6.
完結編です。
「ちょっと一条寺さん、どういうこと? まさか犯人わかったの?」
「いや、だが確かめたいことがあるんだ」
「ええ、どういうことなの。まさか名探偵気取りでギリギリまで犯人の名前を言わない気じゃないでしょうね」
「まあすぐにわかるから」
マンションに着くと、白間は半ばあきれた様子で迎え入れてくれた。
「すみません、もう一度『ズマガンマの帰還』を見せてもらえますか」私は言った。
白間が同人誌を収納したケースを探している間に七音は小声で言った。「『ズマガンマ』なら一条寺さんも持ってるのに」
「ああ、いいんだ」
「どうぞ」と、白間がシールドされた同人誌を持ってきた。
「ありがとうございます」私は受け取って聞いた。「開けてみていいですか?」
「ああ、いいですよ」
ジッパー付きのビニールを開けて取り出した『ズマガンマの帰還』のページをぱらぱらとめくっていった。
目にとまったのは次のような文章だ。
《毒蜥蜴の血に塗れた手でゼルドは青銅の重い扉を押し開いた。異様な匂いの香の煙が漂っていた。通路の奥からくぐもった声が響いてくる。篝火の光が揺れているのが見える。通路を進むと円形の広間に出た。床一面に魔方陣が刻まれている。そこにあの妖術使いズマガンマが力尽きたかのように倒れていた。だが彼が近づいていくと、その灰色の唇から恐るべき呪文が漏れ出した。「えるあーえあ へんぬ なーやっ くらくる えんでんぬ らーはっ ぱどどろはり ぱどどろはり かくふ かくふ かくふぅぅう」》
私は本を閉じビニール袋へ戻すと白間に返した。
われわれは車に戻った。
「今度はどこへ行くの?」
「狛江」
「じゃあ、大西さんの所?」
「そう。だけどこの先は本当に危険なことがあるかもしれない。君、それでもいっしょに来る?」
「ええ、もちろん」
そして車を走らせている間、しばらく黙っていた七音がやがてつぶやくように言った。「私、気になっていることがあるの」
「何が?」
「結局、塚野さんが殺されたのは私が取材したせいじゃないかって」
「そんなこと……」
「だってそうでしょう、犯人は私が塚野さんのコレクションを紹介した記事を読んで、この人なら『暗闇の窓』も持ってるだろうと当たりをつけたんだわ」
「仮にそうだとしても、何が殺人の原因になるかなんて誰にも予測できないんだし、殺人があったならその殺した当人が悪いってことでしょ」
「それは、そうだけど」
いつの間にか街には夕闇が迫っていた。狛江の空は、夕焼けに異常なほど赤く染まっていた。
大西の屋敷に着いた。門の所へ立つと、やはりまた庭の方から呪文を唱えるような声が聞こえた。われわれは足音を忍ばせて裏庭へ入っていった。
蝋燭の灯された祭壇の前で大西秀継は、目を閉じ、指を奇妙な形に組み合わせ、かすれた声で呪文の詠唱をつづけていた。
われわれが近づくと大西は詠唱をやめ、見開いた目をこちらへ向けた。
「またお前たちか。何の用だ?」
「あなたに聞きたいことがあるんですよ、大西さん」
「話すことなどない!」
「まあ、そう言わず一つだけ。じつは先日、私の所に平島外門の同人誌『ズマガンマの帰還』が送られてきたんです。で、それが、表紙はボロボロでホッチキスで綴じなおした形跡があったんです」
「それがどうした」
「いや、もしかしたらあなたの所にも一冊あるんじゃないですか、表紙を綴じなおした同人誌が」
「な、何の話だ」
大西は思い当たることがあるのか、かすかに動揺した様子を隠せなかった。
「では話しましょう。私はうちに送られてきた『ズマガンマの帰還』を何となく興味があって読んでみました。内容はよく覚えています。そして今日、あなたに教えていただいた白間という青年が新品同様に保存していた『ズマガンマの帰還』にも目を通しました。すると不思議なことに、この両者、表紙は同じなのですが中身の小説は、まったく別のものだったのです」
「えっ、どういうことなの?」と七音。
私は七音へ向けて説明した。「うちに送られてきた同人誌は表紙を綴じなおした跡があった。つまりこれは表紙と中身を別の本と入れ替えられていたってことじゃないかな」
「別の本……?」
「そう、それが『暗闇の窓』だよ。ぼくがはじめに読んだ『ズマガンマの帰還』は作中に何度か〈ズマガンマ〉って名前も出てくるんだけど、しかし途中で、窓の外が闇に包まれて、そこが異界への入口になるっていう場面もある。だからこの小説が『暗闇の窓』っていうタイトルだとしても別に違和感はない。そしてここからが重要なんだが、今『暗闇の窓』の表紙がついた本を持っている人物は、その中身がじつは『ズマガンマの帰還』であることを知らないということなんだ」
「えっ、ということは……?」
