1話 始まりは夢の中
開いてくださりありがとうございます!楽しんでいただければ幸いです。
とある世界のある大陸に、ウンディーネという水精霊の加護を受けた王国が存在する。その国の首都アクアは水の都とも呼ばれ、北側には大きな湖を擁していた。
そして、湖の中央に浮かぶ島には流水を連想させる繊細で優美な白亜の城がそびえ立っている。
これはその城内での、ある朝の出来事だった。
早朝だというのに、城内をどたどたと走る男が一人。静まり返った廊下に男の不規則な足音が響く。
古びた書物と何種類もの不可思議な紋様が走り書きされた紙の束を重そうに抱えて、どこかへと急いで向かっていた。
すでに息も荒く、ふらふらとおぼつかない足取りだったが、それでも男は足を止めることなく走り続ける。
しばらくして目的の部屋の前にたどり着いた男は、ノックをすることも忘れてなだれ込むように部屋に入っていった。
「へ、陛下っ!」
「……足音で気付いてはいたが、ノックくらいはしろ」
「も……っはぁ、もっ申し訳ございませんっ」
男が訪ねた部屋はウンディーネ王国現国王、グラムス=レクスロワ=ウンディーネの執務室だった。
城内のどの部屋よりも機能性を重視した内装のこの部屋は、貴族たちにはとても見せられたものではない。
華美な調度品など一つもなく、壁には本棚がぎっしりと並び、さながら書庫といった様相だ。
他の家具といえば部屋の主が座っている座り心地の良い椅子とたくさんの書類が置かれたどっしりとした机、来客用の椅子、と必要最低限の物だけだった。
そんな部屋の主であり、この国の現国王はというと、ゆるくうねった艶やかな蒼い髪に色気が漂う鮮やかな空色の瞳、そして長く尖った人族ならざる耳を持っていた。この世界ではエルフと呼ばれる種族のものと類似しているそれは人族の国の城では明らかに異質だった。
そのうえ、一国の王にしては随分若く見える外見でもあったのだが、今はそこに言及する者は誰もいない。
王は手元の書類から目線を上げて、息を整えようと膝に手をついて深呼吸をしている男を見た。
男はウンディーネ王国に仕える宮廷魔法師である。
普段ならばこのような無作法を働くことはない宮廷魔法師のただならぬ様子に、王は内心驚いていた。
しかしそれを表情には出さず、すらりと長い指を顎の下で組んで宮廷魔法師を見据える。
「今回はよい。何か急ぐ訳があるのだろう? 何があったんだ」
「は、はい。先ほど文献を調査していたところ、詳しい時期は不明なのですがもうじき、ま、魔王が活発に行動を起こし始める恐れがあると判明致しまして……」
「ほう、そうか。……なるほどな。では、以前より進めていた例の計画を始めるとしようか」
王は〝魔王〟という単語を聞き、少し片眉をつり上げて驚いた様子を見せたものの、すぐに満足そうに微笑み、そう命じた。
空色の瞳に、これから起こる出来事を待ち遠しく思うような色を滲ませて。
そんな二人の様子を、ゆらゆらと空中に浮かびながら眺めているものが一人。目立つ所にいるものの、その場にいる二人は全く気が付いていない。
ゆるくうねった艶やかな蒼色の髪に挑戦的に光る空色の大きな瞳、そして人間のそれよりも尖った長い耳を持つ、まだ幼げな少年だった。
王とよく似た外見の少年は、はあ、と物憂げにため息を吐き出した。
瞳をつまらなそうに伏せると、長い睫毛がふるふると揺れる。
「人間ってどこまで愚かなノー。例え姿を真似ようト、モウ、近付けるワケないのニ……」
呆れたようで、どこか寂しそうに呟きを漏らす。彼の呟いた言葉は自分以外の誰かの耳に届くこともなく、虚しく空気に溶けて消えた。
自分の言葉が誰にも届かないことを知っている少年は、諦めたようにもう一度ため息を零す。
「マ、このことは一応全能神サマに伝えておこうかナ。もしもの事があるかもしれないシ」
少年は艶やかな蒼色の髪を揺らし、王の目の前へと一瞬で移動した。
普通であればしっかりと視界に捉えられる場所にいるにも関わらず、王はちっとも気付いていない様子で宮廷魔法師と今後の予定などの細かい部分を詰めていく。
自身の空の色に王の姿をしばらく映した少年は、微かに顔を歪める。そして泡のように霧散して、その場から、消えた。
王は微かに何かが見えたような気がして目を凝らしたものの、すでに少年がいた痕跡は跡形も残ってはいなかった。
「陛下? どうかなさいました?」
「いいや、なんでもない。それより、アレはどのくらい……かかり…………?」
「勇………………な……ま…………」
破壊神になって勇者を倒していく某ゲームかよ!?
