5.
次回で完結の予定です。
私と七音は、大西家の庭を出て車に乗りこんだ。
「気難しい人だったわね」
「ああ、でも収穫はあった」
「翻訳家の樫村真砂夫とシロマって呼ばれてた若者ね」
「うん」
「でも、どうなのかしら。あの大西さんが塚野さんを殺して『暗闇の窓』を盗んだってこと、あると思う?」
「まだわからないよ」
「そうよね。他にも同じ本を欲しがっていた人がいるって話だったわけだし。やっぱりこの人たちにも会ってみないとね」
「そうだね」
「待って、調べてみるわ」七音はスマホで検索を始めた。「あった。樫村真砂夫、西洋魔術やタロット占いの解説書が何冊かこの人の翻訳で出版されてる」
そして彼女はどこかへ電話を掛けると、すぐに樫村の住所を聞き出した。
「君、なかなか優秀だね。助手になって欲しいよ」
「探偵の助手か、それもいいかな。ま、お給料次第だけど」
「それが問題だな」私は車を出した。
樫村の住所は三軒茶屋のマンションだった。また世田谷区に逆戻りだ。
そのマンションは、環七から少し離れたところにあった。古びてはいるが高級そうな建物だった。
エレベーターを四階で降りた。405号室が樫村真砂夫の部屋だった。インターフォンのボタンを押すと相手が出た。
「塚野多々郎さんのことで話をうかがいたいんですが」と私は言った。
すぐにドアが開けられた。姿を見せたのは、グレーのスーツを着込んだ初老の男で、口髭と顎鬚をきれいにそろえた昔の政治家みたいな紳士だった。
「何だね。私はすぐ出かけねばならんのだ。あまり時間は取れんが」
「すみません。突然押しかけてしまって」
われわれは応接間に通され、自己紹介をしてから、質問を始めた。
「塚野さんが亡くなられたことはご存知ですか?」
「もちろん」
「樫村さんが最後に塚野さんに会われたのは?」
「彼が死ぬ前日だったかな」
「その時は何を?」
「まあ、ちょっとした用があってね」
「その用というのは?」
「そのことはいいでしょう。君たちは何が目的なんだね?」
「『暗闇の窓』という同人誌を探しているのです」
タイトルを聞くと樫村の表情が険しくなった。
「君らのような素人があの本にかかわるのは危険だ。すぐやめたまえ」
「素人って、こう見えても一応、プロの探偵なんですがね」
「私はジャーナリストです」と七音。
「そういう問題ではない。君らの命にもかかわることだ。私からもう話すことはない」
「ではあと一つだけ。あなたが塚野さんを訪ねた時、シロマという人が一緒だったそうですが」
「誰からそんなことを聞いたのだ?」
「大西秀継さんです」
「そうか、あの男に会ったのか……あの男は危険だ。もう近づいてはいけない」
「何がそう危険だというのです?」
「今は時間がない。私は忙しいのだ。白間君の連絡先なら教えてあげよう」
「何者なんです?」
「白間朔といって、彼は、なんというか、ホラー映画とか怪奇小説のマニアでね。彼なら君らが好むような話をいろいろ聞かせてくれるだろう。だが、本当にこれ以上余計なことには首を突っ込むのをやめたまえ」
樫村は白間の電話番号を書いたメモを渡すと、われわれと一緒に部屋を出た。駐車場で銀のクライスラーに乗りこむと、猛スピードで走り去った。
「とりあえずシロマの正体はわかったと」助手席に着いて七音が言った。
「ああ、ホラーのマニアらしいね」
「危険、危険と言ってたわりには、この人の連絡先はあっさり教えてくれたわね」
「この人は安全ってことなんでしょ」
「あの様子だと樫村さんは事件の真相がわかってるのかしら。ね、尾行すればよかったんじゃない」
「まあ、その手もあるけど、まずその白間君にも会わないと」
「それもそうね。じゃあ、電話してみるか」
七音はスマホを取り出すと、樫村のメモを見ながらダイヤルした。
相手が出ると、彼女はこの番号を知った経緯を説明し、会う約束を取り付けた。
「わかったわ。住所は渋谷区の幡ヶ谷だって」
「近くだね、じゃあ行くか」私はエンジンをかけた。
「ほんとはアポなしで突撃したいんだよね。やっぱり素の反応を引き出さないと」
「君、芸能レポーターになれば」
「いやよそんなの」
京王線幡ヶ谷駅近くにある新築のマンションに白間朔は住んでいた。オートロックのエントランスを開けてもらって中に入った。部屋は303号室だった。
「塚野多々郎さんが亡くなったことは知っていますか?」七音が質問をした。
「ああ、らしいですね」
白間が答えた。彼は、ピンクのトレーナーに白のジーパンという服装の小太りな若者だった。髪はショートボブみたいな坊ちゃん刈りで、眼鏡をかけていた。
「あなた、塚野さんが亡くなる前日に会いに行きましたね?」
「ええ」
「その時はどんな話を?」
「まあ、めずらしい同人誌をいろいろ見せてもらったり」
「それは一人で?」
「いや、樫村さんが塚野さんと知り合いだって言うんで紹介してもらう形で」
「見せてもらった同人誌というのは?」
「んーと、だから、いろいろですよ。だいたい怪奇小説関連を」
「例えばどんな?」
「そうですね、『戦えっ奉仕種族』とか……」
「ええ、他には」
「『暗闇の窓』とか……」