「『暗闇の窓』には本物の呪文が書き込まれていると言われているわけだから、この本の所有者は『ズマガンマ』に載っている呪文を本物と信じこんでいるということになる。先ほど白間君に『ズマガンマ』を見せてもらった時、ぼくは呪文の書かれているページを見た。それはこんな呪文だったよ。えるあーえあ へんぬ なーやっ くらくる えんでんぬ らーはっ ぱどどろはり……」
「それって、大西さんが唱えていた呪文……!」
「そう、つまり大西さん、あなたが『暗闇の窓』を盗んだ犯人なんだ!」
「う、ぐぬぬ」大西は絶句して後退った。だが、すぐに開き直ったような冷笑を浮かべて言った。「ふふふっ、貴様らこの私を怒らせて、どうなるかわかっているのか」
「な、何!?」
大西は開いた両手を正面に向け、新たな呪文を唱え始めた。
「うーぐる ごるあ うーぐる ごるあ この者たちに呪いあれ!」
「ちょっと一条寺さん、私たち呪われてるわ」
「いや、呪いとか、ぼくは信じないから」
「だってそれで塚野さんは死んでるのよ」
「いや、だけど……どうしよう」
「えーっ、何も考えてないの!」
「うん」
私たちは一歩づつ後ろに下がっていった。そのたびにじわじわと大西は詰め寄ってきた。両手をかざし呪文をつぶやきながら。
その時、背後から鋭く命じる声が響いた。「やめよ、大西!」
振り返ると、そこに立っていたのは翻訳家の樫村真砂夫だった。
「貴様か樫村」呪文を止めて大西は言った。「ちょうどいい、ついでにお前も呪い殺してやる」
「無駄だ。私は呪い返しの術を使うぞ」樫村は言った。
「嘘をつけ、貴様にそんな高度な技が使えるものか」
「そう思うなら試してみるがいい。お前も呪術研究者なら呪い返しの恐ろしさは知っているだろう」
「ふん、ならば死ね、樫村」大西は手のひらを樫村に向け呪文を唱え始めた。「うーぐる ごるあ うーぐる ごるあ……」
すると樫村は人差し指を呪術者に向け一喝した。「ぎるす!」
「ぐ……ぐあ……あ」
大西は呼吸が止まったように喉をかきむしった。見る見る顔が紫色になっていった。やがて動きが止まり、ばたりとその場に倒れた。
われわれは屋敷の中の書斎の机に『暗闇の窓』を発見した。
やはり表紙は『暗闇の窓』だが、中身は『ズマガンマの帰還』なのだった。
私は樫村とこれまでのいきさつを説明し合った。樫村は翻訳のために集めた資料で呪術に関する知識はあったが、じっさいに用いたのは今日が初めてということだった。彼はこれから警察に行くという。呪いによる殺人は不能犯であり罪には問われないはずだが、人が死んだ以上は一応の説明はしておくべきだろうと考えているのだった。
そしてわれわれに、これからやるべきことの指示を残していった。
私は車に七音を乗せいったん事務所に帰った。そこで私に送られてきた『ズマガンマの帰還』を持ち出すと、塚野の書庫へ向かった。
「まだ一つわからないことがあるんだけど」七音が言った。
「ん、何?」
「喫茶店で私が「四つの署名」って言ったら、一条寺さん真相に気づいたみたいだったじゃない。あれは何?」
「ああ、それは、コナン・ドイルの『四つの署名』の最初の所でワトソンが前の冒険を『緋色の研究』っていう本にしたって話すじゃない」
「ええ、そうね」
「それで、ぼくが最初に読んだ『ズマガンマの帰還』、じっさいの中身は『暗闇の窓』なわけだけど、この中でも『ズマガンマの帰還』っていうタイトルの本が出てくるんだよ。思わせぶりに。で、何となくこれがタイトルの由来なんだなと思って読んでたわけなんだけど……。だけど『四つの署名』で『緋色の研究』に言及されるみたいに、前の作品のタイトルが作中に出てくるパターンもあるなって、まあ、そこに気づいたってわけ」
「ふうん、変なところに注目するのね」
塚野の書庫に着くと、まず表紙を付け替えられた『ズマガンマの帰還』と『暗闇の窓』をばらして本来の形に綴じなおした。大型のホッチキスは書庫の机の引き出しにあったものを使った。そして『ズマガンマの帰還』を本棚に戻した後、屋上にあがり、そこで『暗闇の窓』に火をつけ灰になるまで燃やした。これが樫村から与えられた指示なのだった。
その後、塚野のコレクションを調べたところ、特に値の張る本はみつからず、結局すべて、同人誌を収集している資料館に寄贈することになった。
『渚のポニーテール』は書庫の机と本棚の間に挟まっているのが見つかった。私はそれを岩谷華代子宛に発送した。こうして、この事件はすっかり片付いたのだった。
この作品は、私立探偵一条寺蓮を主人公としたクトゥルー神話シリーズ『神話探偵』の七作目です。
過去の作品は、下記のサイトにリンク一覧があります。
http://home.g06.itscom.net/nagareru
蜜の流れる機械HP
興味を持たれた方はアクセスしてみて下さい。
同じ主人公による第八作は「マジック・マネー」というタイトルになる予定で、あらすじも出来ているのですが、書き始めるのはいつになることやら……