個人の意思の介入によって、鮮やかに広がっていた景色は急速に色を失い遠ざかり、ノイズの酷いラジオみたいな途切れ途切れの音声さえもどんどん聞こえなくなっていった──。
******
けたたましい目覚ましの音で、ぐんと意識が浮上する。
さっきまで見ていたのは夢だったのかとぼんやり考えているうちに、どんどん夢の内容が朧気になって、しまいには断片的にしか思い出せなくなっていった。
それでも断片的な記憶を手繰り寄せ、妙にリアルでおかしな夢を見たものだと布団にくるまったまま首を捻る。
「なんだ、今の」
「そーうーやーさーん! 椛奏夜さーん! あっさですよー!」
「……うるせえぞ、桜。寝てる間に勝手に部屋に入ってくんじゃねーって何度言わせんだよ」
「奏さんから許可もらってるからいいの!」
ロフトベッドの柵越しにヒョコッと顔を覗かせたのは幼馴染でいとこの葉月桜だ。
長い睫毛に縁取られた茶色がかった大きな瞳には、朝の眠気などまるで感じられない。生まれつきの明るい茶髪も高い位置でしっかりと二つに括られ、朝から完璧な美少女っぷりである。
〝美少女〟だなんて、なんともチープでありふれた形容ではあるけれど、彼女ほど美少女という言葉が似合う人を僕は見たことがない。もちろん、三次元で、という枕詞はつくのだけれど。
顔を形成する全てのパーツが、神様が懇切丁寧に時間をかけて作り上げ、絶妙に配置したとしか思えないほど整いまくっている。
幼さの残る顔立ちに反して体型はグラマーで、本人は太っていると感じているようだけど、単に出るところが出ているだけで引っ込むところはちゃんと引っ込んでいるのである。決して太っている訳ではない。
高一にして相当なポテンシャルを秘めているため、桜の存在は多感な男子高校生達にはイロイロと刺激が強い。うん。
性格も人当たりがよく誰にでも優しい。そのうえ正義感や好奇心、芯も強い、と典型的な主人公タイプで、それ故に彼女を慕う人は男女問わずとても多い。ほとんど全ての人間が少なからず魅了されると言っても過言ではないのだ。
まさに『神様の最高傑作』と学校で噂されるだけの事はある。
オマケに頭も良く、運動神経も抜群ときた。美少女の設定でよくあるように料理が下手……というわけでもなく人並みに出来る。
とにかく桜は、目立った欠点などない異常な程の完璧超人なのだ。
まあ、結局何が言いたいかというと、そんな高スペックな彼女が冴えない僕なんかに付きまとう理由が分からないって事。
いくら幼馴染みでいとこ、そのうえ家が隣で幼い頃から一緒とはいえ、僕の桜への対応はそんなに好意的なものではないはずなのに。
彼女個人は特別嫌いではないけど、彼女が僕のことを好きなんじゃないかなどと阿呆らしい邪推をする嫉妬に駆られた馬鹿どもにイジメなるものを受け始めて早数年が経つ。
もはやそれには慣れたものであるが、さすがに言われのない理由でイジメられるのは納得がいかないのである。
だからつい、原因である桜にも粗雑に接してしまうのだ。完全に八つ当たりなんだけど。
「奏夜! 早く準備しないと遅刻しちゃうよ」
「そん時はお前も道連れだけどな」
「もーっ! 教科書の準備はわたしがしておくから、早く着替えて顔洗ってご飯食べてきて!」
「へいへい」
既に学校へ行く準備が万端らしい桜は、甲斐甲斐しく僕の世話を焼く。
慣れた手つきで机に積み上げられた大量の教科書類から必要なものを抜き取って、リュックに詰めていく。それを横目に見ながら僕は服を着替える。
辞書を含め全ての勉強道具を持ち帰っているせいで毎日の荷物がどえらい多いんだよなー。置き勉は、何度か教科書をビリビリにされて諦めた。持ち物をどうこうするのはほんと陰湿。
イジメ、ダメ、ゼッタイ!
欠伸をしながら一階に降りて諸々の支度を済ませ、おかーさんが仕事に行く前に用意してくれていたらしいカレーを食す。おかーさんの作ったカレーはいつ食べても美味い。
食器を片したりしていると、えっちらおっちらと重たいカバンを持って桜が二階から降りてきた。
「カバンどうも。そんじゃー、学校行くか。桜はもう飯食ったんだろ?」
「うん! 今日こそは教室まで一緒に」
「それは、絶対に、嫌だ!」
定番になりつつあるいつものやり取りを交わして、重いカバンを持ち、眠気を我慢しながらも学校へと向かった。
この時の僕は桜の話を聞き流しながら、弁当作る時間なかったなーとか昼飯なんにしようかなーとか、見事にご飯のことばかりしか考えていなかった。
まさか学校帰りにあんなことに巻き込まれてしまうなんて微塵も、本当にこれっぽっちも、地球の殆どの人間がそうであるように、全く考えていなかったんだ。