「『暗闇の窓』ですか。その本、今日私たちが塚野さんの書庫へ行ったら、無くなってたんですよね」
「えっ、無くなってたって、どういうことです?」
「さあ、盗まれたのかもしれないし、それを調べてるんですけどね」
「ま、あの本なら欲しがる人は多いだろうけど……」
「誰か心当たりがありますか?」
「いやあ、ぼくの口からは何とも」
「そうですか」
七音の質問が一区切りしたところで私が聞いた。「白間さんも同人誌を集めてるんですか?」
部屋を見渡すと、壁を覆いつくすように本とDVDが並べられていた。いずれもホラーや怪奇ものばかりのようだ。それに映画のキャラクターのフィギュアも大量にあった。
「ええ、塚野さんにはとても及びませんが、怪奇小説系を多少は」
「平島外門の小説はありますか?」
「ありますよ、ええとたしか……」と、白間は席を立って現物を持ってきてくれた。
それは『砂丘幻想』『迷宮アラベスク』『ズマガンマの帰還』の三冊で、それぞれジッパー付きのビニール袋に入れて保管されていた。
『ズマガンマの帰還』を見せてもらった。私の所に送られてきたものと同じ表紙だが、これは新品同様にきれいだった。
「『暗闇の窓』はやはり入手困難なわけですね」
「ぼくも探してはいたんですがね、塚野さんの所ではじめて現物を見ましたよ」
「塚野さんはすぐに見せてくれましたか?」
「ええ、普通に」
「あなた方の前に訪ねた大西秀継という人は、見せられないと断られたらしいんですがね」
「ああ、それね。樫村さんがあらかじめ電話で「あいつには見せるな」みたいなこと言ったようですね」
「樫村さんが?」
「あの二人、犬猿の仲というのか以前からよく対立してたんですよ。もともと樫村さんの翻訳書に誤訳があるってことを大西さんが指摘したのがきっかけで」
「ほう、そんなことが。樫村さんは『暗闇の窓』が危険だとずいぶん心配してたようですが」
「ああ、あの人はねえ、そういうのわりと信じちゃう人だから」
「そういうのっていうのは?」
「『暗闇の窓』には本物の呪文が載ってるって説があるんです」
「ああ聞きました」
「ぼくは眉唾だと思いますけどね」
「というと?」
「この話の出どころはね、あるオカルト情報を集めた同人誌に載った平島外門へのインタビューなんですよ。そこで平島はフィリピンに旅行した時の体験を話してるんです。フィリピンに《黒魔術の島》って呼ばれてる秘境があるらしいんですけど、平島はそこへ行って現地の祈祷師か何かに麻薬入りの煙草を吸わされたって言ってます。で、それでトリップしてる間の幻覚の中で聞いた呪文を『暗闇の窓』に書き込んだっていう。呪文が本物ったってこれだけの話なんですよ」
「でもじっさい高い値段になってるわけですよね?」
「まあ、それはねえ、噂だけ広まっちゃったというか。あと『暗闇の窓』は発行部数も少なかったらしいんですよ。なぜかと言うと、旅行で貯金を使い果たしてしまって印刷代も出せなかったと」
「なるほど」
私と七音は礼を言って白間の部屋を後にした。
車に乗ると「お腹空いた」と七音が言い出したので、下北の喫茶店に戻った。
席について七音はミルクティーとチョコレートパフェ、私はコーヒーとミックスサンドを注文した。
「白間さんによると、樫村さんが塚野さんに大西さんには『暗闇の窓』を見せるな、と言っていたわけね」
「そうだね」
「じゃあ一条寺さんが書庫でひろったメモは、それを電話で聞いた時に書いたものだったってことかな」
「あの〈呪術研究家?〉ってやつね。たぶんそうだろうね」
「でも犯人は誰なのかしら」
「いや、そもそも犯罪が行われたという確証がない」
「それはそうだけど、一応検証しておく必要はあるんじゃない」
「まあいいけど」
「ともかく、同人誌を欲しがっていた大西、樫村、白間この三人には動機があるわけよね」
「うーん、『暗闇の窓』の買取価格は五万だったよね。同人誌としては高価でも、五万円のために殺人までするかな。ぼくの車だってそれより高い」
「本の価値は値段で決まるわけじゃないわ。古本屋で百円で売ってる本が人生を変えてしまうことだってある。他に手に入れる方法がない本なら、殺してでもって思ってしまう可能性もあるんじゃない」
「じゃあその点は良しとしよう。他に動機のありそうな人は?」
「義弟の山川信来による保険金殺人説っていうのもあったわね」七音はカバンからメモ用紙を取り出すと、容疑者の名前を書きとめていった。「できたわ。とりあえずこの四人が容疑者ね」
そこにはこんなふうに名前が並んでいた。
山川信来
大西秀継
樫村真砂夫
白間朔
あらためてメモを眺め、七音はぽつりと言った。「まるで『四つの署名』ね」
「ああ、シャーロック・ホームズだね。二作目の長編……」私は言った。
その時、私の頭の中で何かが閃いた。『四つの署名』のイメージが重要な連想に繋がる気がした。
「んん、待てよ……四つの署名……緋色の研究……四つの署名……そうか!」
「え、何? 何かわかったの?」
「七音君、もう一度、白間朔に電話してくれないか。これから訪ねたいので、しばらくそこにいてくれと」
「ええ、いいけど」
七音が電話し、白間の在宅を確認すると、私たちは店を出た。
そして幡ヶ谷へ向け車を飛ばした。