった。
すでに平穏は脅かされているけど、僕の平穏な下校時間が更に脅かされる予感……。
この前に桜と一緒に帰った時は、顔が怖ぇ人たちに絡まれたし。あれは死んだと思ったな、主に僕が。
僕に対して害を撒き散らしていることになんて気付いていない鈍感な桜は、能天気にも隣を歩き始めようとしていた。
「奏夜、一緒に帰ろ!」
「いつもの取り巻きはどこに行った訳?」
「取り巻き?」
不思議そうに小首をかしげて僕の方を上目づかいで見る桜。
僕の方が身長が高いから必然的に上目づかいになってしまうのは分かるけど、今日はなんだか特別不愉快だ。意識することなく自然にこういうことをするから嫌なんだと思う。女の子らしさを見せつけられている気がして。
しばらく思考を探りながらじっと僕を見つめていた桜だったが、突然「あぁ!」と声を上げながら手を打った。
「太郎くん達のこと?」
お前の取り巻き共の名前なんて知らねえええ。自慢か? 自慢なのかよ!?
毎日のように男も女も周りにわさっと侍らせてるくせに「わたしなんて全然モテないよー」とか言ってるからな、ホント意味わからん。
本当にモテない奴に殴られろ。なんなら僕が代表して殴ってやる! チクショウ!
男子たちにチヤホヤされているのに大体の女子たちとも上手く付き合えてるんだから不思議だ。こういう場合ってフツー同性には嫌われるもんだろ。
神様は不公平だよな、まったく。
「その太郎クンたちと一緒に帰ればいいだろ」
「みんな部活とか補習とかで忙しいみたい。それにわたしが奏夜と一緒に帰りたいと思ったんだけど……だめかな?」
「あっそ。まあ、それでも一緒に帰るのはやだけど」
「……奏夜、初回限定プレミアムBOX~ドキド」
「あーあーあー! はぁ、分かった分かった、一緒に帰るから。でも、帰るだけだからな」
あっさり白旗を挙げた僕を見て、桜は満足気だ。
誰だよ、こいつが女神のように慈悲深く優しいとか言った奴は。自分の希望を叶えるためにブツを引き合いに出す奴のどこが慈悲深いんだか。
今月末に発売する『しすこんっ!』シリーズ最新作の初回限定プレミアムBOXが高くて買えないと嘆く僕に「それならわたしがプレゼントするよー、少し早い誕生日プレゼントってことで!」などと甘い言葉を吐いた裏にこんな目的があったなんて……桜、恐ろしい子っ。
きっと、僕が金欠でそれを引き合いに出されたら断れなくなるところまで計算していたんだ。見事に乗せられてしまったことは悔しいが、『しすこんっ!』のためだ、もうどうにでもなれ。
嬉しそうに、無防備にも人前でぎゅうっと腕に抱きついてくる桜をさらりと躱す。そこでさりげなく豊満なお胸を押し付けてくるような、はしたない真似はおやめなさい!
安易にこういう事されると、桜の親衛隊の方々に僕が恨まれることにいい加減気づいて欲しい。
何もしてなくても周りに人が集まってくるような、神様に愛されすぎた少女はどうしてこんなに僕に懐いているのかねえ。
桜と世間話をしながら、徒歩で家路につく。
ただでさえ長い帰宅時間は、桜と一緒だと十中八九なんらかのイベントに遭遇するから余計な時間がかかって疲れる。
隣で楽しそうに話しかけてくる桜を横目に、こっそりため息をついた。
「そういえば、駅前に美味しいって噂の有名なケーキ屋さんが出来たらしいんだよ~」
「へぇ、今度行ってみるわ。おまえのいない時に」
「そんなこと言わずに今から一緒に」
「嫌」
今日は早く家に帰って、ひたすら趣味に費やすんだ。
隣を歩く桜がぶーぶーと文句を垂れる。うるさいという意思表示のために自分の耳を両手で塞いだ。
誘えば喜んで一緒に行ってくれる人なんてわっさわっさいるでしょうに、なんでわざわざ付き合いの悪い僕を誘うんだか。
そんな時。
前方に、普通ならあるはずのないものが見えた。見えてしまった。
もう嫌だ。桜と帰るとどうしてこう毎度何かが起こるんだよ。主人公体質もここまで来ると呪いと大差ないな。
僕を説き伏せるのに必死らしい桜はまだ気づいていないようだけど、前方のコンクリートの上に淡い水色に輝く円形のものがある。
決して子どもの落書きなんかではないし、ましてやちょっと変わったマンホールでもない。
異様な雰囲気を醸し出すソレは、アニメや漫画で見るような〝魔法陣〟そのもの。
この道は道幅が狭い。このまま気付かずに歩いていたら、確実にあの上を歩くことになってしまっていただろう。
それを認識した瞬間に察した。桜が異世界に召喚されるんだと。